成都市留置場の迫害により李吉慧さんが死亡
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 【明慧日本2022年7月18日】四川省彭州市隆豊鎮の法輪功学習者(以下、学習者)・李吉慧さん(女性)は2022年1月20日、成都市留置場の迫害により死亡した。享年61歳。

 中国共産党当局の刑務所や労働教養所、留置場などはいつも、学習者を死に至る直前まで迫害を加え、そして、帰宅させた。その責任を家族に転嫁し、学習者の死に対して責任を取らないようにするためである。

 成都市留置場も同じように、李さんが危篤になっても、故意に治療のための「保釈」を遅らせた。それは李さんの死の主因の一つだった。しかし、李さんの遺体を火葬する際、成都留置場側は葬儀費用を全額負担した、これは李さんの死に責任があると認めたことだ。

 李さんは隆豊鎮九隴村六組に在住だった。2021年3月1日、李さんは彭州市永定場鎮である人に法輪功迫害の事実が書かれたチラシを渡した。しかし、その人は私服警官だったので、その後、李さんは丹景山派出所の警官に連行された。

 警官は李さんを成都市留置場に送り込んだ。留置場で李さんは迫害に断食して抗議を行った。

 2021年10月、李さんに重い貧血の症状が現れた。そこで、家族は李さんの治療のため、「保釈」を要求したが、拒否された。

 2022年1月上旬、留置場側が李さんの娘に、李さんが危篤状態だと通知した。娘は再度「保釈」を求めたが、再び拒否された。

 2022年1月中旬になって、留置場側が李さんの娘に連絡し、留置場に来て、李さんの「保釈」の手続きをするようにと言った。しかし、そのとき、李さんはすでに迫害によって息絶え絶えの状態になっていた。娘は自分が母を入院させる費用もないと考え、留置場側に費用を出すようにと要求した。しかし、留置場側に拒まれた。

 数日後の1月20日、李さんは成都市の病院で亡くなった。

 1月23日、李さんの遺体が火葬された。火葬、埋葬、骨壷及び車代の費用はすべて成都市留置場が負担した。

 1999年7.20、中国共産党当局が法輪功の弾圧を開始した。

 李さんは心身ともに健康になる気功「法輪功」を学び続けていることを理由として、中共当局に繰り返し迫害を加えられ、労働教養処分や10年の重い判決を下された。

 2001年12月21日、李さんは他の学習者とともに法輪功の陳情のため、北京へ行った。12月22日、学習者たちは天安門広場で法輪功の冤罪を訴え、横断幕を広げた。しかし、その場で警官に連行された。12月23日、学習者たちは彭州市九隴鎮派出所の警官によって、彭州市に連れ戻され、彭州市公安局留置場に拘禁された。

 2002年、李さんは労働教養処分を科された。そのショックを受けた李さんの夫は亡くなった。

 2007年6月12日午前、李さんは彭州市国家安全局(国家安全部=情報機関。以下、国安)、関口派出所の警官などに連行された。隆豊鎮治安巡回隊のオフィスで、警官らは李さんを口や鼻から血が流れるまで殴打し、壁に向かって立たせ、水をかけ、「お前を高山労働教養所に入れてやる」と脅迫した。

 2008年6月3日午後、李さんは人に法輪功迫害の真実を話したが、迫害のことを理解していない人に通報された。6月4日午前、彭州市国安、関口派出所の警官は李さんを洗脳班に連行した後、彭州市留置場に移送した。留置場で李さんは長い間、手錠と足かせをつけられていた。

中共酷刑刑具:手铐脚镣

拷問のイメージ図:手錠と足枷をつける

 李さんは連行された後、家に16歳の娘しか残っていなかった。娘は生活費もなければ、学費も払えなかった。その後、地元の政府関係者は李さんの娘を李さんの実家に送った。

 2009年3月18日、彭州市裁判所は李さんに懲役10年の判決を宣告し、李さんを四川省女子刑務所に送り込んだ。李さんは2018年6月3日にやっと刑務所から解放れたという。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/16/446303.html)
 
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