自分をしっかり修め多くの人を救う
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文/中国の大法弟子

 【明慧ネット2022年2月17日】私は以前多くの病気を患っていました。とりわけ1998年には命にかかわる癌の症状があり、生命の尽きるところまで来ていました。

 一、大法実践に至るまで

 このような生死にかかわる大事な時に、幸いにも法輪功の修煉を始めることになりました。最初の日は、煉功で第一と第三の2式の功法を学びました。家に帰ってから師父は身体を浄化してくださいましたので、その日に下痢の症状がありました。3日目に、風邪の症状が出て身体が浄化されました。しかし、私は悟性がとても悪く、その時は疲労による病気だと思いこんでいました。特に、師父は「あなたがその心を捨てず、その病気の事を放下できないなら、我々は何もしてあげることはできず、どうすることもできません」[1]と説かれています。私は、こんな大病を患っていて、いつ再発して死ぬかもしれないのだから、この病気を放下することなどできるわけがない、自分は法輪功の修煉に向いていないかもしれないと思い、修煉をやめようと決めました。

 1999年1月に癌が再発し、北京の大病院に入院しました。そして初めて入院した時、私よりも病状が重い人と同じ病室になりました。その人が『轉法輪』を読んでいるのが見えましたので、私はすぐに自分の考えを彼女に伝えました。すると、師父はあなたにいきなり病気を放下させようとはしていませんよ、修煉過程の中でゆっくり放下するようにとおっしゃっておられます、と彼女は言いました。彼女はさらに修煉後に現れた奇跡的な話もしてくれました。彼女のこのような話はすぐに私を目覚めさせてくれました。その時、私は絶対に法輪功を修煉するのだと決心し、手術後抜糸もせず、二万元(約36万円)の薬を買って家に帰りました。私は師父が弟子の悟性が劣っているのをご存じだったのでしょう。それで同じ病室の仲間の口を利用して悟らせてくださったことが分かりました。

 家に帰った後、1999年2月に修煉を始め、5月1日までの2か月余りの期間で、私の身体のあらゆる病気が全快し、無病の身体になりました。私の身体に現れた大法の奇跡的な超常のものが現れました。この時、私が悟ったことは、もう点滴はするべきではない、ということでした。(5月1日の前日までずっと癌の治療のために病院で点滴をしていました)。しかし、家にはまだ1万元分の薬があり、捨ててしまうのはもったいないと思い、そこで5月1日に家に帰った時、病院で働いている従妹に薬をあげようと思いました。私は他の患者に使わせてあげてほしい、と彼女に言いました。しかし、従妹はどうしても私が薬を止めることに同意しませんでした。仕方なく、私は薬を持って帰るしかありませんでした。家に帰ってから私はまた病院へ点滴に行きました。しかし、この時、看護師さんがどうやっても注射針が刺さらなくて、看護師さんは変だと感じていました。針を刺すと私は全身に震えが起きました。この時、師父がもう点滴をさせないようにしているのだと悟りました。しかし、この時の点滴の薬代は880元(約1万6千円)で、1999年の880元と言えば小さい金額ではありませんでしたし、すでに調合してあり捨てる事もできません。そこで心の中で師父に、今回だけ点滴させてくださるようにお願いし、今後はもう点滴しないことに決めました。

 また別の看護師さんが来て、私の腕の内側に注射針を刺しました。しかし、点滴を始めたばかりで、点滴の速度を観察していたところ、薬液が外に向かってあふれ出していて、看護師さんはおかしいと思い、最後に少しだけ残った分は点滴しませんでした。家に帰ってから見てみると点滴した腕の血管は黒ずんでいて、腕に触れると痺れ、まるで感電した後のようで、半年過ぎてやっとよくなりました。

