【明慧日本2022年7月28日】河北省唐山市ラン県安各庄鎮の法輪功学習者・周樹全さんは、心身ともに健康になる気功「法輪功」を学んでいるとの理由で、かつて、郷政府や派出所の警官に連行や拘禁、拷問などの迫害を加えられた。迫害から逃れるため、周さんは家を離れ、住所不定の生活を余儀なくされ、19年の辛い日々を経て、2021年12月9日に死亡した。享年55歳。
周さんの両親は周さんたち兄弟が結婚した後、分家して(一世帯として生活していた親族が財産を分けて別に世帯を持つ)独立させたが、財産はないので、それぞれの世帯に借金を負わせた。誠実で辛抱強い周さんは文句を言わず、妻とコツコツ働いた。
ある日、まだ若い周さんはめまいがし、力が入らず、動悸がし、顔が青ざめ気分が悪くなった。しばらく休むと少し楽になったが、田舎の人は病気になると、お金がないので、病院へ行くことが出来なかった。周さんは民間の医者を訪ね、脈を見てもらうと、「心臓病だ。腹を立てたり疲れるようなことは避けてください」と言われた。当時、周さん夫婦は豆腐作りの仕事をしていたが、周さんは体調を崩すことが多くなり、雑草を抜く力さえない日もあった。
1998年、周さんは法輪功を学び始め、暫く経って、病気が完治し、以前より健康になった。また、一家の支えとなって、借金を全部返済することができた。
しかし、このような良い生活は1年足らずで、中共当局に破壊されてしまった。
1999年7.20、中共の江沢民グループは法輪功迫害を開始した。郷の幹部たちは管轄内の法輪功学習者たちの家を1軒1軒回り、法輪功の書籍を押収し、学習者に法輪功を放棄する「誓約書」を書かせ、書かない人を連行した。また、学習者たちが外出できないように、身分証明証を押収した。学習者たちは外出するとき、報告しなければならなかった。
1999年9月、周さんは連行された。警官は周さんの両腕を後ろに回して縄できつく縛り付けた。この残忍な拷問を2回繰り返した。
拷問の再現:両腕を後ろに回して縄できつく縛り付ける |
警官は繰り返し、周さんを殴打し、平手打ちしたり、周さんの手首に火の付いたタバコを当て、火傷を負わせた。
家族が周さんにご飯を持って行ったとき、副所長は家族の目の前で、周さんに平手打ちをした。
その後、周さんは帰宅したが、拷問を受けたせいで腰痛になり、正常になるまで40数日もかかった。
あれから、郷政府と派出所の警官は周さんの身分証明証を押収し、周さんを日々監視するようになった。そこで、2002年末、周さんは郷政府の職員と警官からの監視や嫌がらせを避けるため、妻とともに故郷を離れた。その後、警官らは周さんの居場所を聞き出そうとし、周さんの親戚の人にまで嫌がらせをした。
周さん夫婦は都市で身分証明証がないため、力仕事しかできず、わずかなお金しか稼げなかった。夫婦は養豚の手伝い、荷積みと荷降ろし、配達などの仕事をし、暗くて寒い粗末な家に住み、冬に火を焚く余裕もないので、寒くてベッドの周りをビニールで巻き、綿の服、靴を脱がないまま寝るしかなかった。
3、4カ月後、周さんは夜中に家に帰って、熟睡中の娘を起こして連れだした。しかし、娘は高校に行くようになっても、戸籍の問題で両親にいる都市で進学できなかった。
体力的な苦には、農村の出身の周さんにとっては耐えられるが、当局からの監視は精神的なストレスになり、常に恐怖を感じていた。さらに、引越しばかりして、落ち着いて暮らすことができなかった。
2012年、周さんは節約のため、シェアハウスに住み、狭い部屋だが、高齢の母親を迎え、一緒に暮らした。
母親は腎臓結石で症状が重く、医師から余命3カ月だと言われた。周さんは母親に法輪功師父の説法を聞かせた。そのため、母親が徐々によくなり、最終的に完治した。
親孝行の周さんは母親と一緒に暮らしたことで、警官に見つけられて尾行され、電話が盗聴され、住所を見つけられた。
2012年6月9日朝、唐山市公安局とラン県公安局の警官7人が突然、周さんの借家に押し入った。周さんは不在だったが、周さんの妻が連行された。妻はラン県公安局で尋問を受け、周さんの行方を聞かれた。14日後、妻は石家庄女子労働教養所に送られた。
周さんは借家にまで帰れなくなった。警官の行為を見て、ショックを受けた周さんの母親は死亡した。
19年間も安定した生活ができなかったことで、周さんは大きなダメージを受けた。健康状態が悪化した周さんはある日の朝、外出した時、突然、路上で倒れた。病院に運ばれたが、数日後帰らぬ人となったという。