明慧法会|身体障害者が修煉を始めて法を実証した道のり(二)
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2022年4月12日】(前文に続く)

 資料を作り始めた当初は機器の調子が悪いことが多く、ちょっとしたことで技術担当の同修を困らせることがありました。師父は「万物にはみな霊があります」[3]と説かれました。そこで私は常にパソコンとプリンターとコミュニケーションをとりました。パソコンとプリンターは本当に理解力があり、時にはそのレベルを超えて能力を発揮することもありました。例えば、ある金曜日、全体で協力して正念を発し、土曜日に大きな市場に行く計画を立てました。しかし昼になると、同修が資料拠点に資料を受け取りに来たいと言い出しました。朝食後、私は市場へ行き、野菜を買い、野菜売りに真相を伝え、三退させ、資料を印刷しに帰り、12時の発正念の前に資料の入力作業を終えることができました。

 しかし私の状態が悪く、妨害されてプリンターが正常に動作しないこともありました。ある時、心性を守れなかったために同修と言い争ったことがありました。翌日、資料を作成する際、プリンターのインクを供給する管に空気が入り、私は呆気にとられ、資料を印刷することができませんでした。自分が間違っており、自分の修煉状態が法器に反映されていることを知りました。心を静めて自分を探し、自我を実証しようとする心、恨む心、競争心、嫉妬心、優越感などなど、やはり自分が正しいと思っており、その執着心を手放すのがとても難しかったのです。

 師父は「神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」[4]と説かれました。私はわだかまりを解き心を静めました。その後、プリンターに不具合があると、まず自分で修正し、少し手を加えることでプリンターが楽しく動くようになりました。

 現在(訳注:2021年11月)私の村の自宅の資料拠点が四つ増え、ストレスが和らぎましたので、異常気象や特別な事情がなくても、同修と協力して面と向かって真相を伝え、人を救いに行くことができました。息子が私のために選んでくれた小型三輪スクーターで、同修を連れて一緒に人を救いに出かけました。

 この何年かで、気持ちを緩めたいと思ってしまった時に明慧ネットにログインして、師父が世間を静観される大きな写真を見て、人を精進に駆り立てるような正念正行した同修の修煉体験を読むととても恥ずかしい気持ちになり、正念が戻ってくるのがわかりました。私はなかなか移動ができないので、他の地域の同修とあまりコミュニケーションをとらないのですが、師父が世界中の大法弟子のために作られた交流プラットフォームである明慧ネットにログインして、世界中の同修の交流文章を読むようにしていました。

 四、闘争心を取り除き法を実証する

 同修が何人か連行され、私も警察署に連行され、その後拘置所に入れられました。

 警察署では警察に協力せず、名前も言わず、サインもせず、負けじと警官に真相を伝えました。途中、私は1人の警官に「私たちをどこに連れて行くのですか?」と聞きました。その警官は「知りません」と言いました。私は「知らないのにあなたは車に乗って何してるのですか? 真夜中に、数人の主婦に対してあなたたち警官が弾薬を搭載し大勢の警官を動員する価値があるのですか? 真・善・忍に基づいて行動している善良な人々を逮捕していることをあなたたちは知っているのですか?」と言いました。警官たちは誰一人言葉を発しませんでした。私が言っていることは間違ってはいなかったのですが、強い執着心を持って言ってしまったので、真相が伝わりませんでした。

 拘置所に拘禁された瞬間は「ここは私たち大法弟子の居場所ではない!」と呆然としてしまいました。しかしすぐに心を静めました。私はまず以前暗記した法を暗唱し始めました。不当に私たちを拘禁していた監房に設置された監視モニターを私は気にせず、寝食時以外はひたすら法を暗唱し、煉功し、正念を発しました。翌日、地元の警察署から警官が来て、警官たちの会話から私の法器(訳注:プリンター)はまだ無事で、警察は法器(訳注:プリンター)を発見しておらず、法器は私が衆生を救い済度するために出かけて法を実証するのを待っているのだとわかりました。ここは私の居場所ではなく、私の使命はまだ終わっていませんでした。私は地元の警官に「私は帰らなければなりません」と伝えました。警官の一人が「何か問題があるのであれば拘置所に相談してください。あなたは彼らあてに資料を書くことができます」と言いました。私が警官たちに真相を伝えるよう師父が悟らせてくださっているのだと私は悟りました。

