ハルビン市双城区のエン金霞さん 迫害により死亡
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 【明慧日本2022年7月16日】(黒龍江省=明慧記者)ハルビン市双城区の法輪功学習者(以下、学習者)・エン金霞さんは2020年9月22日に不当に連行され、その後、懲役6カ月の実刑判決を言い渡された。ハルビン市第二留置場で、エンさんは法輪功を放棄しないとして、長時間冷たい腰掛に座らされ、下半身から大量に出血して止まらなくなり、2022年1月17日に亡くなった。59歳だった。

 エンさんはハルビン市双城地区の村民で、1996年に法輪功を学び始めた。心と体が健康になる気功「法輪功」を学んでから、それまでに患った鼻炎、胃潰瘍、低血圧などの病気が治り、軽やかな身となった。エンさんは勤勉で質素な人柄で、夫と共に真面目に働き、娘と息子を大学に通わせた。

 1999年7月、中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が始まった後、エンさん一家の平穏な生活は完全に崩れた。2000年旧暦の12月26日、村の幹部と運転手はエンさんを車に乗せて、「用事がある」と言い自宅から派出所まで連れて行った。そこで、エンさんは「陳情しない、煉功しない、集会しない」という保証書を書くことを強要された。2001年7月1日前、当局は学習者が北京に陳情することを阻止するため、エンさんを含む現地の学習者たちを村の委員会に閉じ込めた。生活のため、迫害を避けるため、エンさんは家を離れ、都会でアルバイトをすることになった。

 労働教養所で迫害される

 2012年11月14日午後、ハルビン市で働いていたエンさんは、路上で神韻DVDを配布した時、南岡区の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官・張緒民の手中に配布した。張緒民はしっかりとエンさんを捕まえ、郵政派出所の警官らを呼んできた。その夜、エンさんはハルビン市第二留置場に拘束された。11月22日、前進留置場に移送された。

拷問の再現:スタンガンで電気ショックを加えられる

 南岡区の国保の関係者は法的手続きを経ずに、エンさんを直接前進労働教養所に拘禁した。前進労働教養所で「三書」を書くことを強制されたが、エンさんはそれを拒否した。すると、警官らがスタンガンで閆さんの手や耳のあたり、背中に電気ショックを与えた。また、労働教養所の規則を暗記するように強制され、暗記しなかったエンさんは蹴られ、平手打ちをされ、小さな腰掛に長時間座らされた。29日から強制労働をさせられた。

酷刑演示:码坐

拷問の再現:小さな腰掛に長時間座らされる

 前進労働教養所は、悪名高い万家労働教養所を移設したものである。万家労働教養所は、学習者への残酷な迫害で国際社会に知られ非難されたため、前進労働教養所と改名したが、依然として学習者の迫害に力を入れている。労働教養所は学習者に法輪功を放棄させることを目的とし、「転向率」で各部門の業績とボーナスを評価するために使用されていた。労働教養所内の強制労働は、箸詰め、南京玉通し、車のマット作りなどがある。

 労働教養所内の拷問は、スタンガンによる電気ショックを与える、睡眠を剥奪、長時間しゃがむ姿勢や立ったままの姿勢を強要、冬に冷水をかける、鉄の椅子や小さな腰掛に座らされる、洗面とトイレを制限するなど、迫害の手段はさまざまである。

 2013年7月、労働教養制度は解体され、エンさんは帰宅した。労働教養制度が廃止されても、法輪功への迫害は依然として停止していない。

 不当判決される

 2020年、中共は中国全土で「ゼロ行動」を実施し、大勢の学習者に対して嫌がらせを働き、連行した。9月22日、黒龍江省政法委副書記・郝偉夫の指揮の下、名簿をもとに、各地域の学習者20数人を連行した。その日の夜8時頃、エンさんはアルバイト先から再び連行された。

 ハルビン市第二留置場に拘禁されたエンさんは、長い間冷たい腰掛に座らされ、下半身から出血した。出血は一度止まったが、留置場でオンライン裁判が開かれ、閆さんは懲役6カ月の実刑判決を宣告された。刑期が終了した後、帰宅した。

 帰宅後しばらくして再び出血したため、病院で診察したところ、「すでに治療できない」と診断された。家族が心を尽くして看病したが、エンさんは2022年1月17日に亡くなった。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/12/446112.html)
 
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