【慶祝513】 善は法の中から生じ、知恵は法の中から生まれる (二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日2022年7月11日】(前文に続く)

 三、怒らず憎まず、善を持って親孝行する

 私は故郷から姑を連れてきて同居していますが、姑に仕える過程で、自分の心を磨き、心性を高めることがたくさんありました。 時には悔しくて我慢できず涙を流し、心が落ち着かず、姑を恨むこともありました。姑は個性が強く、素直で意気地がないように見えますが、弱者には強く当たり強者にはへつらう気質があり、良くしてあげればあげるほど、気が強くなる傾向がありました。 姑は自分勝手で心が狭く、冷たく無神経で、最大の関心事は自分の娘のことでした。

 私の叔母は、「このおばあさんは人を大事にすることを知らない、あなたがどんなによくしてあげてもあなたを大事にしてくれないよ」と言いました。 姑は非常に我がままで、頑固で、義姉の言葉を借りれば「死ぬほど頑固」です。 また、言い方がきつく、常に悪意を持って他人を憶測したりしました。

 以前、姑は義兄の家で倒れた時、姪が親切に助けに行ったところ、姪に突き落とされたと言ったことがありました。 ここ1、2年間、姑の様子がおかしいときがあり、姑のために義姉や義妹はしばしば苛立ち、薬を飲んで気持ちを落ち着かせたりもしました。 元々、姑は義姉を少し怖がっていたのですが、義姉家の甥は「おばあちゃんがお母さんを杖で殴った 」と言いました。

 私が我慢できないのは姑の不衛生さで、それは想像を絶するものでした。 そのため、私はトイレットペーパー、ロールペーパー、ティッシュ、フェイシャルティッシュ、ウェットティッシュなどを、コーヒーテーブル、ソファ、ダイニングテーブル、ベッドサイドテーブル、各部屋など、あらゆるところに置きました。 しかし、姑は依然として好き勝手にやっていて、これらのものは使おうとしませんでした。

 私は姑を変えようとせず、姑が長年かけて形成してきたこの衛生感覚や習慣を、怒りや恨み、憎しみを持たずに受け入れ、できる限り姑を助け、さらに細かい配慮が行き届くようにしました。姑が口を拭きたいときはティッシュを渡し、手を拭きたいときはウェットティッシュを渡し、トイレに行くときはトイレットペーパーを渡し、トイレの水を流し、蛇口をひねり、ハンドソープまで出してあげました。

 以前、故郷の叔母は私の手を取り「姑からあなたたちと同居していた時の話を聞いたわ。あなたたちは本当に彼女に良くしてあげているね!  彼女は満足を知らず、あまりにも満足を知らないのよ」と言ったことがあります。私は、もしかして前世に姑に借りがあるので、どんなに彼女にやさしくしてあげても感謝されないのかもしれない、それなら喜んで借りを返そうと思いました。

 親や義理の両親に親孝行をするのは、好きか嫌いか、気質が同じかどうか、自分にやさしくしてくれるのかくれないのかに関係なく行うべきです。見返りを求めず、自分のやるべきことをやればよいと思いました。

 私は姑が好きなものは何でも買ってあげました。 姑が清潔な服を着られるように、アウター、ウールのセーター、カシミアのパンツ、下着に至るまで、一年中、できる限りのものを買い揃えました。 義姉は私に、「姑が長年着ていた服はほとんどあなたが買ってあげたものよ。私と叔母はほとんど買っていません 」と言いました。

 実は、姑は私の心性を向上させてくれました。私が良い人、より良い人になるよう助けてくれていたのです。 姑のおかげで、私は勤勉で寛容で強い人になり、汚れも気にならなくなりました。 簡易トイレの持ち運びや便を捨てることや、簡易トイレの掃除まで、やりたくないことをたくさんやるようになり、慣れるようにもなりました。

 また、私は姑のおかげで料理が上手になりました。 私も夫も料理が苦手で、仕事が忙しいため出来合いのものを買うことが多く、おかゆや野菜はほとんど作りませんでした。 夫は好き嫌いがなく、息子も文句は言わなかったので、いつも簡単に食事をしていました。私一人で食べるのはさらに簡単で、饅頭とお漬物、またはお餅とキュウリにタレをかけたものだけで十分なのです。修煉してからは、食べるものに対してこだわりがなくなり、冷たいものも熱いものも食べられ、特に食べたいものもなく、ただお腹を満たすだけで満足しました。 そのため、我が家では食事にかける時間も食費も節約できました。しかし、姑はお粥や具がはいった食べ物が大好きでした。 私は姑のために1日3回、甘くておいしいお粥をいろいろと作りました。 餃子や蒸しパンの作り方も習いました。 時間も効率よく使うように計画し、バランスの良い生活を送るようになりました。

 年を取った親に親孝行をし、生活の中でサポートしてあげるのは大事なことです。その過程で私は常に自分を磨き上げ、汚れや疲れに対する嫌悪感、面倒くさいのが嫌いなど、あれこれを恐れるなど様々なよくない心を捨てました。性格や気質、観念、行動や衛生面での習慣が異なっても、心を込めて姑の面倒を見てあげました。誰かのためにやるのではなく、人にやさしくすることは、自分にやさしくすることであり、自分の心に善意を持ち続けることはやるべきことなのです。

