明慧法会|身体障害者が修煉を始めて法を実証した道のり(一)
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2022年4月10日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2004年初め、偶然の機会から大法弟子の甲さんの家に行くことになりました。その時、甲さんの家にはすでに2人の大法弟子がいて、何人かの同修が集団学法煉功する準備をしていました。ほどなくして、同じく大法弟子の人がもう1人来ました。その人たちは私が帰らないのを見て、同修の乙さんが「私たちは法を学びますので一緒に学びましょう」と言いました。私は「いいですよ」と言いました。私は乙さんたちが法を読むのに静かに耳を傾け、今までに感じたことのない幸福感を感じました。

 一、貴重な書籍『轉法輪』を手にして大法の修煉を開始する

 法を読み終わった後、乙さんは私に「学びたいですか?」と尋ねました。私は「学びたいです!」と言いました。そして乙さんから貴重な本である『轉法輪』を渡されました。

 家に帰ってから数日は暇さえあれば『轉法輪』を読んでいました。不思議なことに『轉法輪』を読んだ途端、頭の中に雑念がなくなり、余計なことを考えなくなったような気がしました。私は夫に「この本の中には、まるで私のことが書いてあるようなところがあります。 大法の師父はどうして私の考えていることがわかるのでしょうか? この本はすばらしく、私も法輪功を修煉したくなりました」と言いました。

 2004年の正月5日、私は妹の家に遊びに行きました。到着してすぐに私は妹に「私は今法輪功を学んでいますが、残念ながら煉功することはできない(私は足の筋肉が萎縮していた)」と話しました。なぜかわかりませんが、話しているうちに涙が出てきました。帰ってきた妹の夫が泣いている私を見て、私が夫婦げんかをして泣いているのだと勘違いし「何があったんですか? 教えてください、この正月にいったいどうしたのですか?」と言いました。私は「法輪功を学んでいるのに煉功できないんです!」と言いました。妹の夫は「そんなに急ぐ必要があるのですか? ゆっくり煉功すればいいじゃないですか」と言いました。

 私が法を学び煉功することを熱望していることを師父がご覧になり、旧正月の9日目、同修の乙さんが私の家に来て、みんなと一緒に法を学び煉功するように、と言いました。私は「行きます」と言ったものの、心臓がバクバクしていました。 やっと同修と一緒に法を学び煉功できるのだという思いと、煉功できずにみんなに影響を与えてしまうのではないかという恐れの二つの感情があったからでした。

 当時は足の筋肉が萎縮して、まったくじっと立っていられず、常に足が捻じれているように感じました。煉功しようと思っても、3分も立っていられませんでした。

 同修の乙さんと功を学ぶ約束をしたその日、乙さんの家の玄関まで行ったところで緊張してドスンと倒れてしまいました。同修が助けに来てくれたので、私は「大丈夫です、自分で立ち上がれます」と言いました。

 法輪功の音楽を聞いた時、私はその場に立ち尽くし「数秒しか立っていられないのに、どうしたら煉功を続けられるだろうか?」と思いました。その瞬間、頭のてっぺんから体中に熱い流れが降りてきて、本能的に両手で顔をこすりました。突然、私の足は大木が根を張ったかのようにしっかりとそこに立っており、両足はとても安定していて、とても力が出てきて快適でした。その時は何が何だかわからなかったのですが、涙がポロポロとこぼれ落ちました。 正月に人前で泣くのは縁起が悪いと思い、私は泣くのを必死でこらえました。

 こうして、私は一気に1時間の動功を学びました。学び終えてからソファに座って泣きました。

 夕方、家で『轉法輪』の「灌頂」の一節を学びました。私は「同修の家で師父が私に灌頂してくださり、体が浄化された」とわかりました。そこで、その日の午後に起こった驚くべき出来事を家族に、泣きながら「とてもすごいです!」と話しました。夫も娘も息子も熱心に話を聞き、私が大法を修煉するのを支持してくれました。

