十数年迫害を受けてきた余寿栄さんが死亡
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 【明慧日本2022年2月17日】遼寧省撫順市の法輪功学習者・余寿栄さんは法輪功を学び続けているとして、連行や家宅捜索、留置場・洗脳班労働教養所・刑務所に拘禁などの迫害を加えられた。繰り返し迫害を受けた末、余さんは癌になってしまい、2020年12月12日、治療のため、「仮釈放」されたが、2022年2月7日に死亡した。

 余さんは亡くなる前、拘禁中の4年間にもらった最低の生活費を強制的に返還させられた。

 当局の迫害により余さんの家庭は崩壊してしまった。余さんが馬三家教養所に拘禁されている間、夫が死亡した。息子は生活できず、出稼ぎのため退学せざるを得なかった。

 余さんは撫順市東洲区万新街に住んでいた。2001年1月、洗脳班に連行された余さんは武家堡教養院に1年あまり拘禁された。当時、撫順市610弁公室は洗脳班を設立し、警官とコミュニティの人員らは法輪功学習者の家一軒一軒に行き、学習者たちを連行したという。

 2003年3月、労働教養処分3年を科された余さんは馬三家教養所に送られた。教養所で「転向」を拒否したため、2006年3月に満期になった余さんは1カ月延期された。その後も、教養所側が余さんを解放せず、撫順市羅台山庄洗脳班に送り、継続的に拘禁した。

 2014年7月7日、東洲区万新派出所の警官は余さんの家に行き、家宅捜索をして大量の私財を押収した。連行された、余さんは撫順市南溝留置場に送られ、拘禁された。その後、余さんは東洲区裁判所に懲役4年の判決を下され、遼寧省女子刑務所に収容された。2018年7月6日、帰宅した。

 2019年6月25日午後6時頃、余さんは撫順市第一中学校付近で人に法輪功が迫害されている事実を伝えているとき、警官に連行された。当日の夜、警官らは余さんに「自宅に案内してくれ」と騙し、余さんの家の前で、余さんのポケットから鍵を探し出して、余さんを派出所に連れ戻した。その後、数人の警官は押収した鍵で余さんの家に入り、家宅捜索をし、現金1000元を押収した。

 その後、南溝留置場に拘禁された余さんは警官、検察官に陥れられた。2019年12月27日、望花区裁判所は「法律の実施を破壊した」という罪をでっち上げ、余さんに懲役3年と罰金1万元の判決を宣告した。法廷で、公訴人が提示したいわゆる「証拠」は余さんに被せた罪とは関連がなかった。

 2020年12月13日、余さんは医療仮釈放のため留置場から釈放された。12月15日、撫順市腫瘍専門の病院で、末期癌だと診断された余さんは、すでに手術ができない状態だった。それから、4万元かけて、15日間化学療法を受けた余さんは、医者から、化学療法の効果が見られないと言われ、退院させられた。

 しかし、東洲区万新コミュニティの人員は余さんの親戚に会い、「省の規律検査委員会からの通達に従って、余寿栄がもらった4年間の最低生活費を返さなければならない」と告げた。

 余さんの収入は月に800元しかないので、親戚の助けで息子は借金をしてその最低生活費を返した。

 そして、経済的に困難に陥り、心身ともに疲れ切った余さんは2022年2月7日、冤罪を晴らせぬまま、この世を去った。享年73歳。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/12/438870.html)
 
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