文/海外の大法弟子
【明慧日本2022年10月1日】
師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は2018年の夏、明慧ネット編集チームを支援し始めたとき、このプロジェクトがいつか自分にとってどれほどの意義を持つことになるのか、想像もつきませんでした。当時、私は法輪大法を修煉して1年になったばかりでした。 私は大都市から離れた農村に住んでいたので、真相を伝える活動に参加することができませんでした。ある同修から「明慧ネットは修煉者にも常人にも重要です」と聞いた時、試しにやってみることにしました。
約1年半の中で、私は主に明慧ネットの同修の修煉体験を翻訳していましたが、これは私の修煉に役立ちました。 その後、別の翻訳チームに配属され、時事や迫害に関する記事を担当することになりました。今思えば、これが私と明慧ネットとの関わりを深めたきっかけになりました。迫害された同修の運命は、私には耐え難いものでした。 どの報道も、私は中国で受難している同修とつながっているような気がしました。 刑務所の写真、拷問器具が人に与える印象と叫び声が、夜、私の夢の中に出てきたのです。 私は汗と涙で目が覚めることもよくありました。私は自分が翻訳しやすい修煉体験をやりたいと強く思いました。 それに比べて、迫害に関する報道を翻訳するのは難しいのです。 拷問に関する内容は、嫌悪と反感を抱かせるもので、時には文章が長く、18ページにも及ぶ長い文章もありました。 私は心の中で不満を抱きながら、以前の仕事に戻りたいと切望していました。
内に向けて探してみると、私には嫉妬心がとても強いことがわかりました。 私は修煉体験、散文と大法の奇跡に関する翻訳を続ける人がとてもうらやましいと思いました。 このことを新しいチームと交流した時、自分の心理状態がいかにばかげているかに気づきました。同修は、このような記事を10年以上にわたって、毎日、毎週、翻訳してきました。 彼らのプレッシャーを軽減すためにも、私に続けるようにと励ましてくれました。
師父はこのようにおっしゃいました。「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱(ぜいじゃく)なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果(しょうか)を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」[1]
私は徐々に自分の嫉妬心をコントロールすることを学び、修煉体験を翻訳したいという自分勝手な願望を放下しました。 もし大法弟子の経歴を翻訳する人がいなければ、海外の人たちはどのようにして大法弟子が、どのように迫害されているのか知るのでしょうか? これも明慧の仕事の中で威徳を積んでいるのです。私が翻訳した文章は、すべて私と直接的な関係があると実感しています。 拷問についての報道が、私に善良な心を保つことを学ばせました。修煉者が強制的に汚物を食べさせられたとき、気持ちが悪くなって吐き出しそうな心を取り除くように自分に促しました。 その過程で、修煉者が受けた苦痛には、別の良い面もあることに気づいたのです。
師父は『洪吟』の中でこのように書かれています。
その心志を苦しめる
圓満となって佛果を得る
苦を嘗めるをもって楽とす
身を労するを苦と算せず
心を修するは最も過ぎ難し
関という関は全て闖えるべし
いたる処すべて是れ魔
百の苦 一斉に降る
其の如何に活くかを看る
世上の苦に堪え得れば
世を出ずれば是れ佛陀
この『洪吟』が、私に拷問を受けている修煉者を迫害の犠牲者として見るのではなく、最大の苦難の中で修煉している大法弟子として見ることができるようになりました。
その後、私はトップニュースを編集するようになり、その中には法会や個人の修煉体験、大法の奇跡の報道があります。 迫害の文章に比べてこれは喜ばしい変化であり、私は大切にしています。
疲労と睡眠不足を克服する
明慧ネットの仕事は、他の多くの大法プロジェクトと同じように、すべてがボランティアであり、仕事や家庭と並行して行わなければなりません。 夜8時以降に翻訳を始めることも多く、週に何日かは深夜まで翻訳をしなければなりません。
明慧の毎週の翻訳状況を把握するために、明慧のメンバーは翻訳した文章数を表に記入しています。私は週に10篇以上を翻訳することもありますが、しかし、1週間に20篇以上、時には30篇以上を翻訳する同修には及びませんでした。彼らの根気強さに敬服しています。
