口を修めないことにより招いた魔難
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年8月13日】今まで同修と交流する時は、心性を守り、口を修めることに気を付けていましたが、陰で人のことを口にする時は口を修めておらず、時間が長くなると、大きな難を招いてしまいました。

 今年3月のある日、私は右側の歯茎と顔が腫れてきました。食事の時、食べようと思って一生懸命に口を開けても少ししか開けられず、薄いお粥を少し飲むのがやっとのことでした。その時、私はやっと絶対自分の修煉に漏れがあり、旧勢力に隙に乗じられたと気づきました。私は内に向けて探しはじめましたが、当時口を修めることができていないことによりもたらされたことだということには気づかず、自分の闘争心や恨みの心のせいだと思っていました。

 妻(同修)は、私のために発正念をしてくれました。翌日、喉に激痛が走り、痛みが止まらなくなり、数時間後には疲れ果ててしまいました。もう一人の同修がわが家に来てくれて、一緒に発正念をしてくれました。私は心の中で「旧勢力の按配を絶対認めない、師父の按配された道だけを歩む!」という一念を発しました。

 3日目になると喉の痛みは少し軽減されましたが、常によだれが出るようになりました。

 4日目には喉が腫れて何も飲み込めず、水を飲んでも噴き出すほどでした。同時に呼吸が困難になり、眠れなくなりました。その時、私は改めて内に向けて探してみましたが、ふと、今痛んでいるのは歯茎以外、喉と気道、すべて口の中にあることに思い至りました。もしかして、口を修めることに問題があったのではないかと突然気づきましたが、正解でした! 探し当てました!

 しかし、5日目になっても緩和されないばかりか、喉がやられて、言葉も出なくなり、呼吸がさらに困難になっていると感じました。その時、旧勢力が私を手放そうとせず、引きずり込もうとしている、師父にお願いすべきだということに気付きました。朝6時の発正念後、すぐに師父の法像の前でひざまずき、救って下さるようお願いしました。午前10時すぎ、私の口から二つの塊(痰よりずっと密度の高い)、一つは黄色く、もう一つは灰黒色(かいこくしょく:灰色がかった黒色)が、続けて出てきました。一瞬にして私は普通に話せて、呼吸することができ、私の心はすぐに明るくなりました! 本当に新生を得たような感じでした。私はすぐに家族に「師父が身体を清めてくださったから、もう大丈夫だよ!」と伝えました。再び私を救って下さった師父に感謝申し上げます。同時に、よく修めなかったことで師父に申し訳ないと深く感じました。

 私が口を修めてないことに言及すると、主に少し前に妹(同修)が離婚したことと大きく関係します。数年前、妹の夫が不倫をして、昨年末にはその女性を自宅に連れ込みました。妹の姑は、息子の行為にいつも反対していましたが、今回はいつになく温厚でした。その後、妹の夫から正式に離婚の申し出があり、その1カ月後に妹は最終的に離婚に同意せざるを得なくなりました。

 この件に関しては、修煉者として自分の心性を守らなければならないと自分に言い聞かせて、関与しませんでした。妹が傷つけられたことについて「もしかしたら、前世で彼に借りがあったのかもしれない、今生で借りを返した」、とアドバイスしました。しかし、家族とその話をしているうちに、彼らの家風が正しくないとか、人間としての最低ラインもない等々、不公平感で胸がいっぱいになりました。姉妹の情から引き起こされた闘争心、恨む心により口を修めることを忘れてしまい、このようなことが何度も起こりました。

 その間、歯茎も腫れては引き、また腫れるというように何度も繰り返しがありましたが、法理に基づいてしっかり悟ることはありませんでした。間もなく、私は前述のような肝に命じる大きな難を経験しました。

 今になってやっと分かって来ましたが、修煉者の一つ一つの考えにはエネルギーがあり、人に対するよくない一念が出た瞬間に、徳を失い、業が生まれます。もしそれを言い出したら、失う徳と生じる業はさらに大きくなります。私が口を修めなかったことを、旧勢力は一つずつ記録していました。

 私の口を修めないことはほかの面でも現れていました。一例を挙げます。

 知り合いの年配の女性同修が数人いますが、心性の関に遭遇すると、妻に相談したがります。妻が同修の立場になって考えてくれるし、口調も穏やかで受け入れられやすいからです。妻は帰宅すると、聞いた事を私に繰り返す傾向があります。その都度、その同修に何の執着があるのか、どこに漏れがあるのかを、私が見聞きしたことを元に言っていました。もし、私が同修のために考え、自らを探して、自分の考えで交流すれば、同修の心性の向上の助けになるかもしれません。しかし私はそうせずに、習慣的に陰で結論を出し、口にしては終わりということを繰り返してきました。同修の助けにならなかったばかりか、同修の空間場によくない物質を付け加えたかもしれません。実際、心性の関に遭遇されている同修にとって、他の人に見えた執着が例えば本当にあるとしても心性の関の主な原因ではないかもしれません。ですから、勝手に結論付けるのは口を修めていない深刻な例になります。

 整理してみると、私が口を修めることを怠っていた主な理由は以下の通りです。

 (1)法をしっかり学ばなかったこと。師父の説かれた口を修めることに関する法理について非常に浅はかな認識を持っていました。口を修めないことは自分にも他人にも深い危害を与えることを、はっきり理解していなかったのです。

 (2)善の心が足りなかったこと。人に対して良くない考えが生じることを修煉における重要な側面として扱っていませんでした。常人(おそらく同様に法を得るためにやってきた)が迷いの中、業を作っていた時、本来なら憐憫の心が生じ、慈悲の心で対処すべきなのに、陰口を叩いてしまい、それが魔性の発散となりました。

 (3)同修の執着が見えた時、善の心を持ってそれを指摘することが少なく、さらに同修の執着を鏡として、自分にもその方面の執着や漏れがあるのではないかと照らすことができず、心性を向上させるたくさんの機会を見逃しました。

 (4)陰口を叩くという党文化が存続していたこと。『九評共産党』、『党文化の解体』を読み、邪党の本質と党文化について根本的に理解したものの、党文化の毒素が完全に取り除かれたわけではありませんでした。

 (5)私は、1999年7月20日以前に法を得た古い大法弟子であり、迫害開始以来、法を実証することをやり続けており、大きな関、大きな難に遭遇しても乗り越えることが出来ましたので、うまくいかなかったことはすべて「小さなこと」であると誤解していました。

 転んで散々なめに遭ってから、やっと修煉には「小さなこと」など存在しないことを悟りました。転んだ理由は他にもあるかもしれませんが、どんなに多くても、最も根本的な理由は、私が法をしっかり学ばなかったことです。なぜなら「法は一切の執着を打破することができる」 [1]からです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/8/2/446983.html)
 
関連文章