濁った世の清い蓮---大蓮の法輪功学習者仲淑娟さんを偲ぶ
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 【明慧日本2022年2月28日】遼寧省大連市の法輪功学習者の仲淑娟さんが、2021年12月24日に遼寧省女子刑務所で迫害されて死亡したと明慧ネットで知りました。彼女はもういないと思うと、寂しい限りです。彼女の慈愛に満ちた穏やかな表情が、時折目の前に浮かびます。彼女が私たちのもとを去ったとは、信じられません。

 1994年末、気功を探し続けていた仲淑娟さんは、幸運にも大連で行われた李洪志先生の最終回のセミナーに参加しました。 彼女は、その日から大法を修煉し始めました。すると心身が一変し、深刻に悩んでいた関節リウマチなどの頑固な病気がすべて治りました。せっかちな性格もだいぶ良くなり、人助けに熱心で、同僚からの評判も良くなりました。 法輪功を修煉する前の彼女は、よく病気で休みを取りましたが、修煉してからは健康で、4カ月間一日も休みを取らず、1人で2人分の作業をし続けたこともあります。

 しかし、このような信仰を持つ善良な人が、中国共産党によって7回の連行と12年間の不法拘留を受けました。

 大連教養院では、労働による再教育の時につける札をつけなかったため、独房に送られました。 独房で、看守は彼女の靴を脱がして身体検査をし、靴を履いたまま彼女の裸足を踏みつけました。また彼女の服を脱がせて鉄棒に縛りつけて吊るし、大きなフックで汚れたエプロンを彼女の口に力任せに押し込んできたそうです。 看守らは彼女の両腕を一直線にさせ、左足は足を上に向くようにして縛り、右足は縛らずに前後左右に動かして、彼女に耐えられないほどの痛みを与えました。

 さらに看守は、彼女の足の裏を小さなハサミで刺したり、椅子の高い部分に会陰部を合わせて揺さぶったり、革靴で陰部を蹴ったりしました。また尖ったモップの柄を陰部に叩きつけたため、陰部が損傷して化膿し、肉まんのように膨んで、大出血してしまいました。椅子で揺さぶられている時、仲さんはあまりの痛さに 「あっ!」と声を出し、 口の中にぎっしり詰まっていた布を噴き出し、じたばたしているうちに体を縛っていた縄も切れてしまいました。

 さらに看守は、水の入った大きなコーラの瓶を使って、仲さんの口に流し込みました。 口を開けないと、水の入った瓶で口を叩き、口を腫らしました。その後、紙を持って来て、法輪功の修煉をあきらめる誓約書を書かせようとしました。仲さんが断ると、また拷問を続けました。仲さんは、このような非人道的な酷刑と性的な拷問を受けました。

 仲さんは、馬三家労働教養所でも「転向」(法輪功の修煉を放棄する)を断ったため、さまざまな拷問を受けました。 寝ることも許されず、1カ月に3回は立ったまま寝てしまうほど眠かったといいます。 一晩中、9人のユダ(修煉を放棄して転向した法輪功学習者)に苦しめられました。仲さんの鼻や顔、首筋には細長い紙切れが貼り付けられ、高い帽子をかぶり、大法に対する卑猥な言葉を書いた紙のベルトが巻きつけられました。 数人のユダが彼女を引きずって殴りながら歩き回りました。 壁には悪いスローガンが貼られ、ユダは大きな板で壁から仲さんを吊り、「三書」(法輪功の修煉を放棄する誓約書)を書かせようとして、彼女の手を押さえつけたため、手の皮は破れて青あざができてしまいました。これは、馬三家労働教養所で仲さんが受けた迫害の一例に過ぎません。

 遼寧省の女性刑務所では、「転向」しないことを理由に、仲さんに半年間、トイレットペーパー1枚も与えないこともありました。

 仲さんは意志がとても強く、自分が大法の恩恵を受けており、大法の素晴らしさを知っているため、洗脳班や教養所、刑務所でいかなる残酷な拷問を受けても「三書」などは一切書きませんでした。

 仲さんは刑務所の邪悪な環境で迫害によって体が非常に弱くなり、条件付きの「医療仮釈放」もありましたが、その誘惑を受けずに依然として法輪大法への信仰を守り続けました。

 より多くの人に法輪功の真相を知ってもらうため、警官らが仲さんを連行するのを目にして精神障害を起こした娘を連れて、市で真相の資料やカレンダーを配ったり、「三退」を勧めたりもしました。 数々の迫害を経験しながらも、世の中の救いのために無私無欲で働き続けたのです。 ある時、夜8時半ごろに彼女の家に行くと、ご主人と一緒に餃子を作っていたので、「どうしてこんな夜に餃子を作っているんですか」と聞くと、「夜道は人が少ないので、夜に餃子やご飯を作って、昼間は人を助けるために時間を使っています」と答えました。

 仲さんの夫は、以前に大連のある駐屯軍の幹部を務めていて、復員してからは大連石油化工会社で働きました。仲さん夫婦は2014年頃、退職後は部隊から借りた家は返すという規程に従って、家を部隊に返しました。しかし、同じく部隊から家を借りたほかの同僚たちは、退職後も家を返すことなく持ち続けていたのです。仲さんは法輪功を修煉してから、いつも他人に配慮し、利益に誘惑されずに大法の真善忍の理念に基づいて行動していました。

 また、仲さんは同修のため、自分の家を学法の場所として提供し、同修たちに「学法がしたかったら、いつでも家に来てください。誰でも歓迎しますよ」といつも言ってくれました。

 2017年4月10日午後4時半頃、甘井子裁判所で仲さんに対する不当裁判が終わり、私たちが裁判所の入り口に立っていたところ、同修の1人が彼女の名前を大声で呼びました。それを聞いた彼女は、手錠をかけられた手を上げて私たちに手を振りました。私たちも手を振り返し、彼女に対する心配の気持ちを伝えました。しかし、その日が彼女と永遠に別れる日になるとは、思いもしませんでした。

 仲淑娟さんは亡くなりましたが、抑圧に抗い、生死を恐れない彼女の揺るぎない意志は、永遠に私たちの心に刻まれると思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/9/436621.html)
 
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