重慶市の高興芳さん(78)は 年金支給を停止された
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 【明慧日本2022年3月10日】重慶市栄昌区広順鎮の政法委員会(治安・司法などを統括する機関、以下、政法委)の「ゼロ行動」の関係者は、2021年9月以来、ほぼ毎日のように学習者・高興芳さん(78歳女性)に嫌がらせをし、法輪功を諦める資料にサインを強要した。高さんは迫害に協力せず、放浪生活を余儀なくされた。政法委の関係者は高さんの子供、夫に電話をかけ、高さんの行方を強いたが、家族も協力しなかった。広順鎮社会保険センターは2022年2月から、高さんへの年金支給を停止した。

 高さんは栄昌県永栄鉱務局双河煤鉱八井の職員家族である。かつて片頭痛、鼻炎、視力低下、歯茎の出血、難聴、椎間板ヘルニア、慢性腎臓炎、婦人病などの病気を患ったが、子供がたくさんいたため、治療する費用がなかった。

 1997年3月、高さんは法輪功を学び始めた。わずか2カ月で全ての病気が完治し、家族も仲睦まじくなった。高さんは「真・善・忍」の教えに従い、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず、名利のために争わず、他人のことを最優先に考えるようになった。社会においても、家庭においても、高さんは優しく寛容に接していた。

 しかし、1999年7.20から中国共産党の元首魁・江沢民は法輪功が道徳向上と健康保持の良い効果を無視し、国家と法律の名義を盗用し、法輪功に未曾有の残酷な迫害を始めた。高さんは何度も身柄を拘束、殴打、拘禁され、2年の労働教養処分を3回科されたことがある。苦役、睡眠の剥奪「三書」を書かせるなどの迫害を受けた。

 高さんが経験した迫害の真相は下記の通りである。

 2001年7月、高さんは四川省瀘県石橋壩で法輪功の無実を伝えた時、地元派出所の警官に身柄を拘束された。手は車のガードレールにきつく手枷をかけられたため、手首の骨まで露出してしまった。高さんは芙節派出所に1カ月拘禁された。その期間、手枷をかけられてシャワーも浴びれなかった。

 2002年4月、高さんは重慶渝北区洛磧鎮で地元派出所の警官に身柄を拘束され、手枷をかけられながら、街で引き回されて見せしめにされた。高さんは江北区公安局に拘禁され、4カ月間苦役を強要された。その後、2年の労働教養処分を科され、江北区毛家山女子労働教養所で迫害された。

 高さんは、労働教養所で毎日長時間働かされて、法輪功と創始者を誹謗中傷するビデオを見せられ「四書」と転向を強要された。「転向」しない人は睡眠を剥奪され、長時間立たされた。高さんは「転向」しないため、独房に閉じ込められた。

 2006年8月、高さんは栄昌の自宅で、侵入してきた地元と永川の610弁公室の関係者十数人に家財を押収され、身柄を拘束された。高さんは抵抗したが、警官3人に強制的にパトカーまで引きづられた。高さんの娘は阻止しようとしたが、警官に殴られて怪我をした。当時の高さんはパジャマのまま、裸足で栄昌県留置場に一晩拘禁された。

 翌日、重慶市永川区610弁公室の鄧光其など4人は高さんを永川区勝利派出所まで連行した。そこで高さんは顔があざだらけになるまで殴られて、目は腫れて何も見えず、歯はグラグラになり、前歯4本が抜けた。午後、高さんは永川留置場に移送され、2年の労働教養処分を科され、女子労働教養所に拘禁された。その期間、高さんは睡眠を剥奪されて太陽の下に晒され、コンクリートの床に寝かせ、苦役をさせられた。

 2010年、高さんと唐世孝さんは法輪功の無実が入ったDVDを届けに行った時、永川610弁公室の鄧光其など4人にパトカーに手枷をかけられた。警官・黄に殴られ、腕は骨折し、再び2年の労働教養処分を下された。高さんは重慶江北女子労働教養所に移送される途中、身体検査が不合格だったため、送られなかった。

 2013年3月、高さんは栄昌県公安局により、地元留置場に5日間拘留された。

 同年8月、高さんは栄昌県公安局に身柄を拘束され、再度15日間拘留された。その後、高さんは重慶千竹溝洗脳班に送られ、20日間洗脳された。高さんは洗脳班で重慶610弁公室の関係者に睡眠を剥奪され、法輪功及び創始者を誹謗中傷するビデオを見せられて「三書」を書くこと、法輪功を誹謗中傷する歌を歌うことを強要された。

 江沢民グループによる法輪功への迫害は高さんのような多くの学習者、その家族、社会の友人などに大きなダメージを与え、中国社会にも大きな災難をもたらした。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/6/439718.html)
 
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