黒竜江省鶴崗市 電波ジャックした張燿明さんが死亡
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 【明慧日本2022年6月8日】黒竜江省鶴崗市の法輪功学習者・張燿明さんは、2002年にケーブルテレビ放送を電波ジャックし、法輪功の無実のビデオを放送したとして身柄を拘束され、市工農区裁判所に懲役19年の重刑を宣告された。その期間、数年間一時出所できたが、2021年4月に解放された際、迫害されて痩せ細り、2022年4月初旬に死亡した。享年59歳。法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党に迫害されている。

 一、夫婦はともに法輪功を学び、心を修める

 張燿明さんは、興山鉱第一中学校の数学講師である。法輪功を学ぶ前の張さんは、咽頭炎、副鼻腔炎、胆嚢炎を患い、30代の時に咽頭炎を患い、半月ほど授業ができなかった。副鼻腔炎が発病した時、頭痛が我慢できず、胆嚢炎の関係で肉を食べれなかった。そのほか、けいれんと冷や汗などの症状があり、暑くなくても、食事の時よく汗だらけになった。張さんの妻は医者でありながら、漢方と西洋薬を使っても、治せなかった。

 張さんの妻・範鳳珍さんは1962年生まれで、嶺北鉱病院の内科医である。範さんは幼い頃から病弱で、冬になると毎日咳が止まらず、30年経っても治らず、年々症状がひどくなった。また慢性の貧血があり、健康状況は悪化し、日常生活と仕事にも支障が出たが、改善できなかった。

 1995年8月中旬に法輪功を学び始めた範さんは、わずか数日後には身体が軽くなり、疲労感も消えて毎日楽しい気持ちになった。

 法輪功を学んでしばらくすると、 範さんは夫の気性も良くなったことに気づいた。範さんは「私が法輪功を習っているのに、なぜあなたが優しくなったの」と不思議に思い聞いた。張さんは実は毎日、妻が寝た後に法輪功の書籍『轉法輪』を読んでいて、すでに半年が経ったのだという。法輪功を学び始めた張さんも病気が治り、夫妻はとも法輪功の恩恵を受けた。2人は生活においても、仕事においても「真・善・忍」の教えに従い、トラブルの中で自分の不足を探し、他人のことを最優先に考えるようになった。

 範さんはコツコツと働き、利益を求めず、患者に高く評価されている。中国本土では医者が患者からギフトをもらうことは至極当然になった風潮で、範さんは善意を持ってギフトと招待を一切断っている。家庭においても、自分の服は買わなくても、先に姑に買ってあげ、黙々と家族に捧げている。 

 このように、2人は人生の意味がわかり、毎日明るく幸せな生活を送っている。

 二、夫婦はともに身柄を拘束された

 1999年7.20に、江沢民グループは法輪功に対する迫害を開始した。テレビでは毎日、法輪功の創始者及び法輪功に対する誹謗中傷の内容を放送し、国民の法輪功への恨みを煽った。

 2000年10月、張さん夫妻は法輪功の無実を伝えるために北京へ陳情に行った。張さんは天安門広場で法輪功の横断幕を開き、警官に身柄を拘束された。範さんはホテルで不当に連行された。2人は北京の派出所から鶴崗に戻され、8000元(約15万円)の罰金を強要された。

 張さんは、鶴崗市第二留置場で顔を殴られた。その後、労働教養1年を科され、市労働教養所に拘禁された。

 範さんは2カ月間拘禁され、1800元(約3万5000円)の罰金を強要された。その後、第一留置場と第二留置場に7カ月間拘禁された。範さんは五日間断食し、家に戻されたが、職場に出勤することを禁じられた。

酷刑演示:野蛮<span class='voca' kid='74'><span class='voca' kid='74'>灌食</span></span>

拷問の実演:灌食

 2002年の1月初め、範さんは売店で他の学習者と会った時、東山区工人村派出所の警官に身柄を拘束された。所長・姚は範さんを殴り、15日間拘束した。範さんは鶴崗市拘置所で断食をし迫害に抗議した。9日目に灌食され、窒息で死にかけた。塩分濃度の高いトウモロコシスープを灌食された結果、胃袋がヒリヒリし、喉もチューブに刺され、腫れて痛くなり、数日間通常の食事ができなかった。灌食をしたのは愛嬰病院の看護師で、その場にいたのは他に女性警官・高原と、所長・孫である。

 三、電波ジャックをした張さんは、重刑を宣告された

 2002年4月20日、鶴崗市の学習者・張燿明さん、王樹森さん、郭忠権さん、郭興旺さん(もしくは郭興国さん)、楊永英さんは個人の安危(あんき:安全か危険かの瀬戸際の状態)を顧みず、ケーブルテレビ放送を電波ジャックし「偽りの天安門焼身自殺」というビデオを20分間放送した。当時の市委員会書記・張興福は、慌てふためいて「間違って千人を逮捕しても、1人を逃すな」と言いふらした。

 そのため、張燿明さん、王樹森さん、郭忠権さん、郭興旺さんを含む、全市の学習者500~600人が身柄を拘束された。2002年4月24日、張さんと範さんは親戚の家で連行された。

 同年10月、市工農区裁判所は張燿明さん、王樹森さん、郭忠権さん、郭興旺さんにそれぞれ懲役19年、18年、15年、13年の重刑を宣告した。楊永英さんは2005年に身柄を拘束され、2006年に懲役17年の不当な判決を宣告された。郭興旺さんは市第一留置場及び呼蘭刑務所で残酷な迫害を受け、何度も重体に陥った。2009年5月7日、一時出所で家に戻されたが、1カ月後の6月3日に死亡した。

