【明慧日本2022年7月14日】2022年のコロナ期間においても、江沢民グループによる法輪功学習者(以下、学習者)への「名誉を汚し、経済力を断ち、肉体を消滅させる」という政策が続き、刑務所、留置場、拘置所では未だに残酷な手段で学習者を苦しめている。同時に「ゼロ行動」を口実に、政法委員会(治安・司法などを統括する機関)、610弁公室、派出所、街道、コミュニティなどの関係者は学習者及び家族に対して大規模の嫌がらせをし、法輪功を諦めることを強いた。
明慧ネットの統計によると、2022年1月から6月まで、再び92人の学習者が迫害により死亡した。そのうち、男性は37人、女性は55人で、最年長者は89歳、最年少は44歳。学習者は国家公務員から、副教授、警察官、財務総監、エンジニア、教師、チャイナ・ユニコムの職員など様々な業界で活躍している。
迫害により死亡した実例は20の省、自治区、直轄市に及び、そのうち、1月に20人、2月に11人、3月に13人、4月に19人、5月に17人、6月に12人が死亡した。14人の学習者は刑務所、留置場、派出所、精神病院などで拘禁された期間に迫害され死亡し、1人は開放されてわずか20数日後に、死亡した。
迫害により死亡した人数の多い順は遼寧省22人、黒竜江省14人、河北省、湖北省それぞれ7人、湖南省、内モンゴル、四川省それぞれ5人である。そのうち、大連市の迫害は最もひどく、8人の学習者が迫害で死亡した。
大連市の学習者・劉希永さん(80代)は市第三刑務所で迫害されて死亡した。刑務所側は「生きている限り帰宅させない」と言いふらした。学習者・賈春臻さんは蘭州市刑務所で迫害により死亡したが、刑務所側は「本人が着ていた服で自分の首を絞めて死んだ」と嘘をついた。赤峰市バイリン左旗の学習者・季雲芝さんは毎日殴られ、食管が切開され、精神的虐待も受けた。留置場で48日拘禁されて死亡した。ハルビン市の朝鮮族の学習者・崔金実さん(88)は本来とても健康だったが、警官に連行され、数時間内に死亡した。崔さんの気管は切られ、遺体は警官によって斎場の冷凍室に運ばれた。成都市の学習者・黄素蘭さんは成都彭州市公安局に拘禁され、わずか3日間で死亡した。
迫害により死亡した一部の学習者の写真は下記の通りである。
韓俊德さん |
姜桂玲さん |
李佩賢さん |
高秀蘭さん |
張麗艶さん |
季雲芝さん |
張国宇さん |
左秀文さん |
季桂珍さん |
陳礼清さん |
呉乃英さん |
劉清飛さん |
崔金実さん |
劉希永さん |
雍芳さん |
図:2022年1~6月、迫害により死亡した学習者の省別分布表 |
表2:2022年1~6月、刑務所、留置場、派出所に迫害されて死亡した学習者の統計表
名前 | 性別 | 年齢 | 省、直轄市 | 市 | 区・県 | 死亡場所 |
胡艶波 | 女 | 50 | 遼寧省 | 撫順市 | 本渓桓仁精神病院 | |
劉希永 | 男 | 80 | 遼寧省 | 大連市 | 金州区 | 大連市第三刑務所 |
王慶文 | 女 | 78 | 吉林省 | 遼源市 | 吉林省女子刑務所 | |
賈春臻 | 男 | 76 | 甘肃省 | 臨夏市 | 蘭州刑務所 | |
尹国志 | 男 | 遼寧省 | 朝陽市 | 建平県 | 瀋陽第一刑務所 | |
鐘国全 | 男 | 72 | 黒竜江省 | 鶏西市 | 密山市 | 泰来刑務所 |
韓俊德 | 男 | 77 | 河北省 | 保定市 | 唐山冀東刑務所 | |
石建偉 | 男 | 56 | 雲南省 | 大理州 | 賓川県 | 雲南省第一刑務所 |
