赤峰市の季雲芝さんが迫害死 警官多数が遺体を見張る
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 【明慧日本2022年4月7日】内モンゴル赤峰バリン左旗の法輪功学習者・季曇芝さんが迫害で亡くなった後、バリン左旗公安局は多くの警官を動員し、季さんの遺体を厳重に見張った。

 命を失った遺体に対して、当局はなぜそれほど多くの警察を動員したのだろうか。一体何人の警官が動員されたのかについては、監視・戒厳などの強制措置により、具体的な人数を知ることはできなかった。しかし、それほどの警官を動員して遺体を見張ることは、とても奇妙だ。実はその目的は、殺人グループによる罪悪の隠蔽だ。

 病院の廊下は警官で埋め尽くされ 意図的に恐怖の雰囲気をうみ出した

 季さんが亡くなったことを知った家族は、病室に入って季さんの最後の顔を見たいと要求したが、公安局に拒否された。家族はドアの外から、季さんの食道が切られ、顔と肩に血痕があるのを目撃した。

 その時、病院の廊下はすでに警官で埋め尽くされていた。そして、警官らは季さんの家族をそのフロアから追い出し、エレベーターを停止させた。

 悪い事をして後ろめたいバリン左旗公安局の警官らは、殺人の証拠が流出することを恐れ、大量の警官を動員して遺体を見張った。

 季さんの食道は切られ、遺体には大量の血痕がついていた。それはなぜだろうか? あの警官らは、決して季さんを救うためではない。もし少しでも人間性があれば、3月20日の午前、公安局は季さんの夫に病院へ見舞いに行くように連絡したはずである。夫は、すでに恐ろしい結末を予想できた。夫は公安局に釈放手続きを要求し、季さんを連れ戻そうとしたが、担当警官は「リーダーが許可してくれなかった」と釈放を拒否した。そして3月21日、季さんはこの世を去った。

 1人の遺体にそれほど多くの警官を動員したのは、罪の隠蔽以外に、もう一つの理由が考えられる。それは、季さんの家族への脅迫だ。つまり、遺体を調べたり、写真を撮ることを許さないのだ。

 葬儀場で4、50人の警官が見張りに

 警官らが季さんの遺体を密かに葬儀場に運んだ後、すぐさま4、50人の警官が葬儀場で見張った。季さんの家の周りにも特別警察隊や刑事公安、私服警官がやってきて見張りにつき、監視した。

 もし生きているならば逃亡を恐れて、多くの警官を動員することは理解できるが、すでに葬儀場に運ばれた遺体なのに、なぜこんなに大きな警察力を動員したのか? それは殺人の罪が明らかになるのを恐れ、必死に隠そうとしたのだろう。そして季さんの家族を黙らせようと脅すためだ。

 季さんは、2022年2月1日に連行されて3月21日に亡くなるまでの48日間、毎日痛めつけられていた。

 季さんは生前、警察や犯人に拷問され、殴られた

 2022年1月1日、バリン左旗公安局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の大隊長の徐剣峰、副隊長の韓東棟など9人の警官が季さんの家に押し入り、季さんを連行して左旗2号病院で身体検査を強要した。検査が始まると、季さんは痙攣を起こし、立ち話もできなくなり、嘔吐も止まらなくなった。警官は「病気を装うな!」と言い、冷たい床の上に季さんを長時間放置した。

 季さんは留置所に不当に拘禁された後、断食して迫害に抗議した。そこで留置所所長の高永剛、監察医の田志軍、及び刑務官と受刑者からの罵り・凌辱・拷問を受けた。所長の高永剛は監察医の田志軍に命じて季さんの鼻にパイプを刺し、パイプを通して食を入れた。田志軍は、何度も季さんを平手打ちした。

 留置所の受刑者・孫麗穎 (影) 、張宇欣、李嘉新、張小芳、付思瑜、張会婷、仁爽などの囚人は季さんを迫害するよう指示され、何度も季さんを連れ出して殴打した。季さんを痛めつけた後、501監室に移して迫害を続けた。そこの受刑者の宋長影はさらに冷酷で手口があくどく、引き続き受刑者の思瑜、張会婷、仁爽と他の受刑者に、李さんの迫害を指示した。

 最後に、看守所長の高永剛、監察医の田志軍、その他の刑務官は、季さんが瀕死の状態となったのを見て初めて左旗病院に移送し、何日もの救急手当をしていた。

 公安局から知らせを受けた季さんの家族は2022年2月11日、左旗病院に向かった。到着した家族は、危篤通知書に署名するよう病院に求められた。その時の季さんは足枷をつけたままで、意識を失っていた。

 家族は季さんを釈放するように公安局に申請したが、拒否された。そして3月21日、季さんは死亡した。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/29/440617.html)
 
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