湖南省邵東市の寧鉄橋さん 迫害され死亡
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 【明慧日本2022年6月15日】湖南省邵東市の法輪功学習者・寧鉄橋さんは、心身の健康増進に効果がある気功「法輪功」を学んだとして、当局に労働教養処分1年を科されたことがあり、懲役4年の実刑判決を言い渡されたこともあった。そのうえ、邵東市610弁公室の警官から絶えず嫌がらせや脅迫をされ、その結果、2022年6月7日に死亡した。享年53歳。

 寧さんは、邵東県簡家隴郷の建成村に在住していた。1997年法輪功を学び始めた寧さんは患っていた胃炎などの病気が完治した。瀋陽市で三輪車タクシーの運転手として生計を立てていた寧さんは、豪放な性格で誠実で親切な人だった。

 2000年10月1日に、寧さんは法輪功の無実を訴えるため北京へ陳情に行ったが、天安門広場で警官に連行された。その後、地元に送還された寧さんは邵東拘置所で15日間拘束され、入所者に殴打され命を失いかけた。解放されてから、寧さんは出稼ぎに瀋陽市に行った。しかし、簡家隴派出所の警官は寧さんの身柄を拘束しようとした。

 その後、身柄を拘束された寧さんは邵陽市留置場に拘禁されたが、労働教養処分1年を下された後、2002年2月7日、湖南省長沙市新開鋪労働教養所に送られた。寧さんの老いた父親は教養所へ行けず、寧さんに100元送金した。しかし、そのお金は教養所の麻薬犯に使われてしまった。寧さんは教養所の迫害で病気になり、不眠状態が続いた。2003年1月31日、寧さんは解放された。

 2004年3月13日、寧さんとほかの法輪功学習者2人は辰溪県王安平郷に行き、法輪功が迫害されている事実が書かれた資料を配った際、郷政府の人員に連行された。郷政府で3人の学習者は殴られた。その後、郷政府の人員が国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)に連絡し、学習者3人を警官に渡した。そして、警官は学習者3人を県拘置所に送った。

酷刑演示:殴打

拷問の再現:殴打

 拘置所で拘禁されていた間、警官は学習者3人を順番に公安局の国保に連れて行き、拷問して自白強要をした。寧さんは数時間にわたって、足が少し地面についた状態で、両腕を手錠で窓の欄干に吊るし上げられ、猛打された。もう1人の学習者は拷問で失禁状態になった。

 同年3月18日、寧さんは県留置場に移送され、引き続き拘禁された。ほかの学習者2人は労働教養処分を科された。

 2004年9月8日、寧さんは不当な裁判をかけられた。法廷で、寧さんは「法輪功を学ぶ前の私は、キャンブル、喫煙、飲酒などの悪習があり、法輪功を学んで悪習を捨てました。法輪功を学んだおかげで、これから、悪い事をしないようにと決心しました。法輪功は本当に素晴らしいです。これは法輪功の真実です」と、述べた。

 しかし、寧さんは懲役4年の実刑判決を宣告された。辰溪県留置場で1年拘禁された後、寧さんは2005年春、常徳市の派遣事務所に連れて行かれ、坊主にされるとき、従わなかったため、猛打された。その後、寧さんは身体検査をされ、法輪功の経文を探し出されたため、また、殴打された。2カ月後、寧さんは湖南省チン州刑務所に送り込まれた。刑務所で寧さんは囚人服を着ることを拒んだため、押し倒され、強制的に着せられた。

 湖南省常徳刑務所第7旅団で拘禁されたとき、寧さんは無理やり警官に写真を撮られ、「この人が転向した」と嘘の宣伝をされた。

 2008年3月、解放されて帰宅した寧さんは、邵東610弁公室の警官から嫌がらせをされ続けた。迫害から免れるため、寧さんは家を離れたが、2008年の北京五輪前、610弁公室の警官は寧さんの80代の父親を脅迫し、寧さんの居場所を聞いた。その後、父親が亡くなったが、寧さんは家に帰れず、最期をみとることができなかった。

 2018年11月21日、寧さんは邵東人民病院に搬送されたが、23日夜、邵東県龍橋路にある借家が警官に家宅捜索された。

 2022年3月末、寧さんは脳出血を発症し、勤め先の人が救急車を呼んで、邵東人民病院に搬送され、ICUで救急手当を受けた。4月14日、退院した寧さんは歩けず、話せず、寝たきり状態になったが、邵東610弁公室の警官から絶えず嫌がらせと脅迫をされたため、6月7日にこの世を去ったという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/11/444757.html)
 
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