仲淑娟 | 女 | 66 | 遼寧省 | 大連市 | 遼寧省女子刑務所 | |
楊興葉 | 男 | 69 | 四川省 | 彭州市 | 彭州市留置場 | |
張思琴 | 女 | 69 | 遼寧省 | 大連市 | 金州区 | 大連姚家留置場 |
趙林 | 男 | 69 | 河北省 | 張家口市 | 張家口市留置場 | |
季雲芝 | 女 | 66 | 内モンゴル | 赤峰市 | バイリン左旗 | 留置場 |
黄素蘭 | 女 | 50 | 四川省 | 成都市 | 彭州光明派出所 |
情報収集期間は2022年1月1日から2022年6月30日まで、以前に発表されていない迫害による死亡した実例を含む。
一部迫害により死亡した実例は下記の通りである。
一、崔金実さんは数時間で他界
黒竜江省ハルビン市平房区に在住する学習者・崔金実さん(88)はとても元気だった。2022年4月13日、崔さんは自宅で法輪功の書籍である『轉法輪』を読んだとして、警官に身柄を拘束され、わずか数時間後に他界した。崔さんの遺体は警官に持って行かれ、家族に見せなかった。死亡証明は警官のところにあるため、崔さんの遺体はまだ斎場の冷凍庫に保管されているという。
崔金実さん |
2022年4月13日、数人の私服警官は勤務証明書や、いかなる法的な書類も持たずに崔さんの家に押し入り、法輪功創始者の写真および法輪功の書籍などの私有物を押収し、若い警官2人が88歳の崔さんをソファーに引きずり込み押さえつけた。同行した警官らに崔さんが生活していくために必要な年金(金額不詳)を持って行かれた。
崔さんは連行されてから数時間で死亡した。崔さんの最期の時、そばに家族はおらず、警官、医師、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の関係者しかいなかった。
崔さんの次男は、警察から母親が危篤であると連絡を受け、急いで242病院の救急室に駆け込むと、いきなり国保の関係者に「医療費を払ってくれ」と言われた。その時、救急医が「母親はすでに亡くなった」と告げた。次男は警官と口論になり、警官と医者は結局、息子に母親との最後の面会を許さなかった。なぜ、息子は臨終の母親に会うことを許されなかったのか? 警官と医師にその権限があるのだろうか?
崔さんの息子が他の親族に知らせている間に、警官は勝手に葬儀社の車を呼び、崔さんの遺体を強制的に運び出そうとした。駆けつけた家族は皆、葬儀の車を止めるように要求したが、警察の車に先導される下で、葬儀の車は猛スピードで走り去った。家族たちが追って葬儀社に着くと、入り口の外で遮られ、遺体を見ることを許されなかった。4月15日、家族は警官の監視下で遺体を一瞬しか見ることができなかった。
崔さんは警官に連行されて数時間で亡くなった。その間に、何が起きたのかは誰にもわからない。崔さんの気管は切断され、家で着ていた普段着は乱れており、靴も履いていなかった。
崔さんは亡くなってから2カ月以上が経過しており、今でも冷凍庫の中に放置されている。警察は遺族に納得いく説明もしておらず、いまだに死亡証明書を差し控えている。中国共産党(以下、中共)の迫害政策の結果、崔さんは寿衣(スウィ:死に装束)を着ることさえできておらず、家族は遺体を預ける書類を持っていないため、葬儀社に入ることもできないという。
ハルビン市平房区国保大隊の上記の行為はすでに犯罪となっている。
二、成都市の黄素蘭さんは迫害で死亡
成都市郫都区の学習者・黄素蘭さん(女性)は、2022年1月20日に彭州市の警官に連行された後、わずか3日後の23日に迫害されて死亡した。享年51歳。
