明慧法会|停止された年金給付の経済的迫害に抗議し衆生を救う(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年4月17日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 法輪大法を修煉してきた20年近い道のりを振り返ってみると、私は幸運であり、また感謝の気持ちを抱いています。それは、師父が私を大法弟子として選んでくださり、長い間閉じられていた私の記憶を開放してくださり「本当の自分」を見つけることができたことでした。この濁世の中を私は乗り越え、純粋な蓮となり、人類の歴史の中でかつて経験したことのない時代に立ち会うことができました。

 師父の慈悲深い済度と、法輪大法に感謝し、そして、労働教養所で大法弟子への迫害に加担した管理教育者が悪いものを捨てて道徳に従い、心を入れ替えて真の人間に生まれ変わり、返本帰真への道を歩ませてくださったことに感謝申し上げます。私の心は幸せと光栄で満たされました。今回の第18回明慧ネット大陸法会交流会(訳注:明慧法会)が開催されるこの機会に、私がこの近年に停止された年金を取り返すことで着実に自分を修煉し、衆生を救い済度し、大法を実証した経験を書いて、師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 中国共産党(以下、中共)による法輪大法への迫害の中で、私は不当に判決を受け、投獄され、狭い独房に拘禁され迫害されました。私はこの迫害の邪悪さと、大法修煉者に対する中共の残酷さを身をもって目の当たりにしてきました。刑務所における2年の不当な拘禁で、私は精神的にも肉体的にも大きなダメージを受けただけでなく、冤罪による拘禁で1年以上迫害された後、職場であった労働教養所がすでに私の年金を停止したことを知り、私は経済的にも大きな損失を被り、これは江沢民グループによる法輪功修煉者に対する「名誉上で貶め、肉体を消滅させ、経済を断ち切る」という邪悪な政策でした。

 大法弟子として、自分に科せられたいかなる迫害も認めるわけにはいかず、私は正々堂々と年金を受け取りに行くことにしました。最も重要なことは、この「年金を取り戻す」チャンスをしっかりとつかみ、より多くの政府部門や司法関係者に接触し、政府部門や司法関係者という衆生に真相を伝え、政府部門や司法関係者という衆生を救うことでした。

 修煉とは人心を取り除く過程です。私は心の中で賃金を取り戻したいと思っていましたが、実際に家族からの圧力に直面し、いろいろな部署に顔を出してみると、刑務所内の環境よりもはるかに複雑だと私は感じました。「もともと自分が公務員であり、世間の間で地位があったことを考えると、今は何もない」という様々な人心が私の中で上がってきました。名を求める心と、体面を気にする心のために、この一歩を踏み出すのは本当に大変でした。

 私は心を静め、法をより深く学びました。師父は「皆さんもご存じのように、われわれのこの法門は常人社会を避けて修煉しているものではなく、トラブルを避けたりトラブルから逃げたりもしません。常人のこの複雑な環境の中で、あなたは醒めています。それとはっきり分かっていながら利益の面において損を蒙り、また他人に利益を侵された時、あなたは他人のように争ったり闘ったりはしません。いろいろな心性の邪魔の中で、あなたは損を蒙っています。あなたはこのような厳しい環境の中で、意志を錬磨し、心性を向上させ、常人のいろいろな良くない思想に影響されながらも、そこから抜け出すことができるのです」[1]と説かれました。

 この法理を理解したことで、私の心は明るくなりました。私は心の中で静かに師父に「師父、私の心性や修煉がどうであれ、私は師父と大法を固く信じ、最後まで師父について行きます。大法弟子の慈悲深さと善良さを、正々堂々と、そしてはっきりと人々に示します」と申し上げました。

 その第一歩として、まず警察署に行き、不当に押収されたものを返してもらうことにしました。警察署に着くと、私の迫害に加担した署長は異動になったと聞きました。私は門衛の警官に「新しい署長はいらっしゃいますか?」と聞きました。門衛の警官は「今、出ていったばかりです」と言いました。私はちょうど車で出かけようとしていた署長に追いつき、私の状況と要望を簡単に説明しました。署長は「あなたのことは聞きました、打ち合わせのためにすぐに公安局に行かなければならないので、何かあればまず地元の警察に会ってください」と言いました。署長は目の前の男性を指差して「あなたの案件を担当している警官です、彼に話してください! いつかまた来てください。時間がある時にまた話しましょう」と言いました。私は「わかりました。ありがとうございました!」と言いました。

 私はその警官の方に歩いて行き、その警官が不当な家宅捜索をした時のビデオ撮影を担当したあの警官であることを知ると、私は怒りがこみ上げてきて「この2年間よく頑張りましたか、太りましたね、昇進したのですか?」と言いました。その警官は私を見て驚き「あなたはいつ帰ってきたんですか? 様子はどうですか? ご用件は何でしょうか?」と言いました。私は「あなたが私から不当に奪ったものを返してほしいのです」と言いました。その警官は「もうありません、当時は内勤の人間が担当していましたから。今はその内勤の者が病死したので、彼のロッカーはこじ開けられ、何も残っていません」と言いました。私はその警官に「どんな病気で亡くなったのですか?」と尋ねました。その警官は「高血圧と心臓病を患っていましたが、彼の母親にはまだ隠しています」と言いました。

 私は「私は彼を覚えています、あなたたち2人が留置場に行って記録し、彼は私に威張り散らしました。私はその場で彼に『こんなことをしないでください、私は善良な法輪功修煉者であり、冤罪をかけられています。私が職場で働いていた時、私の対応はあなたより全然ましでしたよ。あなたはぜひ生きていてください、私が戻ったら必ず決着をつけてあげますから』と警告しました」と言いました。私はその警官に「彼は迫害に参加したことで悪の報いを受けたことがあなたにはわかりますか?」と言いました。最後に私はその警官に「あなたは長年にわたって大法の真相をたくさん聞いてきているのですから、すべてを理解しておくべきです。自分のために逃げ道を残しておくべきであり、愚か者を追いかけてはいけません」と忠告しました。その警官は「わかっています、何かあれば私のところに来てください」と言いました。

