「隔たりに関する私の浅はかな理解」を読んでの感想
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年3月1日】「隔たりに関する私の浅はかな理解」という記事は非常によく書かれており、私を啓発してくれました。私の理解を修煉者と共有したいと思います。

 文章の中には「隔たりは、大法弟子が師父に協力して衆生を救うことを妨げます」

 「隔たりとは、大法弟子がお互いに全体を形成することを妨げる要因であり、これは旧勢力の常套手段なのです」

 「師父を信じ、大法を信じる。師父の話を聞き、法に従えば、すべての隔たりは法によって解消されます」と書かれています。

 数年前までは、私と同修との間に常に隔たりがありました。それは、私が法を熱心に学んでいないことが原因でした。

 私は法輪功迫害の真実を明らかにするパンフレットを作るとき、いつもプリンターの調子が悪くなり、専門知識のある同修に修理を依頼することがよくありました。

 しかし、ほとんどの場合、彼はプリンタの問題を見つけることができず、私に内に向かって探すようにと言いました。私はやはり、自分の闘争心を取り除いていないのでしょう。

 同修との交流において、私は常に威張りすぎるため、同修たちは私の提案を受け入れず、学習者全体のまとまりを阻害するような隔たりを形成していました。

 私は後で反省するのですが、やはり大事な場面ではどうすることもできません。まるで持病のように、この失敗を繰り返していました。

 旧勢力が私の抜け穴を利用したことは理解していましたが、どうしても心性を守ることができませんでした。私は自分の魔性を取り除きたいと強く思っていました。

 私は同修に勧められ『轉法輪』、『洪吟』などの法を暗記するようになりました。この数年間で、私たちは徐々に互いの隔たりを解消し、一つの全体を形成してきました。

 私のプリンターも今は正常に作動し、技術的な専門知識を持つ同修にここ数年、助けを求めたことはありません。

 「忍耐」については、私たちの地域の同修は非常によくできています。数カ月前、激しい迫害を受けて障害を負った同修・Aさんを訪ねたことがあります。

 Aさんは私にこう言いました。「少し前に、同修・Bさんが私を訪ねてきました。Bさんの言ったことが嘘だとわかったので、叱り飛ばして泣かせました。実は、Bさんはとてもよく修煉しています。その後、Bさんがまた訪ねてきました。私はBさんに自分の言ったことがいけなかったと後悔し、私は思いやりの心を修めていなかったので、このことに注意しなければなりませんと伝えました」

 先週、Aさんが車で訪ねてきて、私と交流したいと言いました。私は驚きと罪悪感を覚えました。3カ前の7月20日にも、彼は私と交流しに来ました。その日はいわゆる敏感日であり、Aさんの身体的な不都合から私の家に入ることができなかったので、家の外で交流をしました。

 その日、私は不満があり、Aさんに不適切なことを言い、実際に彼を追い返しました。彼が去った後、私は大法の本をよく読むと自分が間違っていることを知り、機会を見つけて彼に謝るつもりでした。

 しかし、Aさんは何の隔たりも感じさせず、また率先して私を訪ねてきました。私は感動し、彼の思いやりに感心し、謝りました。

 Aさんは「私たちは同じ修煉者です、あなたのことは全然嫌いじゃないですよ」と心から言ってくれました。彼は私に「あなたは自分の意見に固執するのをやめたら、あなたの修煉もより良いものになるでしょう」と励ましてくれました。私は心から感謝しました。

 私が傷つけてしまった多くの修煉者たちは、とても寛容で、Aさんのように私を励ましてくれました。私は恥ずかしくなりました。

 私は皆に追いつくために、そして闘争心をなくすために努力していきます。

 「比して学び、比して修す」 [1]、そして私は一日も早くこの法の基準に到達したいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/26/432904.html)
 
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