黄さんは1969年に生まれ、とても健康だった。2022年1月20日午後1時頃、住んでいる団地内で彭州公安局の国保、彭州公安局刑事捜査大隊および派出所の警官らにより連行された。夜中の12時頃、彭州公安局刑事捜査大隊に拘束された。
翌日の21日夜、彭州市の旧県立病院で身体検査を受けた後、黄さんは再び彭州公安局刑事捜査大隊に送られ、調書を作成され、指紋を取られた。その後、手錠と足かせをつけられ、頭に袋をかぶされて成都市の雲端ホテルの416号室に閉じ込められ、24時間体制で2人により監視された。
2022年1月22日、黄さんは再び不当に尋問された。 1月23日の夜、黄さんは再び尋問を受け、取調室の向かい側に拘束されていた人たちは、取調室で人を殴り椅子を引きずる音が聞こえたという。その夜12時か1時頃、黄さんは救急車で病院に搬送された。
1月24日午後、黄さんの家族は葬儀社から遺体を受け取るようにとの連絡を受けた。黄さんの死因は今でも分からないままである。
三、赤峰市の季雲芝さんは迫害で死亡
季雲芝さん |
季雲芝さんは赤峰市バイリン左旗の出身である。法輪功を学んでいるとして、2022年2月1日、警官9人に身柄を拘束され、留置場に拘禁された。3月21日、季さんは迫害で死亡した。季さんは拘禁された期間、殴られた上、精神的にも苦しめられた。家族は近くで季さんの遺体を見ることが許されず、ドアの外から見た限り、季さんの食管が切開され、顔と肩に血痕があった。
季さんは留置場のトップ・高永剛、監察医の田志軍、他の警官及び囚人に罵られ、辱められ、拷問を受けた。季さんは断食して迫害に抵抗したが、高永剛は田志軍を指図し、季さんの鼻から灌食し、田志軍は何度も季さんに平手打ちをした。拷問で危篤になった季さんはこう言った「私が死んだら、迫害で死んだのだ」
2月11日、左旗公安局は季さんの家族に病院に行くようと知らせた。病院は家族に重体の通知書を出した。当時の季さんは意識不明になっているにもかかわらず、足枷を付けられていた。
翌日、家族は公安局へ行き、一時出所を申し出たが、三つの条件を満たさない限り解放できないと言われた。家族は公安局の無理の要求に応えられず、季さんは解放されなかった。
3月21日、季さんの家族は公安局からの死亡通知を受けた。
季さんが亡くなった情報を隠すため、左旗公安局は大勢の警官を派遣し、季さんの遺体を監視した。病院の廊下と左旗の斎場にも多くの警官がいた。斎場だけで40〜50人の警官がいた。季さん宅の周りも警官に囲まれた。
迫害の主な責任者は次の通りである。左旗旗委政法委の書記・韓穎、政法委副書記、副旗長、公安局長・孟凡馳、公安局政保大隊の隊長・徐剣峰、留置場のトップ・高永剛。
四、刑務所側「生きている限り帰宅させない」
劉希永さん |
2021年4月9日は、劉さん(80歳)が刑期満了日を迎え、出所する日であった。しかし、この日、劉さんは砲台派出所と石河子派出所の警官に連れて行かれ、大連金州三里留置場に拘禁された。2カ月あまり後、劉さんは留置場で迫害され、胸水がたまり、身の回りの生活ができず、金州病院に送られた。劉さんは28日間入院していたが、その期間、警官に雇われた1人と刑務所の警官1人、武装警官2人、砲台派出所の警官1人に監視されていた。
劉さんが入院期間、妻と息子は毎日2回食事を届けに行ったが、面会を許されなかった。その後、劉さんは懲役4年、罰金6000元(約12万円)の不当な判決を宣告され、大連市第三刑務所に拘禁された。
