迫害されて死亡した石建偉さんの遺体を強制的に火葬
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 【明慧日本2022年2月27日】雲南省大理ペー族自治州賓川県の法輪功学習者・石建偉さんは2016年9月、中国共産党の裁判所に懲役6年6カ月の判決を宣告された。そして、雲南省第一刑務所に拘禁された石さんは、刑務所で迫害され、2021年9月26日に死亡した。享年56歳。遺体も強制的に火葬された。

'石建伟'

石建偉さん

 2021年9月26日午前、雲南省第一刑務所側は電話で石さんの家族に「石建偉は危篤状態で、救急手当を受けている」と連絡した。家族はすぐに面会を要求したが、刑務所側に「疫病の蔓延」との口実で断られた。その3時間後、家族はまた、刑務所側からの電話を受け「石建偉の呼吸が停止した」と告げられ「火葬の手続きをしに来い」と呼び出された。

 家族はすぐ葬儀場に駆け付け、石さんの遺体と対面した。遺体は腹水状態で、背中にあざがあったため、家族は石さんの生前のカルテを見せるように求め、火葬をする同意書にサインをしなかった。

 その1週間後、家族は刑務所に石さんの遺体の火葬のことを相談に行った。刑務所側は家族に石さんの生前の血液検査の報告書を3つ見せた。家族は、3回の血液検査でα-フェトプロテイン(afp)がすべて正常範囲内だったと確認できた。それで遺族は、石さんの死因を肝臓がんとする刑務所の結論を認めず、遺体の検視を要求した。しかし刑務所側は、家族に解剖のために10万元(約183万円)を前払いするように要求し「さもなければ解剖は行われない。死亡鑑定の結論に納得がいかなければ、検察庁に訴えても良いが、結果は同じだ」と脅した。

 家族は石さんのカルテと血液検査の報告書を持って帰ろうとしたが「ここで見るだけだ」と刑務所側に阻止された。その後、石さんの遺体は強制的に火葬された。

 石さんが死亡する前、刑務所側はいろいろな口実で、家族に石さんとの面会を許さなかった。2021年8月25日、家族は刑務所からの電話を受け、石さんが肝臓がんの疑いで、病院に搬送されたと告げられた。そして、家族は面会を要求したが「疫病の蔓延」との理由で、許されなかった。その後、石さんのカルテを見せることと「保釈」を求めた家族は「石建偉は罪を認めない。『三書』を書かない」との理由で、刑務所側からすべての要求を拒まれた。

 石さんは1999年から法輪功を学び始め、心身ともに健康になった

 石さんと妻・肖竹さんは賓川県第一中学校の教師で、石さんは英語を教え、肖さんは体育の教師だった。夫妻はともに法輪功の教えに従って自分を律していた。しかし、当局が法輪功迫害を開始した後、夫妻は学校から離れざるを得ず、連行、拘留、労働教養処分、洗脳班に拘禁などの迫害が加えられた。夫妻は共に拘留されている間、小学校2年生だった娘は、親戚や友人からの世話を受けるしかなかった。

 2015年9月7日午後4時半、賓川県国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官は石さんの家に行き、ドアを叩いたが、石さんはドアを開けなかった。しばらくして、知り合いの声が聞こえたので石さんは、ドアを開けたが、その途端、十数人の特別警官と国保の警官に一気に押し入られた。警官は石さんと石さんの娘を殴打し、家宅捜索を行って私物を押収し、一家3人を賓川県公安局に連行した。当日の夕方6時過ぎ、警官は3人に対して別々に尋問を行い、翌日の夕方6時半まで続いた。その間、娘は警官に繰り返し、両親を「通報」するように要求され「そうすれば、あなたを15日間拘留するだけで、そうしなければ刑務所に入れる」と、脅迫した。しかし、娘はその要求を拒否した。

 その後、石さんは賓川県留置場に、肖さんは大理州留置場に拘禁された。国保の警官は賓川県の法輪功学習者十数人の家に行き、家宅捜索し、法輪功書籍などを押収した。警官は石さん夫妻に罪をきせるため、いわゆる「証言」をするようと、その学習者たちを脅迫した。

 2016年6月23日、石さん夫妻は祥雲県裁判所で不当に裁判を開廷された。法廷で、石さんは拘禁されている間、警官に暴力を振られたことを話し、肖さんも脅迫、自白強要の拷問を受けたことを話した。夫妻は共に法輪功を学んでいることは無罪だと主張した。

 しかし、石さんは懲役6年6カ月の判決、肖さんは懲役5年を宣告された。それから、石さんは雲南省第一刑務所に、肖さんは女子第二刑務所に収容された。

酷刑演示:打毒针(注射不明药物)

拷問の再現:詳細不明な薬物を強制注射される

 雲南省第一刑務所は、中共が法輪功学習者を迫害する黒巣である。同刑務所の拷問、薬物迫害などによって学習者たち数人が死亡した。死亡した人の中に四川省出身で西昌市の方征平さん、米易県の羅江平さん、攀枝花市の廖健甫さんの3人がいた。羅さんは「転向」を拒否したため、手枷と足枷をつけられて猛打されて独房に拘禁され、毎日十数時間の重労働を科された。そのうえ、詳細不明な薬物を注射されたため、羅さんは起き上がれず、立っていられず、内臓が痛み、痩せこけた。その末、羅さんは肝硬変の末期になり、2013年12月28日にこの世を去った。享年51歳。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/23/439295.html)
 
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