 二、着実に修煉し面と向かって真相を伝え衆生を救い済度する

 修煉を始めたばかりの時、私は大法が素晴らしいことしか知りませんでした。同修が私のために真相資料を持ってきてくれ、とても読みたくなり、読み終わった後、市場に持って行って露店商に渡すと、その露店商も快く読んでくれました。私は同修に「その資料はどこで手に入れたのですか? 読みたいのでもっともらえませんか」と言いました。

 2004年11月末『共産党についての九つの論評』が発表され「三退」の大潮流が押し寄せました。私は同修の丙さんと一緒に大きな市場に行き『九評』と大法の真相冊子とDVDを持参して、大きな市場が開かれるごとに面と向かって配り、同時に真相を伝え「三退」を勧めました。多くのことはしていなかったのですが、結果はなかなかのものでした。その時に三退した人もいれば、三退しなかったけれども資料を受け取った人もおり「何が起きているのか教えてください」とその人たちは言いました。

 市場には白酒(訳注:蒸留酒の総称)の卸売業者がいました。旧正月に、同修の丙さんと私はこの卸売業者に『九評』を渡しました。この卸売業者はそれを手に取りひっくり返すと、たちまち顔が青ざめ、大声で「あなたは党に反対している!  ご存知のように、私は×××地方の共青団の代表です。 共産党は今腐敗していますが、良い方向に変わってきています」と叫びました。私たちは恐れることなく、冷静にこの卸売業者に「『天が中国共産党(以下、中共)を滅ぼす』というのは天意であり、天意には逆らえず、法輪功は人を善に向かわせよい人になるように教えており、共産党による法輪功への残酷な迫害は神によって罰せられるでしょう。あなたが読みたくないのなら返してください」と伝えました。私たちがそう言うと、この卸売業者はすぐに落ち着いて「読んでみます」と言いました。私が、よく読んでほしいと言うと、彼は「そうします」と約束しました。

 私の心は法に則っており、人を救うことを常に考えていたので、師父は救い済度することができる縁のある人を私のところに按排してくださったのでした。

 ある時、市場に行く前に自転車の空気を入れたばかりなのに、市場に着いたらタイヤの空気がなくなっていたことがありました。偶然はないはずだと思って見上げると、道路わきにパンク修理と空気入れの店がありました。私はいつも市場へ行きますが、ここでそのお店を見つけたのは初めてでした。私は自転車を押していき、私が叫ぶと店主が出てきたので、私は「すみません、空気入れを借りたいのですが」と言いました。店主は「使ってください」と言いました。私は使い終わると、店主に大法の真相を伝えました。 店主はあっさり中共の組織を脱退し、私は店主に『九評』と真相小冊子を渡しました。部屋に友人が数人座っているというので、店主は「友人たちにも資料を見てもらうことにします」と言いました。私は「それなら必ず大きな福報に恵まれます!」と言いました。

 ある日、床屋に行った時、床屋の店長に「三退すれば平安が保たれます」という話をすると、床屋の店長はとても喜び、自分で名前を選んで中共組織を脱退し、さらに「『轉法輪』をください」と言いました。再び髪を切るためにその床屋を訪ねると、床屋の店長は私に「『轉法輪』を読んでからは徳を失うことを恐れて、悪口を言いたい時でもあえて言わないようになりました!」と言いました。また床屋の店長は娘が脱党するのを手伝いました。床屋の店の店員2人も真相を理解し、中共組織を脱退しました。床屋の店長と店員2人にそれぞれお守りと『九評』を渡し、持ち帰って真剣に読んでもらい、家族にも読んでもらうようにしました。2人は嬉しそうに受け取りました。

 ある日、同修が私に「高速道路の橋の下の道路で出稼ぎ労働者が作業しています」と言いました。私は『九評』と大法の真相のお守りを持って、同修の丙さんと一緒に真相を伝えに行きました。何人かの人が真相を理解し、中共組織に入っていた人たちも脱退しました。その時、出稼ぎ労働者の一人が「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。私たちが話し終えると、出稼ぎ労働者たちが工事していた道路も修復されたので、出稼ぎ労働者たちは東に向かいました。まるで私たちが真相を伝えに行くのを待っていたかのようでした。