2021年12月、劉さんは危篤状態になり、再び大連中心病院に入院した。この時の劉さんは顔、手、脚が全て腫れて、身の回りのこともできず、言葉もはっきりしない状態だったという。12月12日、家族は劉さんを家に連れて帰りたいと求めたが、刑務所側に「転向しない限りできない」と拒否され、「生きている限り帰宅させない」と言われた。さらに、劉さんの病院は留置場で罹ったもので、大連第三刑務所と関係がないと声明した。刑務所側はさらに病院が危篤通知を出した時、3万元(約60万円)の応急処置の費用が必要なので、家族に支払うよう要求した。
2021年12月29日、劉さんは迫害で死亡した。享年80歳。
劉さんの息子は父の遺体を持ち帰ると求めたが、控訴されることを恐れる大連市第三刑務所の警官に拒否された。警官は劉さんの遺体を大連市金州区南山斎場に送り、2022年1月1日に火葬したという。
五、遼寧省建平県の尹国志さんは瀋陽第一刑務所で迫害されて死亡
遼寧省建平県の学習者・尹国志さんは、懲役10年の実刑判決を宣告され、2022年5月22日、瀋陽第一刑務所で迫害され死亡した。
尹さんの妻の付景華さんは7年間拘禁された後、放浪生活を余儀なくされた。付さんは夫が連行されたことを知り、心配の中、2019年12月31日に荒れ果てた借家で亡くなった。
2019年9月26日、尹さんは朝陽凌源の借家で、電源からの失火が原因で、市八間房派出所の警官、建平県八家派出所の警官に身柄を拘束され、県留置場で拘禁された。迫害に協力しないため、ヤクザなどと一緒に拘禁され、殴られた。建平検察庁と裁判所は秘密裏に尹さんに懲役10年の重刑を宣告し、錦州刑務所に送り込んだ。その後、裁判所は初めて尹さんの家族に知らせた。
2022年5月22日、尹さんは瀋陽第一刑務所で迫害により死亡した。
六、河北保定市の韓俊德さんは冀東第五刑務所で迫害により死亡
2022年4月14日、韓俊德さんの家族は河北省刑務所管理局の冀東支局の第五刑務所から電話を受け、韓さんが当日の10時35分に死亡したことを告げられた。
韓俊德さん |
韓さん(77)は2年以上拘禁された。小さい瓢箪(ひようたん)に「真・善・忍」の文字を掘ったとして、2020年2月に保定市高陽県裁判所に懲役8年6カ月、罰金1万元(約20万円)(2019)冀0628刑初288号の不当な判決を宣告された。韓さんは控訴したが、再審は原審維持を宣告した。
韓さんが冀東刑務所で拘禁された期間、何度も罪を認めることを強いられた。家族と数回しか通話できず、「転向しない」との理由で通信、通話、家族と面会の権利を奪われた。また、韓さんは長期にわたってひどい貧血に陥り、片目はほぼ失明し、身の回りの生活ができず、車椅子でしか移動できない、常に命の危険があると言われた。
1999年の7.20以降、韓さんは法輪功を学んでいるとして、不当に拘禁され、労働教養処分を科され、嫌がらせを受け、監視された。迫害から逃れるため、韓さんは放浪生活を余儀なくされ、その後、懲役8年6カ月の不当な判決を宣告され、迫害で死亡した。
七、黒竜江省密山市の鐘国全さんは迫害により死亡
密山市牡丹江農墾コミュニティーに在住する学習者・鐘国全さんは2020年8月、密山裁判所に懲役3年6カ月の不当な判決を宣告され、11月17日に鶏西市刑務所に送られ、その後泰来刑務所に移送された。2022年2月6日、鐘さんは迫害で死亡した。
黒竜江省の泰来刑務所は黒竜江省610弁公室及び省刑務所管理局に学習者を暴力的に転向させる、残酷な迫害を実施する場所として認定されている。いわゆる「四書」を書かない学習者はここでさまざまな拷問を受けている。たとえば、拷問「上大挂」、「飛行機を飛ばす」、長時間にわたって立たせる・しゃがませる、連日睡眠禁止、唐辛子の水を灌食する、「水牢に立たせる」(腰の高さほどの水に漬かる牢屋)、牢屋に拘禁されて地面に固定されたリンクに締められる、トラの椅子に座らせる、辱められるなどである。チチハル市漢方病院の学習者・劉晶明さん、大慶市の学習者・呂観茹さんも泰来刑務所で迫害されて死亡した。
