【明慧日本2022年6月23日】遼寧省鞍山市の法輪功学習者・雍芳さんは、刑務所に9年間拘禁された。2021年10月25日、刑務所から出た雍さんは、髪が真っ白になり、顔が青白く、体が弱くてお風呂に入る力さえなくなった。刑務所で9年間の残酷な迫害を受けた結果、雍さんは大きな声を出すことができず、足も弱くて階段を登るのも困難になった。そして、2022年2月19日、雍さんは無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年65歳。
生前、雍さんは繰り返し連行・拘禁された。1999年11月、雍さんは鞍山市検察庁に起訴され、2000年に判決を受けた。また、2004年7月、対炉派出所の警官は雍さんを連行し、遼寧省馬三家労働教養所に送り込んだ。2005年の下半期に雍さんは出所した。
姉妹ともに連行され 妹は死亡
2012年10月25日午前、雍さんと妹・雍芳智さんは一緒に鞍山鉄東裁判所に行き、5人の法輪功学習者に対する裁判を傍聴しようとした。10時40分ごろ、突然、数台のパトカーが裁判所にきて、大勢の警官と私服警官が降りてきた。そして、警官らは裁判所の前で待っていた法輪功学習者と開廷される家族たちをいきなり連行し始め、40人も拘束した。雍さん姉妹も鞍山市公安局に連行された。
その後、対隊炉派出所の警官は雍さん姉妹の家に押し入り、法輪功の関連書籍、現金などの私財を押収し、雍さんの夫と息子を連行した。当日の夜10時、夫、息子、妹の3人は解放された。
雍さんは鞍山女子留置場に入れられた。入所の身体検査で、雍さんの高血圧が220㎜Hgになっているため、留置場側が雍さんの入所を拒否した。しかし、26日午前、雍さんは強制的に留置場に入れられた。その翌日、病状が悪化した雍さんは病院に運ばれた。
妹は連行されたことで精神的なダメージを受け、食事も食べられなくなり、不眠が続いた。そのうえ、警官から雍さんが病院に運ばれ、救急手当を受けていると通知されたことで、妹は姉のことを心配し、一層打撃を受けた。その結果、妹は2012年12月14日、54歳の若さで死亡した。
雍芳智さん |
懲役9年の重刑を受ける
2013年2月28日、雍さんは留置場で鉄東区裁判所に不当に開廷され、懲役9年の重刑を言い渡された。
それから、留置場の警官は2回も雍さんを遼寧省女子刑務所に送ったが、刑務所側に入所を拒否された。その後、警官は雍さんに「治療のため、保釈の手続きをして、帰宅させる」と嘘をつき、サインをさせると、雍さんをパトカーに乗せて刑務所に向かった。
雍さんは着ている夏服だけで、着替えも生活用日もないまま、入所させられた。刑務所で雍さんは「転向」しないため、罵られ、虐待などの迫害を受けた。雍さんは断食をして迫害に抗議をしたが、灌食をされた。
拷問イメージ図:野蛮な灌食 |
刑務所の第11監獄区で、雍さんは一度迫害により危篤状態に陥った。2015年7月13日、脳出血になった雍さんは、瀋陽市の病院に搬送され、救急手当を受けた。家族が病院に駆け付けたとき、雍さんはすでに昏迷状態になっていたが、足枷をつけられ、ベッドに繋がれていた。家族は刑務所側に雍さんの「保釈」を求めたが、拒まれたうえ、その場で6000元(約12万円)の治療費を払わせられた。
迫害されて死亡
2021年10月25日、刑務所で迫害され、かなり弱っていた雍さんは出所した。
雍さんの息子は寝たきりの父を世話しながら、弱っている母親の面倒を見なければならなかった。心身ともに疲れ果てた息子は、経済的に余裕がないものの、治療のために、母親をしばらく入院させた。その後自宅に連れ帰った。
夫と息子は、20年以上にわたって、精神的、肉体的な苦痛に耐えてきた。夫は、刑務所にいる雍さんの健康をずっと心配していたが、数年前、病気にかかり、半身不随になり、話もできなくなった。40代の未婚の息子は両親の面倒を看るために、仕事にも行けなかった。
雍さんは帰宅した後、年金の支給を停止された。雍さんは以前、中華店で会計の仕事をしていた。雍さんは鞍山市鉄西区労働会館に行き、年金停止の解除を求めたが、職員に「上からの通知だから。関連規定により釈放証明と冤罪の判決書を提示しなければならない。それらの書類が1カ月以内に揃わないと手続きもできなくなる」と言われた。雍さんはさらに、数年前に労働教養所に拘禁されている間に支給された6万元(約121万円)を返すようと要求された。
刑務所から帰宅して118日目に、尿が出なくなり、心不全で意識不明に陥った雍さんは、2022年2月19日に死亡した。