雲南省の呉広成さん 長期の迫害後に死亡
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 【明慧日本2022年8月11日】雲南市昆明市の法輪功学習者・呉広成さん(63歳男性)は、雲南省第一刑務所に5年間、不当拘禁された。2022年4月6日に釈放されたが、非常に衰弱していた。そして7月27日、呉さんはトイレの使用中に足を滑らせて転倒し、意識を失い、数時間後に死亡した。63歳だった。

吴广成

    呉広成さん

 呉さんは不動産会社の責任者だった、1999年以来、中国共産党政権によって迫害されてきた呉さんは信仰を堅持するため、労働収容所に3年、懲役11年6カ月の刑に服した。合計で懲役14年6カ月の不当判決だった。

 呉さんが2012年に釈放された後、呉さんの家族は雲南省昆明市に引っ越した。法輪功迫害の事実を伝え続けた呉さんの妻である法輪功学習者・王徳平さんも、法輪功を修煉したとして二度にわたる再教育を受け、合計5年間、労働収容所に入れられた。彼らの息子は迫害によって心に傷を負い、精神障害を発症して働くことができず、ずっと家にいる。

 一、法輪功を修煉して新たな人生を

 軍隊から復員後、呉さんは河南省開封市の不動産会社で働き始めた。呉さんは、後に会社の党書記に昇進したが、何年もの間、B型肝炎に苦しんだ。非常に深刻な状態だった。寝たきりになり、1995年頃には長期の病気休暇を取らなければならなかった。その間、呉さんの妻も二個の腎臓結石を発症し、何年も苦しめた。

 2人とも1997年9月に法輪功の修煉を始めた。数カ月後に2人の状態は大幅に改善し、その後完全に回復した。法輪功の真・善・忍の原則に従って生きる呉さんは、職場で賄賂を受け取ることをやめ、良いリーダーになった。

 二、信仰を堅持したために迫害される

 共産党政権が 1999年7月に迫害を命じたとき、呉家の平和な生活は打ち砕かれた。夫婦は、信仰を守るために絶え間ない嫌がらせや連行、拘禁に直面した。

 1、法輪功を修煉する権利を求めたために、残酷な拷問を受けた

 呉さんは2001年1月、法輪功を修煉する権利を求めて北京に行き、天安門広場で連行された。警官は呉さんを殴り、東城区拘置所に連行した。

中共酷刑示意图:殴打

拷問のイメージ図:殴打

 拘置所に拘禁されていた者は、所長と看守にそそのかされ、金属製のドアと枠の隙間に呉さんの指や足の指を挟んだり、指や足の指を踏みつぶしたりした。また、靴で鼻とふくらはぎを殴り、ひどい出血を引き起こした。何度も殴られた呉さんは、顔や手、足に怪我を負った。呉さんの背中はひどく痛み、仰向けに寝たり、立ったりすることができなくなった。

 2001年1月9日に呉さんが開封市に連れ戻された後、当局は呉さんを北書店派出所に拘留した。派出所の所長である孫学江は警官に、呉さんを金属製のベッドに手錠で拘束するよう命じた。翌日呉さんが拘置所に連れて行かれたとき、看守は、全身傷だらけの呉さんを見て、呉さんが拘置所ではなく別の場所で負傷したことを明らかにする「証明書」を書くように呉さんに求めた。

 2、2回の労働教養

 2001年1月から2003年1月の2年間、呉さんは開封市強制労働収容所で服役していた。政治指導員は、受刑者たちに並んで呉さんの口に痰を吐き出すように命じた。冬になると、受刑者は呉さんの服を脱がせて冷たい水をかけ、扇風機の風を吹きかけた。夏の間は、受刑者たちは呉さんを分厚い掛け布団で包んだ。看守はまた、残った饅頭を足で押しつぶし、呉さんに食べさせた。身体的拷問に加えて、呉さんは絶え間ない洗脳と言葉による虐待も受けていた。

 釈放されてからわずか2カ月後の 2003年3月、呉さんは再び連行され、開封市強制労働収容所に1年間拘禁された。看守である張勇は呉さんの顔を強く叩き、右の鼓膜が破れた。呉さんはかつてトラの椅子に10時間以上拘束されていた。呉さんの服役が終わりに近づいたとき、看守は呉さんが法輪功を放棄しなければ無期限に拘禁すると脅したが、呉さんは信仰を堅く保った。看守は仕方なく、呉さんを予定通りに釈放した。

 3、懲役6年6カ月の不当判決

 呉さんは、2005年7月9日に再び連行された。警官らは呉さんの会社の上司を威嚇し、金を巻き上げようとした。数日後、呉さんは洗脳班に連行されたが、1日ハンガーストライキを行った後に逃走した。数日間放浪生活をした後、呉さんは再び連行され、開封市拘置所に1年3カ月間拘禁された。その間、拘置所は呉さんの家族が呉さんと面会することを許さなかった。

 呉さんは2006年10月、鄭州市の密県刑務所で裁判所から密かに懲役6年6カ月の刑を言い渡された。2008年に家族は1度、呉さんを訪ねることが許された。その後、刑務所は呉さんの家族が再び呉さんと面会することを許可しなかった。

 4、再び5年拘禁された後に死亡 

 呉さんは2017年4月7日、法輪功迫害の事実について人々に話したとして棕樹营派出所の警官に連行され、家宅捜索された。西山区裁判所は 2017年11月27日、呉さんに懲役5年の判決を下した。

 呉さんは無給労働を拒否したため、雲南省第一刑務所で厳格な管理と絶え間ない拷問を受けた。2022年4月6日に釈放されたとき、呉さんは非常に衰弱し、やせ衰えていた。呉さんの状態はその後数カ月間悪化し続け、7月27日に死亡した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/8/6/447300.html)
 
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