武漢学習者の余艶蘭さん 拘禁期間が終わる頃、洗脳班への連行と恐喝
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 【明慧日本2022年4月1日】武漢市漢陽区十里輔法輪功学習者・余艶蘭さんは2022年3月まで4年間違法に拘禁され迫害された。拘禁される期間が終わる頃になると、派出所の警官らは家族に余さんを洗脳班に送ると恐喝した。

 余艶蘭さんは心身共に健康になる法輪功を信仰しており、2015年、法輪功の迫害の事実を市民に伝えたというだけで、不当に懲役3年の実刑判決を言い渡された。拘禁期間の終了後、さらに懲役4年の実刑判決を宣告された。余艶蘭さんの実家は蔡甸区快活嶺であり、その後、漢陽区に嫁いだ。しかし彼女の戸籍がどこにあるか知らなかった。

 2018年3月10日、余艶蘭さんは他の学習者と一緒に五里墩で法輪功の迫害の事実を伝えていた時、五里派出所の警官、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に連行された。その後余さんの自宅に誰もいない時に、警官らは勝手に入り、私物を押収し、当日の夜、余さんと他の学習者を漢陽顎頭湾留置所に連行した。その後家族に会うことも許されなかった。

 余艶蘭さんが受けた迫害

 余艶蘭さんは法輪功を修煉したというだけで、2001年8月9日の午後4時ごろ、自宅で武漢市漢陽公安局分局琴断口派出所の警官と、紫荆ガーデンのコミュニティーの担当者に連行され、琴断口派出所に拘禁された。その後、警官らは余さんの家に押し入り法輪功の書籍など私物を押収した。

 余さんは拘禁された期間中、鉄製の籠のようなものに閉じ込められて、警官らは余さんに対して3昼夜、拷問を行い、寝ることも許されなかった。その後、余さんは第一留置所に移送された。拘禁中、警官は余さんに留置場のルールを暗記させたが、余さんは断ったため、罰として立たせて、幾昼夜も寝かせなかった。その後、強制的に留置場のルールを暗記させたが、余さんは再度断ったので、結局警官は余さんに手錠をつけたまま鉄の柵に吊り下げた。  

酷刑演示:吊铐

拷問の実演、手錠で吊り下げる体罰

 ある日の朝、余さんは煉功していたところ、警官・陸華が煉功するなと大きな声で叫び、余さんを手錠でベットにある鉄棒に吊り下げた。足がベットより2センチほど離れていて、余さんは宙に浮く状態で3昼夜、その状態のままだった。暑い日でも、シャワーを浴びることや、トイレに行くことも許されなかった。手錠が肉に食い込んで錆が出るまでになって警官はやっと外した。

 余艶蘭さんは武漢第一留置場で1年間半ほど拘禁され、その後懲役3年の実刑判決を言い渡された。2003年1月、武漢女子刑務所の第1区の第3隊まで移送された。拘禁された期間中、警官は強制に余さんに留置場のルールを暗記させたり、公安部、民政部が公布した公告を書かせたり、法輪大法及び師父を誹謗中傷するビデオを強制的に見せたり、さらに他の受刑者に命令して余さんを24時間ずっと見張らせた。また他人に話しかけることも許されなかった。毎日10時間以上労働させた上に、余さんの身の回りを強制的に探し、ハサミで布団を破って、法輪功の書籍を奪い、家族に会うことも許さなかった。

 余艶蘭さんは懲役3年の拘禁が終了し解放された後、2008年5月、自宅で琴断口派出所の警官と、紫荆ガーデンのコミュニティーの担当者に漢陽陶家嶺洗脳班に連行された。24時間ずっと監視され、煉功することは許されず、強制的に法輪大法及び師父を誹謗中傷するビデオを見せられ、強制的にいわゆる洗脳心得を書かせられ、法輪功を修煉しないと言う保証書を書くことを余儀なくされた。

 余艶蘭さんは2015年、2018年再び連行された。不当判決など状況は調査待ち

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/28/439473.html)
 
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