【明慧日本2022年3月26日】陝西省西安市で2021年10月7日午後7時頃、中国共産党から残酷な迫害を受けていた西北工業大学の准教授の法輪功学習者(以下、学習者)邢文珍さんは79歳で亡くなった。
邢さんは1942年に学者筋の家庭で生まれた女性で、西北工業大学の准教授を務め、1995年9月に陜西省教育業界の優秀教師として選ばれた。
邢さんは善良で責任感が強く、実直で素朴な先生で、生徒から愛され、同僚からも尊敬されていた。法輪功を学ぶ前は高血圧、腎盂腎炎、脳震盪の後遺症による気血両虚など、多くの病気を抱えていた。20代から、突然の意識不明や両腰や関節の広範囲な炎症に何度も見舞われた。長年の間、邢さんは栄養薬と栄養価の高い食品に頼ってきた。法輪功を習った後、邢さんは健康を取り戻し、薬も栄養食品の依存もやめた。邢さんは仕事に熱心し、コツコツと働き、個人の利益を軽く見れるようになった。1996年7月、邢さんは教授職を得る機会を放棄し、若い教師に譲った。
1999年7月、中国共産党が法輪功への迫害を開始した。それから邢さんは6回にわたって不当に連行され、労働教養を強いられ、留置場や洗脳教室などに拘禁された。
1999年11月、邢さんは大学の講義停止を強要された。同年12月、邢さんは北京の陳情事務局に行ったとして拘束された。
2000年1月、邢さんは西安に戻させられ、留置場に15日間拘束された。その後、大学に戻ったが、大学に16日間監禁された。
2000年9月、邢さんは他の学習者の文章『私はなぜ法輪功を修煉し始めたのか』を広めたとして、同大学の派出所警官に連行され、留置場に入れられた。2カ月後、陝西省610弁公室に2年1カ月の労働教養に強いられた。この間、西北工業大学は邢さんに定年退職を強要した。さらに邢さんは、2001年の1年間の退職後の年金を差し引かれた。
2004年4月から邢さんは洗脳班に102日間拘禁された。同年10月、大学派出所警官ら10数人が邢さんの家に押し入って家宅捜索を行った。2008年7月、北京オリンピックの前、パトカーが毎晩邢さんの自宅付近で止まっており、同時に、邢さんの建物の一階に監視カメラも設置された。
邢さんは修煉の道をしっかり歩んでおり、朝の煉功は従来遅らせることはなく、煉功の音楽がないときでも、両手を下腹部の前で重ねる動作や合掌は音楽のタイミングとぴったりだった。
邢さんの夫は何年も前に病気で他界した。それ以来、邢さんは簡素な生活を送り、時には警察が嫌がらせに来ることもあったが、それをものともせず、逆に法輪功の素晴らしさを警官に伝えた。
しかし、ビッグデータの活用により、西北工業大学のキャンパスには多くの監視カメラが設置され、邢さんの家までの道路には3台のカメラが設置された。警察はよく「我々はおまえに接触したほかの学習者を逮捕しているぞ」と脅していた。 邢さんの自宅は徐々に孤立の島となり、常に監視下に置かれ、ほとんど外出もできないため、ますます閉鎖的になり、追い詰められた。
2021年9月、邢さんは自宅で再び嫌がらせを受けたが、無事に乗り越えた。しかし、この時、彼女はすでにかなり弱っていた。
2021年10月1日、79歳高齢の邢さんは突然倒れ、動けなくなり、意識朦朧で、大小便も失禁になった。長期の住居監視による「人間関係の遮断」のもと、邢さんはこの世を去った。
交流剥奪(こうりゅうはくだつ、affiliation deprivation)とは、心理学の用語で、孤立により他者と交流する条件が失われることを指す。
洗脳教室(「法輪功学習者を転向させるコース」)などの迫害の場で、多くの熱心な法輪功学習者は、信仰を捨てようとしない後、暗い小部屋に長時間閉じ込められ、天地も見えず、他人とも交流せず、失語、思考の遅れが生じ、中には幻覚、精神トランス、記憶喪失、ひどい場合は発狂することもある。 それは、学習者の意志の力を破壊する柔らかいナイフのようなもので、人道に対する罪の悪の一つである。そして、この迫害が人々の日常生活におけるハイテクと結びついたとき、それは間違いなく単なる迫害ではなく、人道に対する罪の増幅となるのです。 邢さんもその犠牲者の一人であ。