八、瀋陽市の劉清飛さんは遼中区留置場で死亡
瀋陽市遼中区の74歳の学習者・劉清飛さんは、2021年8月28日11時、身柄を拘束され、遼中区留置場で拘禁され、案件が裁判所に提出された。劉さんは2022年4月24日に迫害されて死亡した。
遺体と対面することを通知された家族が病院に駆けつけると、劉さんの目も、口も開いていて、死んだ人の目とは違って、目が輝いていて、体温もあった。そして、家族は留置場の警官に「まだ死んでいないのに、なぜ、手当をしないのですか」と問いただし、継続的に救急処置をするようにと強く要求した。しかし、劉さんは最終的に、救出できず、死亡した。
劉清飛さん |
8月29日午後5時、劉さんは遼中区公安局で地元国保の警官から拷問を受け、法輪功を学んで治った心臓病が再発し、全身無力状態になり冷や汗が出た。
2022年4月24日午後8時過ぎ、家族は留置場から、「劉清飛が突然発病して、緊急措置をとったが、残念ながら死亡した。病院へ行くように」と告げられた。
留置場の一連の行動から見れば、多くの疑問点がある。家族は劉さんの遺体を火葬場の冷凍庫に保管しており、留置場側に責任追及する予定だという。
九、遼寧省鞍山市の雍芳さんは解放されて118日後に死亡
雍芳さん |
鞍山市の学習者・雍芳さんは、刑務所に9年間拘禁された。2021年10月25日、刑務所から出た雍さんは、髪が真っ白になり、顔は青白く、体が弱りお風呂に入る力さえなくなっていた。刑務所で9年間の残酷な迫害を受けた結果、雍さんは大きな声を出すこともできず、足も弱り階段を登るのも困難になった。そして、2022年2月19日、雍さんは無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年65歳。
妹・雍芳智さん生前の写真 |
妹の雍芳智さんは身柄を拘束されてから、精神的に大きなダメージを与えられ、2012年12月24日に死亡した。享年54歳。
夫と息子は、20年以上にわたって、精神的、肉体的な苦痛に耐えてきた。夫は、刑務所にいる雍さんの健康をずっと心配していたが、数年前、病気にかかり、半身不随になり、話もできなくなった。40代の未婚の息子は両親の面倒を看るために、仕事にも行けなかった。
雍さんは帰宅した後、年金の支給を停止された。雍さんは以前、中華店で経理の仕事をしていた。雍さんは鞍山市鉄西区労働ビルに行き、年金停止の解除を求めたが、職員に「上からの通知だから。関連規定により釈放証明と冤罪の判決書を提示しなければならない。それらの書類が1カ月以内に揃わないと手続きもできなくなる」と言われた。雍さんはさらに、数年前に労働教養所に拘禁されている間に支給された6万元(約120万円)を返すようにと要求された。
刑務所から帰宅して118日目に、尿が出なくなり、心不全で意識不明に陥った雍さんは、2022年2月19日に死亡した。
十、賈春臻さんは蘭州刑務所で迫害により死亡
甘粛省臨夏県の学習者・賈春臻さん(76歳男性)は連行された後、懲役4年の実刑判決を受けた。2022年3月、賈さんは蘭州刑務所で拷問されて死亡した。賈さんの遺体の首に傷があったが、刑務所の警官は「賈春臻は服で自分の首を絞めた」と主張した。