 師父はこのようなやり方で私には病気がなく、点滴する必要がないことを教えてくださいました。しかし、弟子の悟性がひどく劣っていたため、師父にご心配をおかけしてしまいました。私の命は大法によって延長されたことが分かっています。もし大法を修煉していなければ、とっくに死んでいたであろうことも分かっています。この世の一切のことはすでに私の物ではなくなっており、一切のものは大法の物だと分かっています。さらに世の中のあらゆる事物に私は執着するべきではないことも理解しています。私は人間の言葉を使い尽くしても、師父の慈悲なる恩を言い表すことができせん。また弟子は師父に対する感謝を言い尽くすことができません。千言万語を一言で言い換えるならば、弟子はただ大法の中で勇猛精進し、師父への恩に報いたいということです。

 二、魔難の下でも志は変わらず

 私が修煉を始めてまもなく、邪悪は狂ったように迫害を開始しました。その時、私は数か月間修煉をしたばかりで、学法も少なく理解が浅かったのですが、中国共産党(以後、中共)が言っていることはみな嘘とデマで、罪のない者を故意に陥れていると分かっていました。そこで、2000年10月1日、子供を連れて北京の天安門に行き、大法を実証し、師父の名誉のために正義を求めました。しかし、当日私と子供は天安門広場で力ずくで連行され、その後留置所に拘禁されました。私は労働教養を1年間、子供は未成年だったので留置所に9か月余り拘禁されました。子供も電撃などの拷問を受けました。

 それ以降、私と子供は何度も不当に連行され、何度も家財を没収され、何度も留置場、労働教養所、洗脳班に拘禁され、長期間、住居監視をされ、私は仕事に行かれず、子供も学校へ通えませんでした。夫はこの巨大な圧力に耐えられなくなり、私と子供が2000年に拘禁されている間に私と離婚しました。この間、勤務先は私の給料を停止して、私の中共の党籍も除名しました。父母は高齢で病気がちで、一日中泣いていました、私が命と仕事を失うのではないかとびくびくしていました。留置場と労働教養所は私に修煉を放棄するよう勧めてきました。前夫の家族もみな私のことを恨んでおり、私の身勝手さを責め、私が子供をダメにしたと言いました。当時各方面の圧力が一気に私に向かって加えられてきました。それは正に師父が『洪吟』の中で述べられているようにあたかも「百の苦が一斉に降る」[2]ようでした。

 このような中共の恐怖の下、隣人や同僚、親戚、友人を驚かせてしまい、知人や親戚や友人の中で大きなマイナスの影響を与えてしまいました。法輪功を修煉することはとても恐いことだと思い、多くの人が私を変わり者とみなして、私を見かけると避けて行ってしまい、優しい性格の人は私の事を哀れみ、私を見かけると泣き出し、善意をもった人も私に修煉を止めるよう勧めました。私の事を理解していた人も私がこのような圧力を受けている中で、しかも癌患者であるから、きっと間もなく死ぬであろうと思っていました。確かに何度も悪の巣窟で拷問を受け、迫害されたことで重い病業の仮相が現れましたが、身体にどんな現象が現れようと、私はこれまで病気のことを心配したことはありません。さらに大法を疑ったこともありません。師父の慈悲なる保護の下、私は死ななかっただけでなく、却って生き続ければ生き続けるほど元気になり、若々しくなりました。同じ年齢の人と比べて10歳くらい若く見えます。この何年間さまざまな方法で真相を伝えました。ゆっくりですが人々の私に対する見方が変わりました。その後、職場は私に仕事を復帰させ、私に仕事をさせなかった何年間分の給料を再支給しました。前夫も戻ってきました。現在同僚、隣人など、会った人はみな私を褒める言葉を言ってくれます、若く見えるとか、強靭であるとか。それをきっかけに私はこの機会に大法を実証し真相を話します。ある同僚は私が真相を話そうとすると、もう言わなくていいと言います、事実は雄弁に勝っています、あなたを見れば大法が良いことがわかりますから、と言いました。

 三、さまざまな方法で人を救う

 人を救う形式にはこだわらず、人を救うことを仕事や生活の中のルーティンとし、邪悪の巣窟の中であらゆる受刑者と警官に真相を伝え、三退を勧め、食事の時に家族の中でまだ修煉していない人に真相、伝統文化、奇跡的な実例などを話し、一般の人々の神を信じる心を向上させたいと思っています。買い物に出かけて出会った人に真相を話し、信号待ちで人が多い時、私は娘と対話形式で真相を話します。わざと大きな声で話し、信号待ちをしている人に聞こえるように話します。同僚や隣人にも話し、職場の責任者にも、前夫のガールフレンドや前夫の家族や親戚にも真相を話します。前夫の家族は生活上の困難に陥っているため、私が積極的に助けています。あらゆる機会を利用して真相を話します。

