青年大法弟子「執着を無くし、さらに精進」(二)
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 【明慧日本2022年6月8日】(前文に続く)

 情を修め、脱ネット依存

 私は子どもの頃から本を読むのが好きで、文字のあるものを見ると、それを手に取って読んでいました。中学生の頃にはすでに小説を読み始め、映画やテレビなどを見るのも好きで、それによって多くの思想業力を作ってしまいました。大学時代、インターネットに触れ、ネット小説も読んだことがあります。社会人になってからは、毎日パソコンと向き合っていました。

 実は、修煉を始めてから、読むべきではないとわかっているものの、意志を強く持つことができず、欲望に負けてしまい、しばしばネット小説を読んでしまいます。ネットに耽って、毎日読んでいるわけではなかったのですが、「ちょっとリラックスしたい」という思いに駆られると、サイトを見始めるのです。実際、この「ちょっとリラックスしたい」という考えもあってはならないはずです。しかし、それが現れると何がいけないのか、気がつかなかったのです。何かの記事や動画を見た後、そのことについてばかり考え、登場人物や内容にいろいろな感情を抱いたり、時には心が揺らいで、なかなか落ち着かないこともあり、心がひどく乱れされていました。いつも自分に、これ以上読むなと戒めているのですが、しばらく我慢すると、またインターネットにアクセスして読んでしまうのです。修煉者はこういうものを読んではいけないと分かっていて、後から後悔するのですが、いつまで経ってもこの執着と欲望を根絶することができませんでした。

 同時に、座禅していると、眠くなることがあり、こまめにはっきりと意識を持つように注意する必要があります。特にウェブサイトを見た後は、明らかに自分の状態が悪く、時々汚い排泄物などが出てくる夢を見ることもあります。この執着を捨てるように師父が悟らせてくださっているのだとわかっています。内に向けて探し、発正念もしていましたが、根源が見つかっていないと感じます。ある時、激しく下へ滑り落ちる夢を見ました。目が覚めたとき、この問題が深刻になっていることを知り、本当に内に向けて、根源的な執着を見つけ出し、それを取り除かなければならないと思いました。

 私は自分に問い詰めました。「なぜ、これらを読みたいのだろうか、物語の登場人物たちの運命を嘆き、ひいては代入感もあるのはなぜだろうか? これを読んで、どんな心が満たされているのか、私は独身だから色欲心があるのか?  色欲心以外にどんな執着があるのか、 欲望の背後にはあるのは何なのだろうか? それは『情』だ。『情』が満たされたいないんだ」

 表面的には私は独身なので、現実的な欲望には関わらないようですが、心理的に、心の奥底には、やはり常人の「愛」への憧れがあるのでしょう。いわゆる「美談」ばかりを見て共感するのは、現実にはない「愛」の心地よさを、この空想の感情で満たしているだけなのです。精神的な満足を通じて、肉体的にも満たされるようになるのです。

 そんな中、ネット依存や色欲心をなくすのはそう簡単なことではありません。なぜなら、自分は心の底ではまだこの「愛」の満足感を求めていて、それを手放したくなかったからです。

 この根本的な執着を見つけた私は、発正念を始め、主意識を強化し、「愛」や「欲望」を取り除き、「思想業力」を取り除くことに力を入れました。同時に、インターネットへのアクセスを制限する物理的な方法も取り入れました。私はノートに方眼を書き、日付と項目を記入し、1日1回セルフチェックし、インターネットにアクセスしたらメモするようにしました。結果は良かったり悪かったりでした。

 しばらくこれを続けていたのですが、ある日の仕事帰りに、「もし明日、修煉が終われば、その小説が完結しているかどうかを考える気分になれるか」と自問してみました。その瞬間、ふと、この執着が消えた気がしました。ネットや小説などに対する、気になって仕方がない、頭から離れなくなるような感覚はさっぱり消えさりました。本当にこの執着を取り除きたいという気持ちが生じたのを見た師父が、取り除いてくださったのだとわかりました。

 その夜、師父が私に微笑んでいる夢を見ました。師父、ありがとうございました。

 法を暗記、さらに精進

 以前から『轉法輪』を暗記したいと思っていて、これまで何度かしたことがあるのですが、毎回続きませんでした。一番続いたのは、第ニ講の「天目の問題について」までで、それっきりになっています。

 昨年、自分の事務所を持った後、再び暗記を始めたのですが、妨害がひどいのです。本を持って何度も暗記しましたが、正確に暗記できませんでした。そこで私は、ある解決策を思いつきました。パソコンでワード文書を作成し、暗記しながら打ち込み、それからチェックし、単語や句読点など間違った箇所には赤で印をつけました。そして、その段落を正確に覚えるまで暗記と打ち出しを続けて、また次の段落を暗記するのです。

 これは時間がかかりますが、よく暗記できます。しかし、暗記する時の妨害も大きいものです。まず、一日中忙しく、隙間時間を見つけて法を暗記しなければなりません。 つぎに、思想業力からの妨害も酷いのです。本を見ただけで暗記したくなくなるし、パソコンを見ると触りたくなくなるし、暗記しようと思うと、心がくじけそうになることもあります。特に最初の頃は、一段落を暗記した後、もう一段落覚えようしても、じっとしていられないほど鬱陶しくなり、とにかく暗記したくなかったのです。さらに「この暗記の仕方は遅すぎて、いつになったら一通り覚えられるのか。やはり暗記するのを止めて、黙読することにしよう」という考えがしばしば頭に浮かんできます。この時、私は立ち上がって少し休憩してから、また暗記を続けます。

 今は、進度はまだゆっくりですが、『轉法輪』を暗記できるまで必ず続けたいと思います。

 まとめ

 師父に見守られながら、十代の頃から法を得て今日まで歩んできました。残り少ない正法修煉の時間において、しっかり自分を修め、執着を捨ててさらに精進していきます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/25/433778.html)
 
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