ヨーロッパ法会|法の中で修め、必要なすべては師が下さる(一)
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文/フランスの大法弟子 

明慧日本2022年9月28日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私はかつて、「なぜ自分は51歳になってようやく法を得たのか」と自問したことがあります。3年前から修煉し始め、今ではもうこのことを考えることはなく、師父が私たちに求めている3つのことに集中しています。昨年のある出来事から、修煉に重きをおけば、師父は必要なすべてを与えてくださることを実感しました。その出来事をここで紹介したいと思います。もちろん、私の個人的な理解はとても浅いので、法に沿っていないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願い致します。

 学法と心性を高めることを重視する

 師父は「学習者としては、頭に詰め込まれたものがすべて大法であれば、この人はまさに、真の修煉者です。ですから、法を学ぶことについて、はっきりとした認識を持たなければならないのです。本を多く読み、本を多く学ぶことは真に向上するための鍵なのです。さらに、はっきり言えば、大法さえ読んでいればあなたは変わっており、大法さえ読んでいればあなたは向上しているのです。大法の無辺の内涵に、補助的な手段である煉功を加えれば、皆さんを圓満成就させることができます」。[1]と説かれました。 

 私は、師父のこの法を心に刻み、それに従って修めました。ただ読むだけでなく、それを自分の物にする必要があると感じました。私にとっては、修煉者の基準に達するためには、すべての考えを法に照らしてみることです。

 最近の自分の学法状態を振り返ってみると、よくぼうっとしていることが多く、1講の半分くらい読んだところでなかなか先に進まないことに気づきました。1講を読み切ったとしても、結局は流れ作業になってしまい、純粋な気持ちで法を学ぶことができませんでした。しかも、夕方から学法しているのですが、家族と十分に交流ができず、さっさと食事を済ませて学法に行くので、家族から文句を言われました。

 法を学ぶことを重視するということは、ただ毎日学法だけに専念して家庭生活を顧みないということではなく、学法に専念しながら家庭生活も両立させ、周囲が私の修煉や大法に対してマイナスな考えがないようにしなければならないと気づきました。

 私は自分のスケジュールを調整し、一日のうちで最も頭がすっきりしている時間に法を学び、夕暮れから夜にかけて法を学ぶようにしました。このように、一気に講義を読み終えるのではなく、毎回、法に対する理解を深め、新たな気づきを得て、法を学ぶたびに昇華していくような気がしました。家族関係も改善されました。私が家族と一緒に時間を過ごし、家の様々な相談に乗れるようになってから、家族は私の修煉への文句を言わなくなりました。

 さらに、法を学び、法を身につけるには、法を暗記することと切り離せないと考えています。私は昨年に2回、法の暗記に挑戦しました。しかし、毎回、1日数ページの暗記を目標にし、緊張と不安でいっぱいでした。うちに向けて探すと原因は、求める心と顕示心によるものだとわかりました。私は法を暗記できることを誇示しようとしたからです。

 最近、法の暗記について新たな理解を得ました。それは、上達に執着するのではなく、純粋に師父がおっしゃった「頭に詰め込まれたものがすべて大法」[1]という状態を保つことです。そのため、私はまた法の暗記を始めました。暗記のペースは規則的ではなく、30分で2ページも暗記できることもあれば、一言だけ暗記できるときもあります。私が集中しても法を暗記できないときには、この法に関する執着心を取り除く必要があるからだと悟りました。そして、私はこの日は一生懸命暗記するのではなく、立ち止まってうちに向けて探します。私の学法の過程は学法する内容によって絶えずうちに向けて探す過程でもあります。

 法にそぐわない考え方や行動を多く見つけました。法を学ぶ中である文を理解すると、新たな気づきと、素晴らしい高揚感を得ることができます。日常生活で突然起こる試練に敏感になりますが、頭の中の法に従って素早く対処できるようになるため、往々にしてうまく対処できます。例えば、車を運転しているとき右車線の車が私の車を追い越したとき、怒らなくなったり、家賃を払わずに逃げた入居者がいても警察に通報しようとは思わなくなり、電話で入居者から長時間苦情を言われても平静でいられるようになりました。......ほとんど常に平穏な気持ちを保つことができ、トラブルに直面してもカッとなることがなく、冷静に自分の内に向けて探し、毎回自分の不足を見つけられました。例えば、自己満足、金銭への執着、批判に耳を傾けないことなど。これらの執着心を見つける度に、発正念で取り除きました。

 ある夜、寝ていたら突然左足がつってしまい、左足が短くなったような気がして、激痛が急に襲ってきたという夢を見ました。私はすぐに「私は大法弟子であり、師父の按排だけを認め、他は一切認めない」という正念を発しました。すると、すぐに痛みが消え、つった足の筋肉も和らいで、足をまっすぐ伸ばせるようになりました。目が覚めても、すべてを覚えており、私は大法への信念を高めました。

 絶えず内に向けて探すことと発正念して執着を取り消すことによって、私は守られていると感じ、多くの厄介なことに巻き込まれずに済んだかもしれません。私はもっと執着をなくせば、法を暗記する速度が速まり、頭の中が法でいっぱいになり、法に同化する能力も高まると思っています。

 また、フランス在住のベトナム人として、現地の同修とよりよくコミュニケーションをとるために、フランス語で学法するようになりました。ふと、ベトナム語よりもフランス語のほうが、表面的な意味を理解しやすいことに気づきました。そうすることで、法をより深く理解することができます。同時に、法を学ぶ過程では、いろいろな考え、嫉妬心などの執着心も見つかりました。

 これらは最近の学法で得た最大の収穫です。師父は多くのものを下さりました。私は続けて学法に集中したいと思います。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/23/449790.html)
 
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