 私は拘置所の売店スタッフに空き段ボールをもらい、慈悲の心を以って、修煉を始める前と修煉を始めた後の自分の心身と家族が受けた恩恵、法輪功が100以上の国と地域に広く伝わっていること、香港、台湾、マカオでは法輪功を公然と修煉することができること、法輪功が受賞した褒賞の数、法輪功が病気治療と健康保持に奇跡的な効果があることを書き出し、勤務中の警官に見せました。警官は読み終わってから「あなたはよくここで法輪功を宣伝する勇気がありますね? また、多くの褒賞を受賞し、香港・マカオでは公然と煉功しているのですか。私が言ったということは黙っていてください、たとえあなたたちの案件処理部門(私の地元の警察署を指す)から人が来てあなたの解放を求めたとしても、あなたを戻すことはできません」と言いました。私は動じることなく「あなたが決めることではなく、大法の師父がお決めになるのです!」と心の中で言いました。そこで、その日から絶食絶水を始めました。毎食後、看守がやってきて私が食事を食べたかどうかを同修に尋ねました。同修は「食べませんでした!」と言いました。すると看守たちは「食べなくても持ってこなければなりません」と言いました。

 絶食をしながらも、私は看守たちに真相を書き続けました。その日ちょうど書き終えたところで、当直の刑務官がやってきて「せっかくご飯を持ってきたのに、どうして食べないのですか?」と言ったのを覚えています。私は「食べられません」と言いました。その刑務官は「食べられなくても食べなければなりません」と言いました。私は答えず、その刑務官に資料を渡しました。その刑務官は受け取った後「読んでほしいなら、紙に書くしかないでしょう、この段ボールに書いて、どうやって読めばいいんですか?」と言いました。私は「私は紙がないんです」と言いました。するとその刑務官は「私が紙を取りに行ってきます」と言いました。その刑務官はA4の紙を2枚持ってきてくれたので、私はその紙にまた書き込んで、当直の警官に渡しました。

 5日目の朝、一人で少し目をつぶって正念を発していると、横で動きがあり、目を開けると目の前に署長と当直の警官が立っていました。署長は「あなたはなぜ外に出て点呼を取らないのですか?」と言いました。私は「行けません」と言いました。署長は「しかしずっと監房の中にいるわけにもいかないし、日に当たりに出ないといけませんね!」と言いました。私は「みなさんの好意に感謝します、お気持ちだけいただきます」と言いました。

 夕方、警官がジュージューと音を立てているワンタンを持ってきて、私に食べさせてくれました。私は動じませんでした。6日目、所長が私に家族に電話するように言い「これは特別の許可で、誰もベッドサイドで会う権利はなく、みんな鉄格子越しに数分間会うだけです」と言いました。師父が他の空間の邪悪をきれいにしてくださり、警察の善良な面が戻ってきたからこうなったのだ、と私にわかりました。

 午後になって、地元の警察署の人がまたやってきて「食べてもらわないと、明日あなたが帰った時に、私たちはご家族にどう説明したらいいのですか?」と言いました。また「私は今は帰らず、あなたが食べるところを見て、あなたが食べなければ私は帰りません」と言いました。地元の警察署の人は同修に頼んで私の枕元にご飯を持って来てもらい「夜お腹が空いたら、また何か作ってもらいましょう」と言いました。署長は「後でリンゴを持って来てください」と言いました。私は「ありがとうございます、気にしないでください」と言いました。邪悪な迫害が完全に解体されたことを私は知りました。署長は「明日は日曜日ですが、担当者がこの案件を終えて迎えに来るまでは私は仕事の休みに入りません」と言いました。

 次の日、家族が迎えに来てくれました。地元の警察署の警官も車でやってきて、どうしても帰りは車で送ると言い張りました。私は「必要ありません」と言いました。地元の警察署の警官たちは「タクシーだったら50元以上払わなければなりません」と言いました。こうして、私は7日間不当に拘禁された後に正々堂々と家に帰りました。

 五、孫が「私には師父がいらっしゃる」と言った

 娘は結婚して6年になりますが、一度も子供を産んだことがなく、あちこちで治療を求めましたが治りませんでした。2015年6月、江沢民告訴の大潮流が起きました。早速私は江沢民に対する告訴状について整理しました。私は足が悪くて外出できないので「郵便を送るのを手伝ってくれない?」と娘に聞きました。娘は「もちろんです」と言いました。その日の朝、娘は郵便局に行き、私の江沢民に対する告訴状を郵送しました。 翌日、私はインターネットで两高(最高裁判所と最高検察庁)が受取人の署名をしたのを見ました。