 修煉前は、常人の間での名声や財産の奪い合いがあり、その結果、嫁どうしは仲が悪く、顔を合わせないことさえありました。修煉後のある日、同修の丙さんが私の義妹の家族全員に真相を伝えて義妹の家族を救わなければならない、と言いました。私は「行きません、前にもひどい目にあったんですから!」と言いました。夜、寝返りを打ちながら、丙さんから義妹たちに真相を話すように言われた日のことを考え、胸が痛み「私は間違っていた、これは人の理で善悪を論じているのだ!」と思いました。私は修煉者なのに、なぜ常人と同じなのでしょうか? 師父は「あなたは常人ではなく、常人から抜け出そうとしているからです。常人の理で自分を要求してはならず、高い基準で自分を律するべきなので、皆さんは必ずこのように行動すべきです」[1]と説かれました。

 義妹とはこの人生においての家族であり、どれだけ大きな縁があるのかわかりませんでした。私は師父の弟子であり、人を救うのが私の使命でした。修煉者に敵はいないのに、ましてや義妹たちは敵ではないのに、どうして義妹とその家族を救わないのでしょうか?! 朝起きて、同修の丙さんを見つけ、自分の考えを話しました。私は「私は彼らを救いに行きます」と言いました。

 ちょうど義妹の娘(私の姪)が出産して1カ月になったので、私はベビー服を買い、首飾りを作り、義妹の家に行きました。義妹はフルーツで温かく私をもてなしてくれました。真相を伝えた後、義妹は三退しませんでしたが、その後、私が同修の丙さんと市場へ行って真相を伝えに行く途中、義妹の家の前を通りかかり、私は再び義妹に三退の重要性を伝え「天を驚かす」という小冊子を渡しました。弟が半分冗談で「説明係がまた来た、今回私たちは三退します!」と言いました。義妹に紙とペンを持ってきてもらい、弟の家族内で中共組織をすべて脱退してもらいました。義妹も「神霊を信じています」と言いいました。

 三、資料を作る中で自分を修める

 2006年の夏、協調を担当する同修が、私の自宅に大法書籍を作るための資料拠点を作りたいという提案をしました。なぜなら夫も娘も息子もみな大法がすばらしいことを知っており、私の修煉に反対していなかったからで、私は二つ返事で承諾しました。

 私はずっと明慧ネットに関わりたいと思っており、2007年末、技術担当の同修からパソコンとプリンターを譲り受けた私は、地元の同修が真相を伝えるための資料を作り、三退名簿を送付する仕事を引き継ぎました。私は生活のために仕事をする必要がなく、自分の時間を必要に応じて使うことができ、自分の周りや家庭の環境も良く、夫は「道を修めずとも既に道にいる」ような人なので、資料を作ることが私の誓約なのだと悟りました。正に師父が法の中で説かれた「中国大陸の学習者がこの恐怖と圧力に満ちた魔難の中で修煉し、真相を伝えていますが、それはあなたが歴史の中で決めたことであり、自分が当時このように行いたかったからです。しかも、多くの機縁によってこのように行わなければならないのです」[2]のようでした。

 インターネット初心者だった私はマウスすら使うことができず、息子に「使い方を教えてほしい」と言うと、息子は私を怒鳴り、私があまりにバカで、息子が私に教えたインターネットの要点を書き留めておかなければならない、「紙に書くならともかく、心の中に書き留めるのはダメです!」と言いました。心性が守れなくなると、年長者という立場を利用して息子にプレッシャーをかけました。心を静めて考えてみれば、息子の状態は自分の状態ではなかったでしょうか? 修煉する前は私はこのような性格で、修煉後はだいぶ良くなったものの、まだ時々修煉前の状態が出てしまう傾向がありました。息子は「子供の頃、文字が書けないと僕はお母さんに叩かれた!」と言いました。これは師父が私のために按排してくださった心を修め執着を取り除く良い機会でした。

 私は法を学び続けることによって、多くの法理を理解するようになりました。法を正す時期の大法弟子は衆生を救い済度するために自分をしっかりと修めなければならないことを知りました。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一二年米国首都国際法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [5] 李洪志師父の経文:『理性』 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/15/433170.html)
 
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