師父はこのようにおっしゃっています。「私は大法のプロジェクトに参加する一部の大法弟子を敬服します。例えば、明慧に携わる学習者は他の学習者と同じように活動に参加することができず、大法弟子の他の活動にも参加できません。参加しても自分が何のプロジェクトに関わっているかを打ち明けることもできません。何と言っても今は非常時です。大紀元の記者や新唐人の編集者は身分を明かしたり、担当の仕事を話したり、大きな責任を背負う大法弟子なので、名誉のあることのように話しています。しかし、明慧のスタッフは何も言えません。いくら功労があっても心にしまっておくしかありません。一日、二日は問題なく、一年、二年も問題ありませんが、あっという間に二十年が経ちました。(皆が拍手する)実は黙々と大法弟子のプロジェクトに参加している多くの大法弟子、他の大法弟子も同じで、黙々と取り組んでおり、本当に素晴らしいのです。神から見れば、一目を置かれる存在です。私はこのような学習者を敬服しています」[2]
一人の人間が明慧ネットで長年、絶えることなく深夜まで精力的に仕事をすることが、どうして出来たのか、私にとって謎でした。 以前は、翻訳中に寝てしまうことも少なくありませんでした。 目が覚めて、次の日に翻訳をしようとすることもありました。ある日、長いトップニュースが遅れていることに、翌朝になってようやく気づきました。 通常では、トップニュースは最優先され、当日の夕方に翻訳文章の提出をしなければなりません。 翌朝早く協調人からこのミスを指摘されたので、朝の学法が終わったあと6時から翻訳を続け、トップニュースの掲載に間に合わせたこともあります。
時間が経つにつれ、明慧の仕事における学法の作用に気づかされました。 私が確実に修煉出来ている時、初めて迫害に関する文章の内容や文面を上手く編集出来るのです。ですから、私は明慧チームの早朝の学法をとても大切にし、長年にわたって私の修煉の不可欠な一部となっています。 しかし、朝5時に起きて学法に参加することは、容易なことではありませんでした。時には、目に刺されたような痛みと灼熱感があり、文字が読めなくなったり、あるいは痛みで目を閉じなければならないこともありました。 あるときは、夜勤明けの疲れがたまって、うとうとと眠り続けてしまったこともありました。 学法で自分の読む番になると、私の主意識が戻り、他の人が読んでいる間にまた眠くなるのです。その日、私達は第五講を勉強していました 。私が最後の段落の小見出しを読んだとき、驚きました。 本来なら「祝由科」(Zhuyou Ke)と書いてあるはずの小見出しが「Zhuyou Mi」と書かれていました。 この件について、私は説明することができませんでした。私はオンライン書籍を読んでいたので、この明らかなミスは他の人にも見えていたはずです。 しかし、交流の過程で、私が読んでいたオンライン書籍の小見出しだけが間違っていることに気づきました。 念のため、スクリーンショットを撮りました。本当に 「Zhuyou Mi」と書いてありましたので、私は驚きました。 これにはどのような内包が込められているのでしょうか?
この日は一日中、私の思考は第五講のこの誤った小見出しをめぐって考えていました。 夜になって落ち着いて内に向けて探した時、それが師父の啓示だと悟りました。疲労感は旧勢力の妨害であり、私は正念を用いて、強大な「滅」でそれを制止すべきだということなのです。
師父は、「あなたはすでに自分の主意識を放棄する習慣を身につけているから、目を閉じると自分の主意識が緩んで無くなってしまうのです。あなたはすでにこういう習慣になっているのです」[1]と説かれました。
それを理解した私は、もっと早く起きて、夫と一緒に第二式と第五式の功法を煉功してから、法を学ぶことに決めました。 以前の私は煉功を日常生活の一部と捉えることができませんでした。 なぜなら、私は忙しく、煉功よりも仕事を優先に考え、1日に一式の功法をも煉功しないことも珍しくありませんでした。 私は師父に「師父、助けてください! 私は本当に確実に修煉がしたい、主意識で法を学びたいのです」とお願いしました。
正念と師父の手助けにより、私はこの悪循環を断ち切ることができました。今では毎日学法をしており、週に数日は五式の煉功が出来るようになりました。
『明慧報告』プロジェクトで仕事をする
2021年、『明慧人権報告書』(『明慧報告』)のドイツ語版が発行されました。 私はこの本を英語から翻訳するのを手伝いました。あるチームが秋には、高品質なハードカバー版で印刷することに決めました。 私はこのプロジェクトを応援したいと思いました。
プロジェクトの最初の打ち合わせで、私たちの小さなチームは、まず自分たちで500ページを超える報告書を読まなければならないことに気がつきました。 誤字脱字や不適切な表現があったため、もう一度全体を見直すことにしました。そこで、私たち、少人数でチームを構成し、段落ごとに丹念に修正し、数カ月を費やしました。 私たちは皆、通常の翻訳の仕事や、家族と仕事以外の時間に、この特別な仕事に挑戦して終わらせなければなりませんでした。
同時に、『明慧報告』を今後どのように販売していくかも検討しました。 偶然の機会に、インターネットでライプツィヒ・ブックフェアの情報を見つけ、チームは、この機会に本への関心を高めることが出来ると考えました。そして『明慧報告』の予告編で、展覧会に申し込み、全力挙げて修正を進めました。しかし、この修正作業を終えたころ、プリントファイルのフォーマットが間違っているという問題が発生しました。 この問題をようやく解決したところで、印刷が開始されました。 その直後、ライプツィヒのブックフェアが中止になったという知らせがありました。
