口を修めないことにより招いた教訓について語る
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文/中国河北省の大法弟子 梅

 【明慧日本2022年9月24日】今年5月28日午後2時に、ベッドに座って学法しようとしたところ、急にひどいめまいがして左側の腕、足と身体に力が入らないと感じ、本を持っていた右手も力が入らないと感じました。私はおかしいと思いました。修煉してから師父は、何回も自分の業力を滅してくださり、身体を浄化してくださり、今回のような状況は一度もありませんでした。私は本を置き、ベッドから降りて歩いてみました。しかし、身体全体がバランスを失っていて、各部位も思い通りに動かず、ドアにぶつからずに済んだかと思えば、壁にぶつかったりしました。それは脳血栓に似たような症状でした。

 しかし、私は修煉者で師父が見守っていて下さるので、大きい問題にならないと信じて怖いとは思いませんでした。これらのすべては虚像であると思いました。これこそ『轉法輪』第六講で言われていた、煉功者の身体に現れた脳血栓の症状と同じではありませんか? そこで悟ったのは「これは師父が私の身体に病業の虚像を作り、弟子の心性を試す試験である」ということでした。

 私は全身に力がないと感じ、横になって一休みしようと思いました。しかし、休もうとするのは自分ではないとわかっていたので、すぐにそれを否定しました。そして、師父に「弟子の正念を加持して下さい。弟子が速やかにこの関を乗り越えられるようお願いします」と強大な正念を発しました。

 自分のどこに漏れがあったのか? 旧勢力はその弱点を掴んで手放そうとしません。私は冷静になって振り返ってみました。最近生じたことの中で、大法の要求に合っていないどんなことがあったのかと? 私は一つ一つ慎重に探しました……急に「口を修める」と言う文字が頭に浮かんできました。

 私はすぐに思い出しました。ある日、お昼ご飯を食べている時、家族と隣の人のことについて喋っていました。隣の夫婦は仲が悪く、常に喧嘩していて、二人とも70歳を超えているのに、結局離婚しました。当時、このことを喋っていた自分を思い出すと、本当に喋れば喋るほど調子に乗っていて、喋れば喋るほど喜んで喋っていて、とても面白いと感じていました。コントールを失ったかのように、自分が修煉者であることを忘れて、常人とまったく同じように扱い、陰で他人の悪口を言っていました。さらに家族の前で自分がたくさん知っていると見せびらかして、故意にか知らずに家族の人たちより自分が上だと顕示していて、気付きにくい顕示心が潜んでいました。

 私はこれを思い出し、全身に力を込めて師父の写真の前まで這って行き、師父に「師父、弟子は間違っていました。今日このような魔難に遭ったのは弟子が法を学ぶだけで、法で自分を照らして着実に修めることができず、口を修めることを重んじていなかったからです」と心の底から話しました。この話を口から出した瞬間、一陣の熱い流れが全身を駆け抜けていく感じがして、非常に楽になり、身体の各部位もスムーズに動けるようになり、病業の虚像が完全に無くなり、今まで何も起こっていなかったかのような状態になりました。

 感激の涙が思わずあふれ出ました。

 私の身に生じたこのことは、次のことを十分証明できます。師父の話を聞かず、どの方面でも着実に修めていないところがあれば、いずれ自分にトラブルを招きます。修煉の道のりには小さいことはなく、正念が少しでも足りないと失敗してしまい、立ち直れなくなります。その結果を考えるとあまりにも怖いことでした。旧勢力は私が口を修めていないことを見て、私の修煉上の隙に乗じて、思いっきり私を下に引っ張っていました。

 偉大な師父が弟子のためにこの難を解決して下さり、弟子を救ってくださったことに感謝いたします。弟子は師が法を正すことを手伝って衆生を救い済度する過程で、法をしっかり勉強し、着実に自分を修めて、弟子に対する師父の慈悲なる救い済度に報うしかありません。

 同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/8/23/447944.html)
 
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