 義理の兄弟姉妹との付き合いでは、損をしても気にせず、助けが必要な人を助けてあげたり、人に多く与えるようにしました。ほかの人が見て、この一家はとても調和がとれていると感嘆しました。

 四、人に対して思いやりのある行動をし、利益に執着しない

 以前、100円の偽札を受け取ったことがありました。その時に金のアクセサリー店の親切なおばさんは、「私の店では入荷する金額が大きいので、偽札を中に入れてやりとりすれば使えるので、あなたのために使うのを手伝ってあげる 」と言いました。 私は彼女の好意にお礼を言い、「すでに偽札とわかっているのに、まだほかの人を騙してはいけません」と言い、偽札を処分しました。

 十数年前、私たちはホームセンターでリビングルームの照明一式を購入し、設置する日を決めて、梱包した商品を家に持ってきました。ところが、施工業者が家に来たとき、購入した商品と同じものを持ってきました。私が最初に思ったのは、相手にどれほどの損害をもたらすかということでした。商品の値段は正確に覚えていませんが、少なくとも数百元はするはずなので、発覚したら関連する従業員が罰を受けるのではないかと心配しました。また大法弟子は不当な金銭を得てはいけないので、施工業者に状況を説明し、持ってきた商品は持ち帰るように求めました。しかし、施工業者は「そんなことは知らない、関わりたくもない。私はただ商品を設置するのが仕事だから」と断りました。その後、私たち夫婦は時間を見つけてホームセンターに行って商品を返しました。

 私はいつもバックに小銭を入れておき、小さな店や屋台で物を買うときは売り手に金額の端数を切り捨てられないようにしています。私が金額の端数を切り捨てずにお金を店員に渡すと、「こんな小銭までくれるのですか?」、「端数を切り捨ててもいいですよ」と言われますが、「たまたま小銭があるのであげますよ、受け取ってくださいね」と言いました。それを見て「今の人たちは、頼んでもくれないのに、あなたは自らあげていますね。ありがとう!」という人もいました。それから、断固として小銭は断る人もいました。

 五、真・善・忍の光が我が家を照らす

 私の夫と息子は、法輪大法から心身ともに恩恵を受けています。 健康で、高い道徳心を持ち、よく働き、良い評判を得ています。 2人とも「真・善・忍」に共感し、日常生活や日々の仕事の中でそれを実践しています。

 息子は明るくて、かっこよく、とてもまともな男の子です。 息子は大学を卒業する前に、満足の行く仕事に就くことができました。 その後、公務員試験に合格し、とても良い職場に就職しました。息子は責任感が強く、適応力があり、仕事を覚えるのが早く、同僚たちと分け合うことを厭わず、名声や利益を競わず謙虚でしたので、上司や同僚たちに好かれていました。 私がよくない行動をとると、息子に「お母さん、『真・善・忍』を思い出してね。どうやって『真・善・忍』を学んだの?」と言われます。

 夫は病院の小児科医で、役員として働いています。 地元や周辺地域でも指名度があります。彼は自分の仕事を愛し、業務上でのスキルをいつも磨き上げています。勤務中は仕事に専念し、勤務外で本を読んだり、専門家の講義を聞いたりして、日々勉強しています。 長く主治医を務めていますが、学問に終わりはないといつも言っています。

 夫は名声や利益を求めず、学んだことを活かして患者さんの病気や苦しみを心をこめて取り除いてきました。彼はあえて人間関係を作るようなこともしていませんが、、多くの「ファン」を獲得しています。 多くの幹部らが「私はH院長(夫のこと)をよく知っている、私の子供も小さい時から彼のところに通っている」と言っていますが、 夫はあまり覚えておらず、一心に子供の健康だけを考え、子供の親の身分や地位は見ないで、全ての子供を皆平等に扱いました。

 法輪大法の真・善・忍の法理は既に夫の心の中に入り、行動の中で表しているかもしれません。彼は誠実で、優しい心と、優れた医術で、多くの親子の信頼と愛を得ました。しかし、彼は個人の栄誉は重視せず、チーム作りをより重視し、部下たちが成長できるように、より多くの成長の余地と機会を与えました。 研修会、症例検討会、研修旅行の手配などを行い、若い医師が早く成長できるよう、自分の経験を惜しみなく伝えました。

 私は夫の仕事に対する心意気をよく感じています。しかし、彼は自分の気持ちを打ち明けたことはありません。自慢することもなく、おべっかを使うこともなく、お世辞を言うこともありません。ただ地面に足をつけ、頭を下げ、懸命に働くことだけを知っています。 忙しくても疲れていても文句を言わず、金銭や利益についても執着しません。患者からのお礼のお金も受け取らず、どうしても断れない場合は患者の入院保証金として預かり、患者さんが退院するとき、担当医師を通してその旨を伝えるようにしていました。薬を選ぶときも、患者さんのことを考えて、効果があって、値段も手ごろなものを選んでいるそうです。 薬屋さんは、「あなたが普通の人とは違うと聞きました。あなたのような人はあまりに少ないです」と、尊敬の口調で言いました。

 師父の慈悲に満ちた救いに感謝いたします! 私たち家族全員は、師父のご恩を受けて感謝に堪えません。皆様が真相を理解し、無事に災難を乗り越えることを心から願っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「迷いの中の門を開く」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/20/442280.html)
 
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