【明慧日本2022年5月31日】湖南省衡陽市の法輪功学習者・曠昌雲さん(女性)は、心身を鍛える気功「法輪功」を学んでいるとして、少なくとも連行10回、家宅捜索7回、労働教養処分や嫌がらせ、脅迫などの迫害を受けた。そのため、曠さんは2022年3月6日に死亡した。享年68歳。
曠さんは1997年、法輪功を学び始め、「真・善・忍」の基準で自分を要求し、穏やかな家庭を築いた。経済的な余裕はあまりなかったが、充実して楽しく過ごすことができた。
しかし、江沢民グループは1999年7.20、法輪功弾圧を引き起こした。当局は曠さんに迫害を加えるだけではなく、曠さんの娘にまで迫害を行った。そこで、曠さんは2015年6月25日、最高検察庁と最高裁判所に法輪功弾圧を引き起こした江沢民を告訴し、刑事責任の追及を求めた。
曠さんの「刑事告訴状」に書かれていた迫害事実
以下は、曠さんが刑事告訴状に書いた内容です。
2000年の正月、私は他の法輪功学習者と一緒に北京へ行き、法輪功と法輪功創始者の無実を訴えようとしました。しかし、天安門広場に着くと、警官に拘束され、私たちを湖南省衡陽市の北京駐在の事務所に送られました。その後、事務所側が南岳鎮に通知したため、私たちは南岳鎮の政法委員会の副書記・伍文進と公安局の趙声懐により南岳鎮に送還され、留置場に入れられ、55日間拘禁されました。さらに、私たちはそれぞれ現金200元を強制的に取られました。
同年6月下旬、私は再度、北京へ行き、法輪功の無罪を訴えましたが、天安門広場で警官に強制的にパトカーに乗せられ、海淀派出所に送られました。派出所で男性警官3人と女性警官2人にいきなり殴られました。私は服を脱がされ、警官5人に交替でスタンガンで電気ショックを与えられながら殴られ、1本の歯がその場で抜け落ちました。全身があざだらけになり、首に水泡が多くできました。警官らは疲れ果てるまで私を殴りました。
その後、私は知らない場所に送られ、手錠で椅子に固定された途端、入ってきた女性警官にいきなりビンタ2回を加えられました。翌朝、警官は湖南省衡陽市の北京駐在の事務所に連絡したため、南岳の610弁公室の黄余金が私を南岳鎮に連れ戻し、留置場に送り込みました。法律的には留置場で2カ月拘禁して、結論が出なければ、労働教養所に送ってはいけないという決まりがあるものの、私はそこで、1カ月間拘禁された後、労働教養所に送られることになりました。
当時、我が家には未成年の子供が3人いて、世話をしなければならないのですが、私は労働教養処分1年を下されて株洲白馬壠女子労働教養所に強制的に送られました。しかし、労働教養期間が満了しても、『転向』しなかった私はさらに1年延長されました。教養所で独房に拘禁されたり、小さい椅子に座らされるなど、さまざまな拷問を受けました。
2002年、やっと2年の教養期間を終えましたが、帰宅できませんでした。南岳政法委員会の書記ら3人は私を教養所から直接南岳留置場に移送し、さらに6カ月拘禁しました。出所して、私は長沙市に在住の叔父の家に行き、5日間泊まりました。しかし、家に帰ったとき、610弁公室のメンバーが我が家を家宅捜索しているのを見ました。彼らは、「あなたは休暇を求めなかった」との理由で、再度私を南岳留置場に10日以上拘束しました。私は抗議のために1週間断食しました。
帰宅後も自由がなく、常に監視下にいる状態でした。無職の私は、生計を立てるため、出稼ぎに行こうとしたのですが、許されませんでした。私の行動の自由を奪うため、610弁公室の主任・袁東華は、私にコミュニティの環境衛生処でゴミ拾いの仕事をさせました。月給250元しかもらえなかったうえ、1カ月で1日の休みも与えられませんでした。
2003年8月、江沢民は南岳に来ました。それで、南岳鎮政府部門の5人は、私を監視するために家に来ました。江沢民が南岳から離れるまでの3日間、私は外出を許されず、買い物にも行けなかったのです。
2005年7月ある日の午後、出勤する前、私は近隣の家で少し休みました。家の近くで待ち伏せしていた警官は私が出かけるのを見て、我が家に勝手に押し入り、法輪功書籍、VCDなどの私財を押収しました。
2006年後半のある日、南岳の市場に出かけ、そこで私は法輪功が迫害されている事実が書かれた資料を配った際、そこにいた610弁公室のメンバーに通報されました。そして、南岳派出所の警官は私を連行して拘留所に7日間拘束し、140元を強制的に取りました。
2008年6月のある日、市場に行く途中、街で法輪功の資料を配りましたが、通報され、派出所の警官に連行され拘留所に送られました。7日後、労働教養処分の通知書を渡され、15日後に2度目の白馬壠女子労働教養所に送られ、身体検査を受けた結果、入所の条件に満たず、入所を拒否されました。
2010年1月のある日、私は南岳の市場で610弁公室の私服警官に連行され、拘留所に5日間拘束され、100元の罰金を科されました。
2012年南岳鎮で道教フォーラムを開催しました。その前に、南岳派出所の3、4人の警官が我が家に来て、嫌がらせや脅迫をし、私の外出を禁じました。フォーラムが終わる日、私は買い物に出かけ、その帰りに派出所の警官らに止められ、所持していたCD数枚と170元の真相紙幣(法輪功の文言が書かれた紙幣)を押収されました。その後、南岳拘留所に15日間拘束され、300元を強制的に取られました。
曠さんは繰り返し迫害され死亡
江沢民を告訴した後の2015年11月21日午前10時、曠さんは、南岳の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)、南岳大廟派出所の警官と610の弁公室の主任と南街居民委員会の人員など20人あまりに家に押し入られて家宅捜索をされ、パソコン、プリンター、印刷用紙2パック、法輪功創始者の写真、法輪功書籍40冊以上、現金100元、法輪功資料などの私財を押収された。公安局に連行された曠さんは、「数日後にまた呼び出す」と言われ、昼に帰宅させられた。
勤勉な曠さんは迫害がなければ、普通の生活が送れるはずが、江沢民が法輪功学習者への迫害により、曠さんは長期にわたって迫害され、住むところもなければ、戸籍もなくなった。南岳派出所の戸籍課長は、「家も仕事もないので、条件を満たしていない」との理由で曠さんの戸籍を回復しなかった。南岳で生まれ育った曠さんは、行き場がなくなったのである。
繰り返し迫害を受けた曠さんは2022年3月6日にこの世を去ったという。