【慶祝513】大法が我が家を照らす
■ 印刷版
 

 【明慧日本2022年6月5日】私の名前は蓮蓮(れんれん)と言い、法輪大法を20年以上修煉しています。田舎育ちの私は、学校に通ったことはなく、大したことをしたこともなく、ただ家を守り、真面目に生きてきただけです。

 昔、私はいろいろな病気に悩まされていましたが、家が貧乏で、治療どころか、検査する余裕もなく、自分がどんな病気なのかも分からず、痛みを我慢するしかありませんでした。夫はいつも暗い顔をしていて、羊を飼育して2人の息子と1人の娘を学校に通わせています。私たちは半身不随の舅と同居していました。

 病気を治したい、健康になりたいという思いから、大法の修煉を始めました。 その直後、中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が始まりました。私が「修煉します」と言っただけで、それ以来、中共による私への嫌がらせは続いていました。

 翌年の2000年、私の家庭に屈辱的な出来事が起こりました。村に4人の子供がいる既婚女性が、夫と不倫関係を持ち駆け落ちしました。

 それ以来、2つの家庭が崩壊し、家族は苦しんでいました。特に私は、中共当局からの嫌がらせや家族からの圧力で、頭を上げて生きることができませんでした。 子どもたちは劣等感を抱き外に出たがらず、学校にも行きたがらず、父親を憎んでいました。一番大変なのは、70代の半身不随の舅を世話することです。 舅には息子2人と娘2人がいますが、たまに遊びに来るだけで、誰も父親を自分の家に迎えて面倒を見ようとはしませんでした。それでも、私は言い争ったことはありませんでした。家も修繕する必要がありましたが、お金がなく、 さらに、夫が出て行くときに、友人や親戚からお金を借りたり、銀行ローンを組んだりして、合計で数万元の借金をしてしまいました。

 夫が去るとすぐに、借金取りは私も出て行って借金を返済しないのではないかと恐れ、ドアをふさいで返済を求めてきました。 私は必ず返すと約束しました。 ローンを払えずにいると、召喚状を持って連れて行かれそうになりましたが、保証人になってくれる人がいたおかげで、一時的に解決することができました。

 修煉する前、私は気性が激しくてよく争い、理にかなった時は人を許しませんでした。 昔なら、夫が家を捨てて出て行くと、私も出て行ったかもしれません。「どうせあなたの父だから、あなたが面倒を見ないのなら、私も構わない。借金した人がそれを返済するのが当たり前で、私には一切関係ない!」と思っていたでしょう。 しかし、大法修煉者である今、私は「真・善・忍」の基準で自分自身を律し、善をもって人に接し、トラブルに遇った時は忍耐しなければなりません。他人が私たちを悪く扱うことはできても、私たちが他人を悪く扱うことはできません。大変困難な時期に、大法の法理が私の心を開いてくださいました。「今、家族がこれだけ私を必要としているのだから、私はどこにも行かず、舅の世話をし、子供たちを守って一緒に暮らし、借金を返済していくのだ!」と強く決心しました。

 時は1年、また1年と過ぎましたが、夫からの連絡は全くありませんでした。私は1人で畑の仕事をしながら、身体の不自由な舅の世話をし、3人の子供を育て、学校に通わせました。そして、夫の借金の返済と、息子を結婚させるための家を建てるために、私は朝から晩まで懸命に働きました。我が家は古い家で、基礎が凹んでいるため、庭に水が貯まり、家のほうに流れていたので、私は1人で土を運んできて、1尺以上高くしました。村の人々に「なぜそんなに頑張れるの? マジで鉄人じゃない?」と聞かれました。

 私は「鉄人」ではありませんが「鉄人」にしか耐えられない出来事がありました。

 ある時、私は隣人の犬に噛まれ、指の一部分を半分ほど噛みちぎり、爪ごと食べられました。隣人は怯えて「すぐに病院に行こう」と言いましたが、「私は大法の修煉者だから大丈夫です 」と言って拒みました。 家に帰った後、何もなかったかのようにまったく気にしませんでした。結局、しばらくして指は骨も肉も爪もすべて生えそろい、その後、傷ひとつなく、完全に回復しました。

 それだけではなく、魔難の中、苦しみの中、他人のために力を尽くす中で、大法の修煉を続けてきた私は、すべての病気がなくなり、毎日元気で、力持ちになりました。それは、師父が私のやっていることが大法に則っていると見て、助けて下さったからだと思います。師父は奇跡を起こして下さいました。