 真相を話す中で聞こうとしない人や聞き苦しいことを言う人もいますが、私は怒らず焦らず、自分の善の心をゆっくりと伝え、彼らは感化して、次第に基本的にみな大法をとても認めるようになり、三退します。正月の期間中、年賀状を出す人は多くいますから、この機会を利用して真相を伝える手紙を出します。故郷の両親に会いに行く途中で、村に入って資料を配ります。出会った人には対面で直接資料を渡し、家に戻る途中でも500~600部の真相資料を配ることができます。人を救うのに便利なように、私達はわざわざナンバープレートのない車を購入しました。

 退職する前の私の職業は教師でした。授業の時、学生に真相を話しました。ある時、真相を聞かず反対する学生がいました。この時私は落ち着いてゆっくりと、問題を出せることはすばらしいことです、あなたがよく考えているのがわかりますよ、私はあなたのような生徒が好きです、ですから放課後あなたには残ってもらってゆっくりと話し合いましょう、と言いました。この時点で彼はもう邪魔をしなくなりました。

 現在私はすでに退職して10年経ちました。退職後、三つのことをすることに専念しました。私の家は資料拠点なので資料を作ることを主にやっています。用事があって出かけた際に出会った人に私は真相を話し三退を勧め、できるだけ縁のある人を見捨てないようにしています。

 ウイルスが深刻な時は資料を直接、手渡しできないため私達一家3人(娘、娘婿)は毎晩、各家庭のドアのところに資料を配っています。安全の為に私達はエレベーターには乗らず、階段を歩いて上ります。高層階に配る時は、30階位ある時もあり、ふつうワンフロアに4、5世帯あり、5、6世帯のこともあり、1つの集合住宅に200世帯位あります。師父のご加持のお蔭で、私は70歳近くになりますがあまり疲れを感じません。当時、建物の家族エリアには警備員がいて、通常はカードを持っている人の後に続いて入りますが、地下の駐車場を通って入ることもあります。

 人を救う心がありさえすれば、一切のことは師父が私達のために按排してくださいます。一晩に私達3人で何百枚も配ることができます。配り終えた建物はメモして、同じ内容の資料を重複して入れないように気を付けます。安全のために短期間内であっても同じ場所で配らないようにし、今日は西、明日は東、その後は北の方角や南北へ、今日は近場で、明日は遠距離の所で配ります。だいたい半月かけて一回りします。

 何日か前、私の実家の姪が結婚するので、お守りを用意しました。車に掛ける真相お守り、壁を乗り越える絵の付いたカード、600~700部の真相資料(路上で配る)などです。さらにA4サイズの四分の一の大きさのグリーティングカードを自分で制作し、表面にはきれいな吉祥の人形が描かれていて、裏には主に将来的に疫病が発生することを人々に伝え、疫病が再び来たらどうすればよいかが書かれています。ビニールコーティングが施され精巧にできています。結婚式の参加者一人ひとりに一枚ずつ配り、さらに今後疫病が発生することを彼らに伝えます。裏面には、疫病の中で多くの人が死ぬこと、それから平安を保つ方法を伝え、最後にこのカードを絶対に捨てずにとっておくこと、疫病が来た時には上記に書かれた方法であなたの周囲の人と親族や友人を救ってください、と書かれています。彼らのほとんどは喜んで受け取り、多くの人が感謝の気持ちを表してくれます。

 家に帰る前に、私は退職した村の党書記の家を訪ね、彼に真相を話してあげました。以前、すでに三退してもらいましたが、今回は主に今後さらに疫病が起こることを伝え、疫病が再び来たらどのように村人を救うかを話し、最後に資料を少し置いていきます、と言うと元党書記は分かりましたと言って、とても喜んで、「今度また私の家に来てください」と言いました。

