何度も迫害された代志東さん、管鳳霞さん夫妻が相次いで死亡
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 【明慧日本2022年3月24日】黒龍江省=明慧記者)黒龍江省大慶市薩爾図区の法輪功学習者・代志東さん、管鳳霞さん夫妻は、法輪功を学び続けたとして、中国共産党(以下、中共)の関係者らから繰り返し迫害を受け、その結果健康状態が悪化して相次いで死亡した。妻・管さんは2021年3月5日に亡くなり、享年60歳。代さんは2022年2月11日に死亡した。享年61歳。

管凤霞

管鳳霞さん

 管さんは、1995年に法輪功を学び始めた。法輪功は中国の伝統修煉法で心身の健康に高い効果をもたらす気功で代さんは心身ともに健康になった妻の変化を見て、1996年から法輪功を学び、それまで治療できなかった多くの病気が回復した。「法輪功を修煉してから、病気の苦しみから解放されただけではなく、魂が救われ、良い人間になる方法も分かるようになりました」と代さんはよく話していた。

 しかし、1999年7.20、中共の江沢民集団は「その名誉を腐らせ、その経済を断絶させ、その肉体を消滅させる」というジェノサイドの迫害政策を打ち出し、学習者に対して経済的略奪、嫌がらせ、連行、拘禁、洗脳、労働教養、不当判決、拷問、虐殺などの残酷な迫害を行ってきた。20数年来、代さん夫妻は繰り返し迫害を受け、家族崩壊に追い込まれた。

 管鳳霞さんが受けた迫害

 1999年9月から2000年の間、管さんは洗脳班に送られて24時間監視され、法輪功を放棄するよう強制され、法輪功を中傷する映像を見せられた。

 洗脳班から帰ってきた管さんは、勤務先では掃除などの雑務に異動させられ、勤務先で4、5カ月間軟禁された。その時、夫・代さんも拘禁されていたため、家には12歳の子供だけが残されていた。

 2000年6月18日、管さんは夫と一緒に子供を連れて北京へ陳情に行ったところ、列車内で連行され、チチハル鉄道公安支局留置場に45日間拘禁された。

 2000年12月28日、管さんは再び北京に陳情に行き、大慶駅で連行されて労働教養2年を強いられ、チチハル双合女子労働教養所に送られた。

 労働教養所で、管さんは睡眠を剥奪され、殴打、侮辱、水や食べ物に薬物を投与された。また、毎日農薬を詰める重労働を強制されたため、農薬の成分が鼻や気管に入って身体を損傷し、咳が止まらなくなった。

 2002年、管さんは労働教養所から帰宅すると、夫が懲役7年の実刑判決を宣告されて、刑務所に拘禁されていることをはじめて知った。

 2019年~2020年まで、中共関係者は「ゼロ行動」を実施し、学習者に法輪功を放棄させることを強要した。管さんは薩爾図区慶東コミュニティ、薩爾図区支局の警官による嫌がらせを何度も受けた。

 肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けた管さんは、体調がますます悪化し、子宮筋腫から出血し、食事も喉を通らず、体が細く痩せてしまい、治療しても治らず、2021年3月5日に亡くなった。

 代志東さんが受けた迫害

 1999年12月、代さんは北京へ陳情に行ったところ、地元の中共関係者に阻止され、3000元(約5万7000円)をゆすり取られた。

 2000年4月、代さんは警官により慶東派出所まで騙されて連れていかれ、30日間不当に拘束された。

 2000年5月12日、代さんは新星派出所の警官らにより連行され、15日間拘束された。

 2000年6月、代さんは家族連れで北京へ陳情に行ったとして、地元に連れ戻され、75日間拘禁された上に、食費500元(9000円)を支払わされ、さらに4000元(約7万6000円)を強要された。その時から、勤務先は「観察する期間」のため、代さんに毎月100元あまりの生活費しか支給しなくなった。同年11月、代さんは職を失った。

 2000年12月、東風新村九区派出所の警官らが、代さんを連行しようとしたが、代さんは自宅から逃げ出し、放浪生活を余儀なくされた。

 2001年1月2日、放浪生活中の代さんはハルビン市で、バイトを探すために運転免許証を見せたところ、ハルビン市太平区の警官らにより連行され、18日間拘束された。その後、警官は2000元(約3万8000円)を要求した後、代さんを地元の慶東派出所に移送した。代さんは慶東派出所で、両手を後ろにして手錠をかけられた状態で7時間以上も尋問された後、派出所を抜け出して再び放浪生活となった。

 2002年4月22日、代さんは再び連行され大慶市留置場に拘束され、唐辛子の汁を注がれるなどの拷問を受けた。同年5月21日、代さんは譲胡路公安局に移送され、引き続き拘禁された。その期間中、代さんは64日間断食して迫害に抗議したとして、無理やりに管を挿入され灌食をされたため、吐血して危篤状態に陥った。その後、手錠をかけられ、口からは血が流れ、顔が黄色い代さんは、留置場に戻された。

 同年9月6日、代さんは譲胡路裁判所に懲役7年の実刑判決を宣告され、大慶刑務所に拘禁された。刑務所で、代さんは様々な拷問を受けた。

 2009年4月21日、冤罪を終えて帰宅した代さんは、バイトで生活を維持していたが、近年「ゼロ行動」の迫害環境の中で、コミュニティの関係者、地元の警官による嫌がらせを受け続けていた。

 2002年1月8日昼11時頃、代さんは林甸県のガソリンスタンドで給油していた時、法輪功迫害に関する資料を店員に渡した。その店員が警察に通報したため、代さんは4、5人の警官により林甸県公安局まで連行された。警官はまた代さんの家に行って家宅捜索を行い、法輪功の書籍と5000元(約9万4000円)の現金を押収した。

 翌日(1月9日)、林甸県の警官はさらに1万元(約19万円)を強要してから、代さんを自宅に帰らせた。警官はまた「明慧ネットで暴露するな」と脅した。

 代さんはバイトで生活を維持していたため決して裕福ではなく、妻・管さんは亡くなる前に数万元の借金を抱えていて、経済的に窮地に立たされた。今回、代さんが借金を返すために節約して貯めた1万5000元(約28万円)も、再度ゆすり取られた。何度も打撃を受けた代さんは、帰宅してわずか35日目の2022年2月11日に亡くなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/17/440152.html)
 
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