【明慧日本2022年6月28日】「2022年カナダ・モントリオール法輪大法修煉体験交流会」が6月19日、ジョージ・ヴァニエ文化センターで開催された。交流会では、中国人と西洋人の法輪功学習者(以下、学習者)10人が発表し、修煉の道においていかに「真・善・忍」の原則に基づいて心性を高め、より良く自分を修めて、衆生を救うのかという体験談を語り合った。
6月19日、交流会はジョージ・ヴァニエ文化センターで開催された
交流会で発表している法輪功学習者 |
善と慈悲をもって協調の任務を果たす
馬さん(女性)は、今年初めて神韻のポスター掲示の協調人になった。これまで協調の経験がなかった彼女は、当初、同修に電話をかけて呼びかけるよりも、自分で1日ポスターを貼りに行く方が簡単だと考えていた。 しかし、協調人である自分の責任は、より多くの同修を参加させることで、これが自分の目の前におかれた修煉の道であり、確実に修めることで基準に達することができ、試練を乗り越えることができると悟った。
馬さんは、日頃の真実を伝える電話かけから、「すべての人々を掌中にする」という心構えで人を救う必要があることを悟った。 彼女は、同修に対しても同じ気持ちで接するべきだと考え、心を開いて同修と交流した。時には電話一本で30分、1時間かかることもあった。同時に、皆さんがポスターを受け取りやすいように貼り付ける場所の地図などを準備し、そしてオンライン、または対面でのトレーニングも行った。 2カ月ほどで、ほとんどのポスターを同修が受け取り、参加者の数は今までで最多となった。
ポスターを貼り付ける過程で、時には同修が受け取ったポスターが理由もなく次々と返却されることもあった。 彼女は焦って不安になったが、しかし、常人の仕事のように強要することもできず、そうすれば物事がうまくいかなくなるのである。繰り返される心の葛藤の中で、心の練磨の試練を受ける中で、彼女は内に向けて探し続け、正念をもって仕事に取り組んだ。 最終的には、神韻のポスターは全部貼り出され、これは地元の神韻の宣伝では初めてのことであった。この過程を振り返ってみると、協調の中で遭遇する試練には、ほかの方法はなく、唯一、善と慈悲を用いて対処すれば乗り越えることができると気付かされた。そして困難な向上への道のりは、師の慈悲深い御加護なしではなし得ることが出来ないと悟った。
正念を用いて問題を見れば、すべてが変わる
西洋人学習者ミシリーヌさんにとって、退職後の数カ月は困難な生活に陥った。なぜなら、厳しい仕事から離れた後、普段の生活に適応できずに麻痺した状態になった。彼女は発正念を強めることを決め、そして学法をし続けたが、彼女の目に問題が現れた。彼女の学法を妨害したが、彼女はあきらめずに法を学び続けた。
この後、彼女の視力が回復して法に対する理解は大きく向上し、もはやこの貴重な時間を1分たりとも無駄にすることができない、一分一秒であっても正念と善の心で修煉して人を救わなければならないと思った。そこで彼女は、中国領事館前やチャイナタウンで行われている、迫害の実態を伝える活動に参加した。
ある日、中国領事館の前に行ったのは彼女だけで、他の同修は用事で来れなくなった。彼女は署名ボードしか持っておらず、パネルやチラシは持っていなかった。この時、様々な人心が現れ、拒否されることを恐れていた。しかし、彼女は署名ボードを取り出した。この時、領事館前の建設現場で働いていた男性が来たので、 彼女は中国共産党の迫害事実や法輪功とは何かを伝えると、彼はすんなりと署名してくれた。続いて、何人かの労働者と何人かの歩行者が立ち止まって、同様に署名をした。あっという間に、20人以上の署名が集まった。
物事はいつも同じではなく、時にはすべてがうまくいかないこともあった。しかし、彼女は考え方を変え、正念を用いて問題を見ると、すべてが変わり、自分の周りのすべてが良い方向に変わったのである。
仕事ではなく、修煉である
神韻プロモーションの会計とチケット販売担当の役割を担う従さんは、事務的にとても繁雑で、しかも時間を守ることが要求され、期限内に終わらさなければならなかった。彼女はせっかちな性格で、焦れば焦るほどトラブルが多く、郵送したチケットが戻ってきたり、チケットを買ったのにクレジットカードの決済が拒否されたり、チケットを変更・交換しなければならなかったりと、予想外のことがよく起きた。これらのことを対処していると、プリンターが詰まったり、紙やチケットで手を切ったりすることがあった。
彼女は、これは師父のご啓示であり、焦らず、仕事を修煉とみなした。行った仕事に法の要素が含まれなければ、エネルギーがなく、衆生を救う作用を果たすことが出来ず、行っても無駄なのである。それで、彼女は心の状態を調整し、すべての衆生や神韻のブランドに対しても責任を持つ精神状態で臨み、緊張するのをやめて、心を静ませ、純粋な心で落ち着いて仕事をした。今年は、彼女が処理したチケットにミスがなく、以前あったクレジットカード払い拒否による代金の未収もなくなった。
彼女は、師父が弟子の修煉状態に応じて道を按排され、弟子の一つ一つの歩みに師父から弟子に与えられた全てのものが盛り込まれている。しかもそれは、それぞれの修煉者にとって最も最適であることを悟ったのである。
全体の中で心性を練磨し 自我を放下する
劉さんは天国楽団に入団して、スネアドラムの演奏を担当した。パレードでは演奏中、よくひどい寒さやひどい暑さ、大雨に遭った。彼女の肩は、ドラムセットの重さで痛くなったという。彼女にとって、この「筋骨を労せしめる」ことよりも、本当に苦しいのは「心志を苦しめる」ことである。他人の事が気になる人心が、彼女を天国楽団に参加することに戸惑ったこともあった。
例えば、スネアドラムの他の団員はリズム感が悪く、メトロノームについて行けないと感じたり、時には担当部長が列を並べる際、自分の演奏が苦手でサイドの列に立てないという団員もいた。彼女はそれが納得できず、マイナス思考がよく頭をよぎり、楽団を辞めようと思うことも度々あったという。
ある日、パレードに出かける前に母親と口論になり、疲れ果てて、心のなかでこのパレードを最後に天国楽団を辞めようと思った。集合場所に着いて練習を始めると、強烈なエネルギーを感じ、彼女は初めて全体の大きなエネルギーを感じた。彼女はもはや個人の存在ではなく、天楽楽団の全体としての存在である。 彼女は思わず涙を流し、心の中で師父に、「師父、私は間違っていました、私は楽団にいて、全体の一粒子であり続けたいのです」と語った。
「絶対的な正確なリズムでスネアドラムを演奏すべきか、それともリズムを外している人に合わせるべきか」、この問題は彼女を長い間悩ませていたという。 今、彼女はこの答えはとても簡単で、問題を見つけたらすぐに自分の内に向けて探し、相手が正しいか否かを気にするのではなく、自分の行動で許容範囲をさがし、相手には寛容に理解するようにして、甘えや不満を持たないことだという。
交流会終了後、多くの学習者から、同修たちが交流した修煉体験から多くを学び、実践の中で自分の修煉の不足を見つけられたと同時に啓発とやる気が湧いて来た。師父からいただいた貴重な時間を大切にし、これからの一年を怠ることなく精進し、自分をより良く修めようという声が聞かれた。