 またある同修が江沢民に対する告訴状に書く内容を整理するために私の家に来て、その同修はタイピングが遅いので、娘が代わりに打ってあげました。

 数日後、娘は急に食事を食べたがらなくなり、食べても吐き気がするようになりました。私は「法輪大法はすばらしい」、「真善忍はすばらしい」と心から唱えれば、師父が守ってくださることを娘に伝えました。それでも娘はまだ痛くて吐きそうでした。同修は「妊娠しているのではないですか?」と言いました。そこで病院で検査を受けました。医師は「彼女は妊娠しています」と言いました。娘は自分が法の恩恵を受けていることを知りました!

 現在(訳注:2021年11月)、小さな孫は5歳を過ぎ、賢くて活発で可愛いらしく、3歳にして師父の『洪吟』の多くの詩を暗唱し『師父に従って歩む』、『法輪大法はすばらしい』などの歌を歌うことができるようになりました。一度、ブドウと桃を洗って孫に食べさせると、孫は「おばあちゃん、師父に先に召し上がってもらおうよ」と言いました。私は孫に「師父に召し上がってほしいって言ったの?」と尋ねました。孫は「言ったよ」と言いました。私は「どのように言ったの?」と尋ねました。孫は小さな手で合掌して「師父、桃をお召し上がりください、師父、葡萄をお召し上がりください」と言ったのと言いました。

 武漢肺炎で街が封鎖された時、街にはほとんど人がおらず、孫が自転車で出かけようとすると、孫の母親が「遊びに行くと、悪党にさらわれてしまいますよ」と言いました。孫は少し口を尖らせて「どうして思いつかなかったんだろう? どうして思いつかなかったんだろう?」と言いました。私は「何を思いつかなかったの?」と言いました。孫は「僕には師父がいらっしゃること」と言いました。

 今年(訳注:2021年)、村の封鎖が解かれた時、私は孫や同修を連れて、真相を伝え、人を救いに出かけました。村では2人の中学生に出会い、真相を説明すると、2人の中学生は共青団と少年先鋒隊を脱退しました。このことで少し遅れ、遙か先の道路で同修が私のことを待っていました。それを見た孫は、私の前に駆け寄ってきて「おばあちゃん、早く、あの二人のおばあちゃんに追いついて! 早く、僕が誘導するよ」と言いました。

 今年(訳注:2021年)の夏休み、私は小型三輪スクーターを走らせ、孫と同修を連れて面と向かって真相を伝えに出かけました。縁のある人に出会うと、私と同修で真相を伝え、相手の人が三退した後、孫が急いで相手の人に真相資料とDVDを渡しました。

 家族全員が私が修煉することを支持し、みな中共の邪悪さを知っており、夫、娘、婿、息子はみな高等裁判所および高等検察庁に江沢民に対する告訴状を送り、みな高等裁判所および高等検察庁から返送された受領証を受け取りました。これはすべて、すでに弟子のために道を開いてくださった師父から与えられたものであることを私は知っていました。そして中共ウイルスが世界中に蔓延している現在(訳注:2021年11月)、師父は「『中共ウイルス』(武漢肺炎)のような疫病は目的と目標を定めています。中共ウイルスは邪党の党員、中共邪党の支持者を淘汰するためにやってきたのです」[5]と説かれました。歴史上最大の危機の中で、時間を惜しんで慈悲深く人々に真相を伝え、先を争って人を救うという師父の要求に応えなければなりません。

 17年間の修煉の道を振り返ると、今日(訳注:2021年11月)まで躓いたり転んだりしてきましたが、その向上と昇華の一歩一歩は、師父の慈悲深いご加護によって実現されたものでした。師父の弟子に対する浩蕩たる佛恩に、どうして「感謝」の一言で表すことができるでしょうか! 私はただ大法に同化し、師父のご恩に報いるため、法を正すお手伝いをするという歴史的使命を果たすしかありません!

 ここで、弟子は師父にお礼を申し上げます!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一二年米国首都国際法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [5] 李洪志師父の経文:『理性』

 (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/15/433170.html)
 
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