その時、私は残念な気持ちとともに、ほっと一息つきました。 数カ月にわたって蓄積された巨大なプレッシャーが、突然、私の中から消え去ったのです。 ブックフェアに登録したのは、『明慧報告』の印刷を早める目的だった、と思えたのです。
次の仕事は、新しく設立された明慧出版社のホームページを立ち上げることでした。 ニューヨーク明慧出版センターを例にとり、彼らの要望にできる限り応えようとしました。これは私達に新たな問題をもたらし、ドイツでは適応する法律が全く違うのです。著作権に関する注意事項、データ保護、一般的な条項に対する要求を満たすだけで、私たちのチームに大きな挑戦をもたらしました。
私達は細部にまでこだわり、研究を重ねることで、初めて対応できるようになるのです。この他に、異なる言語のテキスト、総合評価のドラフト、『明慧報告』を読んだ後の点数の評定を作成しなければなりませんでした。これらは、とてもゆっくりしたペースで進みました。
この本の印刷がようやく終わり、出荷の準備が整ったところで、チームは次の問題に直面しました。 それは、1000冊の本を保管しなければならないことでした。 費用の問題で、最初に考えていた場所を借りることをやめました。ただでさえ手狭な2LDKのアパートに、夫と一緒に置く場所を空けました。書籍は3パレットで配送されます。電信グループに助けを求め、多くの人に呼びかけ、この本をおろしてもらいました。結果的に、すべてがスムーズに運びました。到着予定時刻の15分前に運送会社から本が届けられました。30分後、この本はすでに私たちのアパートに運び込まれました。こんなに早く終わるとは思っていませんでした。これは、師父の加持なしには実現できなかったことです。私達は師父がこの場におられたことをはっきりと感じました。
本が届いてからが仕事です。同修から予約注文された本は、週明けに納品できるように準備し、請求書を書かなければなりませんでした。夫と一緒に、この任務に取り組みました。 しかし、時間に追われていました。 この数日、夫が別のプロジェクトの仕事で忙しかったため、200冊以上の予約本の梱包はほとんど私に任されました。どうすれば終わらせることが出来るのでしょうか? 私は正念を発し、師父にご加持をお願いしました。 1日ですべての梱包が終わり、中には25kgの重さのものもありました。車を持っていない私たちは、またしても助けを求めました。幸い、近所の人が車を提供してくれたので、この困難も乗り越えることができました。
その他、請求書の作成、帳簿の管理、未入金の督促、EU圏外への書籍の送付など、何度も新しい挑戦をもたらしました. 時には、絶望的な気持ちになることもありましたが、そのたびに、新しい任務が山のように目の前に積まれました。 私には、物事、特に簿記への記入をギリギリまで待つというよくない習慣があることに気づきました。 そこで私は師父の言葉を思い出しました。
「われわれは、トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています」[1]
大法の指導と師父の手助けにより、私は明慧ネットで一歩ずつ前進することを学び、そして新しい領域でも一歩ずつ成熟に向かいました。
『明慧報告』は、本を売る目的だけでなく、何よりも修煉のためだと理解しています。 私が所属する新しく設立された明慧出版社は、常人の世界で大きな役割を果たすと思います。正念と大法の力の下で、すべての任務を成し遂げることができます。
師父は、「一人の大法弟子は正念が非常に強ければ、山を切り分けることができ、一念でやり遂げてしまいます。迷いの中で、皆さんは自分の能力を見ることができませんが、これはさほど影響がありません……」
「……未来にまだたくさんのことがあり、あなたが円満成就するその日まで続きます。最も厳しい時期を皆さんはすでに乗り越え、残った時間はそれほど難しくなく、より良く行なうだけのことです。望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです。つまらないと思えば思うほど、あなたの威徳を築いているかもしれません。皆さんが本当に協調を取ることができ、十分な正念を持ち、問題にぶつかったら内に向けて探し、修煉を始めたばかりのときのような情熱を持ってほしいと思います」[2]と説かれています。
親愛なる明慧ネットの同修の皆さん、私達と共に大法の威徳を樹立し、共に誓いを果たし、明慧ネットの仕事の中で、法を正すことに貢献しましょう。
師父に感謝致します!
同修の皆さんに感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
(2022年明慧多言語部門法会の発表文章)