 とにかく、毎日非常に忙しく、人を救う多くの事をしなければなりませんが、時間が足りず仕事が終わりません。

 四、前夫の変化

 離婚後、前夫は家庭を持ちたい一心で、あらゆる方法を尽くして嫁探しをしました。この女性と数日間、あの女性とは数年間、というようなめちゃくちゃな十数年間を送った後、ついに外地で見つけた自分が満足する女性と結婚しました。しかし、結婚は長く続かず、また離婚しました。離婚する時、その女性は彼を法廷に訴えました。危うく彼女に騙されて数十万元を持って行かれそうになりました。幸いにも法律の知識のある友人がいて、その女性の弱みを掴み、数十万元の損失を免れることができましたが、最終的にはその女性に5万元(約91万円)渡すことになりました。この一件は前夫に大きな打撃を与えました。彼はすでに70歳になろうとしていましたので、やむなく、また私達のところに戻るしかありませんでした。彼が戻った後、私達は恨みがましいことを一言も言わずに、彼を慰め、安らぎやくつろぎを与え、失わなければ得られずの道理を話し、いろいろな方面で彼のサポートをし、真心をこめて彼に接しました。

 師父は私達にいかなることでも他人のことを考慮し、問題が起きた時は無条件に内に向けて探し、うわべの人間の理で正しいか間違っているかを見てはいけません、とおっしゃっています。師父はさらに、修煉する人にはいかなる偶然なことはなく、問題にあうことは私達の修煉と関係があるのです、と仰っています。さらに、「修煉者は逆に問題を見なければなりません」[3]とも仰っておられます。

ですから、私は前夫を恨まないどころか、彼をとても可哀想に感じています。私自身彼に対して後ろめたさを感じています。もし私の修煉がよくできていて、漏れがなく、それほど重い情がなければ、邪悪に迫害されなかったでしょうし、前夫もこのような状況にならずに、そんなに大きな業を作ることもなかったでしょう。

 しかし、逆から見れば、彼がこのような情に欠けることをしたことで、私と子供をかなり傷つけましたが、実際のところ彼は自分自身を傷つけて私達の心性の向上に手を貸してくれたのです。私が彼に対する情を取り除き、多くの業力を取り除く手助けをしてくれたのです。ですから私は彼を恨まないどころか、彼に感謝するべきなのです。この過程の中で、私は確かに心をえぐられるような痛手を負い、怨恨の過程を経験しました。偉大な法輪大法は私を変えてくださいました。私に彼に対する情を捨てさせ、慈悲の心に変えてくれました。

 私達が彼に対し真心で接したことで、彼は大きく変わりました。現在彼は大法をとても認めるようになり、正念を持つようになり、修煉したがっています。美味しい食べ物があれば、いつも師父に先に召し上がっていただき、私が真相伝えで人を救うのを手伝い、自分でも機会があれば真相を話します。私達が人を救うのを喜んで手伝ってくれます。車の運転をしてくれて大法の事をするのを手伝い、消耗品を買ってくれたり、小銭の紙幣を真相紙幣にしてくれるなどいろいろと助けてくれます。彼の家族も私達がこのように彼に尽くしているのを見てとても感動し、大法に対する認識を強くしました。彼の姉は、私達が大法を修煉することで自分たち家族も受益すると言って、わざわざ彼女達は師父への感謝を表すために果物を買ってきて私に持って行くようにと言いました。彼の義理の兄も私の事を本当に偉大だと言います。

 瞬く間に20年あまりが過ぎ、それらを振り返ってみると、自分は本当に転んでばかりで今日まで歩んできてしまい、多くの悔いが残ります。しかし時間は元に戻ることはありえず、過ぎたことは過ぎたことです。私達に今後残っている時間は多くないので、自分をしっかり保ちよく修め、多くの人を救うしかありません。もう悔いを残さないように、師父を悲しませることのないように、自分の使命を果たし、師について家に帰るのです。

 注:
 [1] 李洪志師父著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [3] 李洪志師父経文:『2018年ワシントンDCでの説法』 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/31/435134.html)
 
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