臨夏県新集鎮梁家山村に住んでいた賈さんは、2020年4月、臨夏県の国保大隊と新集鎮派出所の警官に身柄を拘束された。2020年12月末、賈さんは懲役4年、罰金3000元(約6万円)の判決を下された。賈さんは2021年の正月の期間、迫害に抗議するため、断食を行った。当時、賈さんの家族が面会したとき、賈さんはほとんど聴力と視力を失っていることに気づいた。
2022年3月、家族は蘭州刑務所からの電話で「賈さんは2022年3月18日に刑務所内で死亡した」という通知を受けた。そして、家族はすぐに刑務所に駆け付け、遺体との対面を強く求めた。
それから、大勢の警官の監視の下、家族は賈さんの遺体と対面できた。遺体の首と腕に傷があるのを見て、家族は警官に傷の理由を聞いたが、警官は「自分の服で自分の首を絞めた」と言った。
その後、警官は慌てて賈さんの遺体を火葬し、家族に200元(約4000円)を渡し、決着をつけた。
1年ほど前から蘭州刑務所は、コロナウイルス感染症の拡散を防ぐことを口実に、賈さんの家族に賈さんとの面会を拒否していた。そのため賈さんが迫害され死亡したことについての詳細はわかっていない。
中国共産党当局が法輪功への迫害を発動してから、賈さんは長期にわたって監視され、数回も連行された。2012年6月9日、賈さんは県の書記・安華山、政法委の書記・汪建林が指図した警官に連行され、同年11月12日に裁判にかけられた。そして、懲役5年の実刑判決を言い渡された賈さんは、甘粛省天水刑務所に送られ、2017年6月10に解放された。
十一、黒竜江省通北林業局の馬淑芳さんは迫害で死亡
2020年8月12日夜6時過ぎ、馬淑芳さんは黒竜江省北安市通北林業局公安局の派出所の警官に身柄を拘束され、家財を押収された。2021年12月、馬さんは懲役3年の不当な判決を宣告され、控訴した、2022年6月初めにオンラインで開廷され、無罪の弁護をすることを許されなかった。
ここ2年、馬さんは法曹機関に何度も嫌がらせを受け、脅かされた結果、心身ともに大きなダージを受けた。2022年6月4日、馬さんは突然脳出血を起こし、2022年6月10日に救急措置のかいもなく死去した。享年69歳。
馬さんは通北林業局公安局の戸籍課の元課長である。法輪功を学んでから心を修め、より良い人になることを目指している。1999年の7.20以降、馬さんは法輪功の信念を諦めないとして、公安局から除名され、公安局と関わる仕事ができなくなった。何度も身柄を拘束され、留置場、洗脳班に拘禁された。
結び
「不正な行いは必ず自滅を招く」。ここ最近、政法委と公安系統は「20年を遡って調査する」という運動を始め、処分を受けた警官(法曹機関の警官も含む)はすでに72000人以上にのぼった。表では、汚職と政治闘争の中で負けたように見えるが、実際に心を修める法輪功学習者に迫害を加えたことの因果応報である。
610弁公室は依然存在しており、法輪功への迫害もまだ続けている。しかし、政法官僚から610弁公室の執行者まで大規模に清算されることから、中共による法輪功への迫害はもう窮地に陥り行き詰まる。
2021年5月13日の「世界法輪大法デー」の前日、米国のブリンケン国務長官は法輪功への迫害に関与した中共幹部で、四川省成都市「610弁公室」の元主任・余輝に制裁を科すと発表した。これは中共が法輪功への迫害を始めてから22年以来、米国は公の場で初めて「610弁公室」を制裁した。
同年、38カ国の学習者は、明慧ネットが収集した法輪功迫害に加わった、中国の「610弁公室」関係者リストを自国政府に提出し、法に基づきこの悪人らおよび家族の入国を禁止し、資産の凍結を求めた。
23年前、中共は法輪功を迫害すると決めた瞬間、自らの滅亡を選んだのである。