 当時、大法弟子への迫害はエスカレートしていて、私も免れることができませんでした。ある時、警官が家にやって来ました。子供たちは私が「修煉します」と言って連れ去られるのではないかと恐れ「お母さんはもう修煉しません」と言い逃れました。その後、考えれば考えるほど間違っていたと感じ「どうしてこんなに素晴らしい功法を修煉しないと言えるのでしょうか?」と思い、自ら警察署に行きました。午前中ずっと待って、ようやく担当の警官に会いました。「私は修煉します」と言うと、その警官は「修煉しろ! まずは南の壁に立て、後で労働教養所に送る!」と激怒しました。私は午後からずっとそこに立っていて、暗くなりかけた頃、担当の警官が現れました。先ほどの意地悪さは見えず「家に帰って、半身不随の義父の世話をしなさい」と言って、私を帰らせました。

 後になって、警察署が私を拘束して労働教養所に送ると村の幹部に話したところ、幹部たちは「彼女を動かしてはいけません。彼女がいなければ、半身不随の義父と子供たちの面倒を見る人はいません。そうなると、その家庭は崩壊しますよ!」と阻止したことが分かりました。

 私の家庭が崩壊しなかったのは、私の原因ではなく、大法のお陰でした!

 その頃、私が農業を営んでいたとき、他の人より肥料を少なく使いましたが、他の人よりも多く収穫することができました。舅が家で亡くなった後、私はお金を稼ぐために村の工場で働きました。数年で、すべての借金を返済しました。

 それだけではなく、嬉しい事が次々とありました。農村では、一般的に嫁をもらうには何十万元も必要ですが、2人の息子が結婚した時、合わせて1万元しかかかりませんでした。 その後、息子たちは、出稼ぎ労働者から経営者になりました。 たった5、6年の間に、我が家は村の人たちから見下されていた貧しい家庭から、羨ましがられるような幸せな家庭になりました。「あなたの家は修めて得た福だよ!」と人々は羨ましそうに言いました。 夫の家出については、もうみんな忘れてしまったようで、誰もその話をしなくなりました。

 この時、5、6年放浪していた夫が、不倫相手を養う余裕がなくなり、2人は不名誉な姿で村に帰ってきました。

 最初、息子たちはかつて自分たちを辱めた父親を見捨てようとしました。私は「我が家は修煉者の家だから、誰に対しても慈悲で、寛容でなければなりません。実の父親に手荒なことをしてはいけない」と忠告しました。それで子供たちは父親を受け入れました。

 帰って来た夫に対して、私は文句を言ったり、喧嘩をしたり、夫の愛人のところに行って言い争ったりすることもありませんでした。私が夫に「大法の恩恵がなければ、この家庭は存在しなかった。一人が修煉すれば、家族全員が恩恵を受ける」と言いました。

 夫は、私の病気がすべて治ったこと、最後まで父親の面倒を見て、葬式をあげてくれたこと、子供たちを育てて独立させたこと、そして自分が作ってしまった借金をすべて返済したのを見て、感動して言う言葉はありませんでした。夫はすっかり変わり、家族に申し訳ないと思いながら、家事も仕事もなんでもするようになり、真面目に暮らしています。現在、夫は毎日大法のお守りを持ち歩き、大法の師父は、人々を救ってくださるのだと完全に分かりました。

 夫は昔から料理が得意です。今年の旧正月には、夫と2人の息子と孫4人を含む計12人の家族全員で、親戚や友人のために、料理を12品も作り、にぎやかな雰囲気の中で、みん美味しく食べていました。

 この幸せな光景を見ながら、十数年前のことを思い出しました。当時、夫が愛人と駆け落ちしたとき、私も舅の世話をせずに家を出て行っていたら、今の家族はどうなっていただろう? 子供たちは出世するどころか、学校に行けなかったり、不良少年になっていたかもしれません。 もし私が舅の扶養問題で、夫の兄弟たちと喧嘩したり、争ったりしていたら、もともと病気だらけの私は倒れてしまい、家族との絆が切れることになり、村にも迷惑をかけてしまうでしょう。私が迫害され、労働教養所に送られる寸前に、村の幹部たちは私のために声を上げてくれました。 もし、夫が戻って来たとき、私と子どもたちが夫を憎み、見捨てていたら、今の幸せな家庭があるのでしょうか?

 法輪大法は、私を「真・善・忍」の教えに導いてくださいました。私は嘘を言わず、善をもって人に接し、他人に寛容になりました。師父のお教えに従って行い、私も家族も大法の恩恵を受けました。本当に善には善の報いがあるのです!

 大法は我が家を照らしました。法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!

 第23回世界法輪大法デーと大法が世に公開されて30周年を迎え、家族全員を代表して、師父に祝福を申し上げます。

 師父、お疲れ様でした! ありがとうございます!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/29/442267.html)
 
関連文章