明慧法会|師父が按排された道を歩む(一)
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文/東北地方の大法弟子が口述 同修整理

 【明慧日本2022年5月31日】

 偉大なる師父、こんにちは!

 同修のみなさん、こんにちは!

 私は70代の大法弟子です。偉大なる師父が弟子に正念正行し「三つのこと」をしっかり行うよう加持してくださったことに感謝申し上げ、弟子の心身を浄化し、善意で人を理解し、無条件に人のために何かをすることができる大法弟子にしてくださったことに感謝申します。今回の明慧ネット中国大陸大法弟子の修煉体験交流会(訳注:明慧法会)に際して、私は師父に答案を提出し、修煉体験を同修のみなさんと分かち合いたいと思います。

 法輪大法法輪功とも呼ばれ、宇宙の最高特性の「真・善・忍」を理念とする気功修煉法で世界で一億人が愛好しています。

 一、大法は私の命綱

 迫害が始まった頃、数十人の同修と一緒に法会を開いていると、突然警官の一団が断りもなく入って来るなりビデオ撮影を始めました。怖くなって電子書籍を削除してしまった同修もいました。当時、地元では迫害がひどく、大法書籍があまりなかったため、私たち同修の多くは電子書籍で法を学んでいました。私は電子書籍をシャツのポケットに入れ、電子書籍とコミュニケーションをとりながら、「あなたは私から離れず、私もあなたから離れず、誰も探し出せません」と言いました。この純粋な念は法に符合し、師父のご加持と保護を受けました。

 警官がドアの前に立ち、一人一人調べ始めました。男女2人ずつ、4人の警官がいました。私は心の中で「私を探すことはできない」という一念を発しました。私がドアの前まで来ると奇跡が起き、私を調べていた2人の女性警官が突然呼び出されました。私が電子書籍を持って留置場に入ると、留置場は所持品を取り調べるために1人の女性に私の身体検査をさせました。その女性は私の体に触れ、服を脱ぐように言いましたが、私は決して脱がず、正当な道理をふまえ言葉厳しくその女性に「服を脱がせて身体検査をするように指示したのは誰ですか?」と尋ねました。するとその女性は身体検査をやめました。監房に入ると、受刑者のリーダーが身体検査に来ました。私は、先ほど身体検査を受けた同修に電子書籍を渡し「後で返してください」とひそひそ声で伝えました。プレッシャーを感じた同修は、電子書籍を監房の大きな木製のベッドの上に置いてしまいました。受刑者のリーダーが私の体を一通り触った後、私がふと見ると、ベッドの上の電子書籍が目に入り、私は慌てて手に取ってポケットに入れました。監房の中で電子書籍は大法が収められている宝物なので、保護することを負担に思ったことはありませんでした。

 留置場で不当に拘禁されていた2カ月間、同修と交代で電子書籍を使って法を学び、多くの人が電子書籍で『洪吟二』を暗記しました。電源が切れると、私たちはバッテリーを外して、同修が交代で手ではさんで充電したところ、奇跡的に電池切れのバッテリーが本当にフル充電になり、再び電子書籍を使えるようになりました。

 私は不当に私を拘禁した労働教養所までずっと電子書籍を持って行きました。2年の間に何百回、時には1日に何度も検査されましたが、労働教養所を離れるまで毎回、なんとかうまくかわし、無事に電子書籍を家に持ち帰りました。本当に「修は己にありて、功は師にあり」 [1]でした。連行された時の迫害を今振り返ってみると、当時は法理がそれほど明確でなかったことと、旧勢力が按排したこのような連行と迫害を根本的に否定していなかったことが迫害の原因でした。

 数年前、電車で地方に行った時、電車の切符を事前に購入したことがありました。乗車時のセキュリティチェックを受ける際、警官がチケットを一目見て「行ってはいけない」と言い、私が持っていた真相資料や大法書籍を不当に取り調べました。私は「真相資料は警官に見てもらい警官を救うためのものだ」と思い、そこで「読んでみてください」と言ったところ、その時に真相資料を読んだ警官がいました。読む過程で真相を理解し、それまで加入していた党や共青団、少年先鋒隊から脱退する警官もいました。

 その後、警官が『轉法輪』を取り上げようとした時、私は警官たちに「本を取り上げることはできません、それは私の命の綱だからです」と言いました。警官は大法書籍を私に返しました。警官たちは私を連れて行こうとしましたが、私は協力せず、もし警官たちが私を連行すれば、警官は大法に対してより大きな罪を犯すことになり、同時に衆生を救い済度することに損失をもたらすことになるからでした。私は心の中で師父に「私は彼らと一緒に行くことができません、ここを離れることができません、どうか弟子を加持してください」と懇願しました。この一念が出ると、すぐに私に病業の虚像が出現し、その結果私はその日のうちに家に送り返されました。