 張さんはハルビン第三刑務所に拘禁され、具体的な情報は調べる必要がある。2004年初め、黒竜江省労働教養所は刑務所に書類を通達し、法輪功学習者の転向率を95%達成するように命じた。この時、牡丹江刑務所から泰来刑務所に転勤してきた所長は張志誠、副所長は趙である。5月1日前後、ほかの刑務所はすでに学習者に残酷な迫害を加えたため、ハルビン刑務所の学習者1人が迫害されて死亡した。関係者は事実を暴露されることを恐れ、ほとんどの学習者を大慶、牡丹江、泰来の刑務所に移送した。

 6月30日、28人の学習者が泰来刑務所に移送され、下車の時「法輪大法は素晴らしい」と大声を出した学習者は警官に殴られた。7月、泰来刑務所は会議を開き「改造」「労働教養」に抵抗する囚人を全て転向させることを決めた。全員転向できた場合、1000元(リーダーは2000元)の奨励金をもらえる、達成できない場合、降格、賃下げ、解雇されることもある。また、各監獄区では許可がなくても、学習者に刑具をつけることができ、刑具が足りない場合は、各自で作ることもできると決めた。その結果、各監獄区は迫害の手段を比べ合い、毎日学習者に手枷、足枷をかけた。足が枷で擦れて傷になり、歩けなくなった学習者は車椅子で押されて働かせた。また、学習者の睡眠を禁じ、寝る学習者に冷たい水をかけて起こした。

 第一監獄区で、張さんは3日間吊り上げられ、呉憲剛さんは10日間吊り上げられた。第二監獄区で、趙伝芳さんは5日間吊り上げられた。第三監獄区で、李長安さんは2日間吊り上げらてから牢屋に閉じ込めた。第四監獄区の警官は、李振中さん、田勇さんを40度以上の高温の中に晒し、深さ1メートル以上の坑に入れ、手足を吊り上げ、3日間睡眠を禁じた。第五監獄区で、邱剣斌さんは6日間吊り上げられた。第七監獄区の警官・趙文革は、田立軍などの受刑者に指図して、学習者・王守慶さんを1カ月以上睡眠を禁じ、その後も2日間吊り上げた。第九監獄区の学習者・李順江さんも睡眠を禁じられた。そのほか、潘紅東さんは殴られて5日間吊り上げられた。第十監獄区に拘禁された新しい学習者は、20日間以上吊り上げられた。第十一監獄区に拘禁された学習者・張奎武さんは、半月間吊り上げられ、洗脳用のテレビ、漫画を見せられ、批判会にも参加させた。このような迫害は2004年10月まで続いた。

 張さんは泰来刑務所に拘禁された期間、心身ともにダメージを加えられ、ひどい貧血、皮膚病、ひどい痔になってしまい、一時出所した。2015年8月17日午前9時ごろ、張さんは再び刑務所に連行された。

 2021年4月23日、張さんは刑期満了で解放された。しかし、泰来刑務所は家族に知らせず、鶴崗市の政法委員会(治安・司法などを統括する機関)、610弁公室、市公安支局の向陽支局の紅軍派出所の警官、運転手1人合わせて4人で張さんを紅軍派出所に迎え、家族に「三書」を書かせてから張さんを解放した。

 出所した張さんは迫害されて痩せ細り、2022年4月初旬に死亡した。

 四、妻・範鳳珍さんは労働教養所で残酷な迫害を受けた

 範鳳珍さんは労働教養3年を科され、ハルビン市の麻薬中毒回復所に拘禁された。当所は江沢民グループによる10万元の奨励金をとるため、法輪功迫害に力を尽くした。2002年11月12日、いわゆる中国共産党の「十六大」前、100人以上の学習者に残酷な迫害を加え、2人の学習者は殴打されて死亡した。

 学習者たちは毎日十分な食料をもらえず、範さんなどは朝から晩まで一列に並び、しゃがませた。11月14日の午後、範さんは隊長・張玉書に呼び出され、真冬に、セーターとズボンを脱がされ、素足で冷たい地下室に連れていかれ、両手を床にあるリングで締められた。地下室はとても広く、小窓があるが、同時に70〜80人が中で迫害されていた。警官は暖かいコートを着ているが、学習者にはコートを着せずにわざと窓を開けて凍えさせた。1人の警官は何も言わずに、まず電気スタンガンで範さんの足を電撃した。警官・呉坤は雑誌を丸くして刑務所の警官・史延江に渡し、範さんの顔を叩かせた。範さんの顔は変形し、血痕が残った。刑事犯の陸佩英は匂いがキツイガーゼを範さんの口に入れ、テープで範さんの口を封じた。刑事犯の周麗娟は、範さんの髪の毛を好きなように切り、わざと醜くくして範さんを辱めた。

 夜中ごろ、女性警官・王丹は、範さんを水のあるお盆に入れ、電気スタンガンで電撃した。ほかの警官は範さんの服を開けて背中、腕をも電撃した。夜明け、範さんはドア付近で凍えさせられた。その時、男性警官5人が入って、再び範さんの全身を電撃し、範さんは痛さのあまりに床を転げ回った。

拷問の実演:電気スタンガンで電撃

 範さんは5人に電撃された後、めまい、全身麻痺、ふらふらで一人で歩けず、身の回りの生活ができなくなった。しかし、刑務所は一時出所をさせなかった。2004年10月、範さんは極めて衰弱、話す気力すらもなく、食事を摂れず、痩せこけた時、やっと家に戻された。

 張さんと範さんの幼い子どもは2人が連行されてから、親戚のところに身を寄せ、毎日泣いていて、勉強にも専念できなかった。範さんの父親は娘夫妻のことで病気になり、2004年7月1日に死亡した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/29/444215.html)
 
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