 帰ってから、私は内に向けて探しました。修煉者は衆生に対して善であるべきで、慈悲深くあるべきだということは法理からわかっていましたが、現実的な出来事にぶつかると、人を管理するという今までの仕事で培った習慣が出てしまうし、闘争心が強く、様々な不服のある事柄があり、党文化の中での偽・悪・闘の要素も多く、私はこのような習慣を改め、衆生に慈悲深く対応しなければなりませんでした。

 その後、私は何度も警察署長を訪ね、絶えず大法の真相を伝え、身近にいる者の中でかつて法輪功の迫害に加担し悪の報いを受けた者たちを戒めとするように忠告しました。後日、警察署長は自分の手の届く範囲で電気製品を買って私に賠償してくれました。

 第二段階は、私の迫害に関わった元警察署長のところへ行き真相を伝えることでした。元警察署長は非常に正しい態度で「当時私はあなたの息子さんや甥っ子さんを困らせたわけではありませんよね?(息子と甥は一緒に警察署に連れて行かれた)あの時はもうすぐ大晦日ということもあり、あの案件を受けたくなかったのですが、上からの圧力もあり、やむを得ず受けることにしたのです」と言いました。また、その過程でいくつかのプラスの役割を果たすことも行った、ということも元警察署長は言いました。私は「大法弟子を大切に扱ってくれることを期待して私はあなたに会いに来たのです。この何年か、あなたは組織の末端で多くの法輪功修煉者と接触しており、この法輪功のグループのことをよく知っているはずです。以前あなたは中共の嘘に騙され、大法弟子を傷つけるようなことをしました。今回お会いできたことで、観念を変え、善悪をはっきりとさせ、盲目的に従わず、あなたが自分のために逃げ道を残してほしいと思います」と言いました。

 第三段階は、元の職場に行って所長に会うことでした。私が在職していた時、財務上の問題や薬物中毒者の保釈を違法に許可したことで所長は降格され、不起訴処分になったことがありました。新しく赴任してきた所長に会った後、私は自己紹介と来意を説明しました。新しく赴任してきた所長は中共の嘘に耳を傾けていたため、私に対する態度は冷ややかでした。新しく赴任してきた所長が法律を学んでいることを私はあらかじめ知っていたので、私の不当な有罪判決に関する検察庁からの資料や善を勧める手紙を私はすべて持参しました。

 私は「所長、私たちが会うことができたのは縁であり、運命です。あなたがこの位置に座っているのも、あなたに能力があり、このような大きな福があるからです」と言いました。自分が労働教養所の女性グループで教誨師として働いていた期間に、どのように中共の嘘を聞いて信じ、執行部が出した『法輪功学習者に対する教育、矯正、救済』という文書が採用している暴力的な手段、どのように実行したかについて、私は新しく赴任してきた所長に詳しく話しました。その後「天安門焼身自殺事件」が法輪功に濡れ衣を着せるために仕組まれたことを私は知り、法輪功の著作『轉法輪』を読んで心と体が変わり、修煉の道を歩むことを決意した過程を私は新しく赴任してきた所長に詳しく話しました。

 私は「所長、同僚に私の様子や評判を聞いてみていただけませんか? 汚くて疲れる仕事を真っ先にやることで上司や同僚に認められてきました。私は長年にわたり、先進的で優れた公務員であると評価され続けてきました。他の人がこのような栄誉を必要としたならば、私は何の評価も利益も求めず、その栄誉を他の人に与えました。私は大法の師父の教えに従って良い人、さらにより良い人になるよう努力してきてきましたが、そこに何の罪があるのでしょうか? 私はこの不当な判決に納得しておらず、正義を勝ち取るために引き続き法的手続きに訴えなければなりません。時間を見つけて私の資料を真剣に見ていただき、ご指導いただければと思います」と言いました。

 私はさらに「古人は『佛道を修める人に一口でもご飯を施すと、功徳が非常に大きい』と言いました。私がどんな人間であるか、そして真相を理解してほしいという願いから、このようなことを申し上げました。重大な問題を前にして、あなたの能力の範囲内で、私のような修煉者を大切にし、ご自分とご家族のためにより良い未来を選択してください。人生は短く、はかないものです。 私が不当な判決を受けた2年間に、3人の上司(1人の所長と管理教育担当の事務委員2人)が相次いで亡くなったのを見てもお分かりいただけるでしょう。彼らが真相を聞く機会さえなかったのは本当に残念です。所長、私が持ってきた資料、特に私が血と涙で書いた善を勧める手紙をよくご覧いただき、ご覧いただければ私のことがよくわかると思います」と言いました。

 新しく赴任してきた所長は「わかりました、勉強してみましょう」と言いました。

 その時の下地があったので、再び訪れた時、私たちの会話は溶け合いました。私は年金を取り戻すたびに、その機会を借りて真相を伝えました。新しく赴任してきた所長は率先して解決策を考えてくれるようになり、まず管轄部署に行き(それまで前例がなかったため)関連部署で私の状況に応じた方針がどうなっているかを相談するようにと言われました。できるなら、最高基準で年金を付与すると新しく赴任してきた所長は約束しました。

 次に、私はより多くの部署に連絡を取り、より多くの人に真相を伝える機会を持つようになりました。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/15/433270.html)
 
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