 その後、内に向けて探してみると、修めて取り除いていない情などの執着心に左右され、自宅で亡くなった年長者が行っていたあることに参加してしまった教訓を私は探し出しました。法を正す時期の修煉は厳粛であり、真に修める大法弟子への要求は厳しいものでした。法を正す基点に立ち、執着と漏れのある大法弟子も大法の中で正され、旧勢力の支配下でなく、師父と大法の下に置かれるのです。

 二、同修と協力し法を実証する

 20年の修煉の中で、私の心をどんどん純粋にしてくださり、ネガティブな思考を取り除いてくださった師父に感謝申します。ここ数年来、地元でも行政機関のある都市に住んでいた時も、法を実証することがあれば、無条件に自我を放下し、同修や全体に協力することができました。

 1. パネルと横断幕をかける

 私が行政機関のある都市に住んでいた時は、同修と一緒に幅2メートルほどの真相パネルや横断幕を立体交差橋などに掲げていました。3メートルを超える横断幕を掛けたこともありました。同修が「どこに掛けますか?」と聞くと、私は「一番高いところ、立体交差橋に掛けよう」と言いました。立体交差橋は車も人も多く、一番高いところから掛けると、たくさんの人が見ることができました。最も高い位置の立体交差橋に掛けられた3メートルほどの横断幕はとても目立ちました。金色の布には「法輪大法はすばらしい」の文字が大きく印刷され、その下に薄ピンク色の蓮の花が大きく描かれていました。このような横断幕はどこに掲げられても、中共を震え上がらせ、抑止することができ、それを見た人々は衝撃を受けるのです。

 パネルや横断幕を掛けている時に、同修が「誰か来た」と言うので、私は「何を恐れているのですか、真相資料を彼に渡し、彼に読んでもらって救いましょう」と言いました。ある日、風が強かったので、立体交差橋の上で横断幕を掲げていたら、1人の人がやってきて私たちに「何をしているのですか?」と聞きました。私は冷静に「横断幕を掛けているのです、手伝っていただけませんか」と言いました。その人は「何を手伝えばいいのでしょうか?」と聞きました。私は「ロープを結ぶのを手伝ってください」と言いました。その大きな横断幕を結ぶために、その人は本当に助けてくれました。

 ある年、私は行政機関のある都市の同修と協力して、列車専用の橋に「法輪大法はすばらしい」、「真善忍はすばらしい」と書かれた横断幕を掲げました。横断幕は橋の外に掲げられ、歩行者や橋の下を行き来するあらゆる車両のドライバーの目に触れるようにしました。この横断幕は1年以上掛かっており、風や日差しで少し色あせていますが、まだ橋に掛かっていました! 

 今年(訳注:2021年)に入ってから、地元の同修が真相シールを持ってきたので、私は行く先々で貼りました。看板に貼った真相シールは、半年以上経った今(訳注:2021年11月)でもまだ残っていました。

 2. 法輪功に関する文言を印字した紙幣を両替する

 数年前、行政機関のある都市に住んでいた頃、よく商店街に行って法輪功に関する文言を印字した紙幣を両替し、出かけるたびに1万元か2万元を両替しました。ある時、旧正月を迎えた時、同修がやってきて、「旧正月までに10万元以上、両替しなければなりません」と言いました。翌日、約束の場所で待ち合わせをして、繁華街へ行きました。惣菜屋から薬局、果物の屋台から麻雀店まで、私たちは店を渡り歩きました。相手に交換方法を聞かれた時、私は「等価交換です。手数料はいりません、1元、5元、10元で両替できます」と言いました。当時は細かいお金に両替する時、100元を両替するのに2元の手数料を取られていましたが、大法弟子の目的は人を救うことであり、個人的な利益は一切含まれておらず、手数料は一銭ももらわないので、多くの人が両替したがり、定期的に両替している人は、法輪功に関する文言を印字した紙幣を使うと縁起が良く、福報に恵まれることを知っていました。

 その時は旧正月を迎える前の週で、10万元以上の法輪功に関する文言を印字した紙幣を人々と交換しました。短時間でこれだけの法輪功に関する文言を印字した紙幣を両替できたのは、協力してくれた同修のおかげでした。その同修はとてもまじめで、一束のお札は毎回すべて正確で間違いがありませんでした。ある時、屋台の店主が「お金を2回数えたが、100元あるはずが、1枚足りない、99元だった」と言いました。私は微笑みながら「間違っていません、100元です、もう一度数えてみてください」と言いました。その屋台の店主がもう一度お金を数えると、1元もかけることなく100元でした。麻雀店で、ある人が3000元を両替しようとしたのですが、その人が「そんなにたくさんお金を持っていない」と言うので、私は微笑みながら「私たちはここで待っていますから、お金を取ってきてください」とその人に言いました。その人は戻って来てから、5000元を法輪功に関する文言を印字した紙幣と交換しました。同修が目を通した法輪功に関する文言を印字した紙幣は、まるで紙幣計算機で数えたかのように、一束一束が正確で、両替する人に誠実で信頼できる良い印象を残しました。

 法輪功に関する文言を印字した紙幣を両替すると同時に、衆生との出会った機縁を大切にし『共産党についての九つの論評』や真相DVDなどの真相資料を渡すとともに、面と向かって真相を伝えて「三退」を勧め、師父のご加持の下、人を救う効果は絶大でした。

 3. 真相が書かれた手紙を送り 警察署に出向いて名簿を写す

 地元に戻った後、真相が書かれた手紙があれば、郵送や投函に協力しました。ここ数年来、師父のご加持と保護の下、真相が書かれた手紙を郵送するために、私の住む地域のすべての郵便受けを回ってきましたが、真相が書かれた手紙を何通郵送したか覚えていません。投函した時、私には監視されているという概念はなかったのですが、同修は何度も注意を喚起し、時には監視カメラに「監視カメラさん、あなたの使命は悪人を監視することで、大法弟子を監視することではありません」と声をかけました。真相が書かれた手紙を郵送するたびに、私は手紙とコミュニケーションをとり、人を救う過程で最大限の効果を発揮できるようにしました。

 数年前、法輪功への迫害を調査する国際組織が、大法弟子への迫害に関与した地元の公安と裁判所関係者に調査通知を出したことがあり、同修が協力して通知書をプリントし、しっかりと封筒に収め、住所をしっかりと書き、迫害に加担した人たちが真相を理解し、手遅れになる前に罪を償うことができるようにと、私は郵送しました。

 ある日、同修が5通の真相が書かれた手紙を持って来て、私に「郵送することはできますか?」と尋ねました。「いいですよ」と言うと、同修は「できれば直接持って行くのが望ましいのですが」と言ったので、私は「いいですよ」と言いました。冬の朝、食事もとらずにその手紙を持って、自分の住む地区の警察署に行きました。封筒の中には、真相ディスクと真相が書かれた手紙が入っており、あらかじめ署長、副署長と指導員の名前が書かれていました。警察署のドアを押すと、鉄の鎖でロックされていました。私は少し考えてから、扉をしっかり閉めて、三つの封筒を扉の隙間に差し込みました。朝、出勤するとすぐに、署長たちは真相が書かれた手紙を読むことができるのでした。残りの2通は郵便ポストに入れました。私はさらに警察署や検察庁に出向いて『共産党についての九つの論評』や『共産主義の最終目的』などの真相資料を届けました。

 何人かの同修が連行されて戻ってきた後「真相が書かれた手紙が作用を発揮した」と言い、地元の警察署の警官も真相が書かれた手紙を受け取り、地元の大法弟子への迫害がかなり軽減されました。昨年(訳注:2020年)、地元で大規模な連行が起きた時、近くに住む嫌がらせを受けた同修の何人かは、中共に妥協せず、その日のうちに警察署から帰宅しました。また、別の同修は、自宅にあるプリンター、レコーダー、コンピューターなど必要なものはすべてそろっており、中には複数台あるものもありました。 この同修は連行されましたが、数十日間不当に拘禁された後、家に戻りました。

 6、7年前、私はまだ行政機関のある都市に住んでいました。ある日、同修の家に行ってドアを叩いても、誰も開けないので、ドアの穴から覗いて見ると、何かおかしいと感じたので、同じく法輪功を修煉している同修の弟の嫁に電話をすると、同修の弟の嫁は私に様子を見るように言いました。私が様子を見てみると、同修の弟の嫁は、同修が連行された、と言いました。私は「誰が連行したのでしょうか?」と尋ねました。同修の弟の嫁は「見当もつきません」と言いました。私は協調人の家に行き尋ねましたが、協調人も「誰が連行したのかわからない」と言いました。

 この出来事が起きたのは偶然ではなく、私が警察署に行き中に入ると玄関ホールがあり、壁には警官の写真と名簿が貼られていました。2人の人が雑談していたので、私はソファーに座り、しばらく待っていました。ある人が私に「何の用事ですか」と聞いたので、私は「所轄地域を担当する警官を探しています」と言いました。その人が「下の玄関ホールに行って、自分で必要な部分だけを抜き書きしてください」と言うので、私は玄関ホールに行って名簿を記録しました。外から1人の警官がやってきて「何をしているんだ」と聞かれたので、私は臆することなく答え、メモをとり続け、名簿に書かれている全員の名前と電話番号を書き写して協調を担当している同修に送りました。同修はすぐに明慧ネットに名簿と電話番号のリストをアップロードし、国外の同修がすぐにリストに載っている警官に真相を伝えました。

 地元に戻った後、ある同修が連行され、外にいた同修が検察庁長官の名前を知らないということがありました。翌日、私が検察庁に行くと、週末でした。私は、もう一度行って検察庁長官の名前を聞き出し、すぐに同修にフィードバックしました。師父が法を正すことを手伝う道において、連行された同修を助けるにしても、同修と協力して留置場に行くにしても、同修が私を必要としているのであれば、私は無条件に自我を放下し、同修に協力し、全体に協力しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/11/433262.html)
 
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