【日本法会】ナレーターは師父が按配して下さった修煉の道
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2022年10月9日】私は2010年7月に修煉を始めました。この10数年を振り返ると、心身を向上させることの素晴らしさや大法の超常さを何度も経験しました。

 5年ぶりの日本法会の開催にあたり、ずっと弟子を見守ってくださる師父への感謝の気持ちを込めて、3年前から始めた「ナレーター」での体験を共有させていただきます。

 一、録音は心身を向上させた

 私は人前で話すのが苦手です。注目されると緊張して、手足が震えてしまうのです。修煉し始めてから「日本人だから」という理由で、ステージ司会を任されることが多く、そのたびにひどく緊張して「マイクの前で話すなんて、もうできない」と思いながら、司会を続けていました。

 2019年ごろから、本格的にメディアでのナレーション依頼が入るようになり、修煉が一気に加速しました。

 私は以前から自分の声にコンプレックスがあり、ステージの司会ならまだしもインターネットで声を拡散するのには抵抗がありました。しかし、一般メディアが伝える情報は(中共の)嘘ばかりで、大法弟子が真実を伝えなければ日本の衆生が(中共の)虚言に騙されてしまうと感じ、自分に与えられた役目を果たすには、この「声」を使うしかないと思いました。

 最初は、録音マイクとパソコンが繋がっただけで緊張し、音声編集で自分の声を聞くたびに耳を塞ぎ、これではオンエアできないと、何度も何度も録り直していました。

 そんな私を見かねて、師父は同修からナレーションの指導を受けられるよう按配してくださいました。

 ナレーション指導の同修は、「自分の声が苦手でも、師父から賜った大切な声なので、少しでも視聴者が聞きやすくなるよう、努力するべきではないですか?」と、発声や滑舌練習を教えてくださり、大法弟子のナレーターにとって一番大切な、心構えについても教えてくださいました。

 それは、「学法煉功が出来ないのなら、ナレーションはしなくていい」ということです。

 確かに、大法弟子はみんな忙しくて、複数のプロジェクトに追われています。もし、大法の仕事を修煉と錯覚すると、学法煉功を疎かにしがちです。大法弟子として、声で真相を伝えるには個人修煉が出来ていることが大前提だと、改めて気づきました。

 それから、数年ぶりに早朝煉功に参加し始めました。ソナントではたくさんの同修が朝早くから煉功していて、とても励まされます。

 私は週に三日、フルタイムの仕事をしていますが、仕事のない月曜と火曜と金曜は朝の発正念の後、『轉法輪』を一講、中国語と日本語で交互に学法します。この学法の時間で、繁体字が少し分かるようになり、原稿の校正をする時にも、原文がすぐに見つかるようになりました。

 また、学法と煉功を重視するようになってから、体調も更に良くなりました。

 普段の録音は、環境音が少なくなった深夜に始めます。早朝煉功に参加すると睡眠時間は減りますが、短時間でも深く眠れているようで、目が覚めると頭がすっきりしていて、どんなに忙しくても、疲れを感じなくなりました。

 今ではナレーションと個人修煉が良性の循環をしています。

 二、心性の向上に繋がる出来事

 ナレーションを始めてから、ずっと吹き替えを担当している番組があります。海外に住む中国人同修が独自の視点で時事を解説する番組で、20分超えの動画を週に3本のペースで制作しています。大変な作業ですが、翻訳、校正、動画編集の同修が一つのチームになり、良い動画を作るために日々奮闘しています。

 この番組のナレーションは、私にとって修煉そのもので、学法煉功が出来ていないと、長時間の録音に心身が耐えられません。録音は夜の23時頃から準備して、1時間ぐらいかけて録り終え、翌日4時間くらいかけて音声の編集をします。時事などの急ぎの内容は、発正念後に編集を始めて、明け方に終わらせることもありました。

 また、原稿には中国共産党の虐殺の歴史や、法輪功への迫害を暴く内容も多く、むごい描写に触れると録音中に泣いてしまい、文章が読めなくなります。女性として、マイクの前で話すには辛すぎる内容もあり、協調の同修に「もう読めません」と言った事もありました。

 けれど、中共の邪悪な本質を暴露するにはこの事実を伝えなければならず、そうしなければ、中国国内で無惨に殺害された人々や、自身の辛い体験を公に晒した同修の気持ちも、無駄になってしまいます。そのように理解してからはどんな内容でも動揺しないように、心性を向上させて落ち着いて読むように心がけています。

 しかし、修煉では一つの関を超えると、またすぐに次の関がやってきます。今度は、同修との心性の摩擦に遭遇しました。

 私は人とのトラブルが苦手で、普段の交流でも当たり障りのないことしか言わず、揉め事が起きるぐらいなら、自分の考えは主張しません。一見、協調ができているように見えますが、それは無責任で、安逸心が強いだけだと気付きました。

 ナレーターとして自分の声で原稿を読む以上、その内容に責任を持たなければいけません。

 先日、原稿の内容について、自分の考えを主張してある同修と衝突してしまいました。

 それは、日本の元総理大臣の暗殺事件の解説で、日本人の関心も強く、時効性もあり、正確な内容が求められる原稿でしたが、原文は海外の同修の理解に基づくもので、日本人の感覚とは少し違っていました。

 冒頭で、「ノストラダムスの予言で、2022年に、ある国の首相が暗殺されると言ったのは、このことだったのかもしれない」という箇所があり、私は疑問に思いました。暗殺された元首相は確かに影響力のある政治家ですが、2代前の総理大臣で、現職ではありません。過去の予言にこだわるのにも抵抗があり、その箇所は削除してほしいと、同修に連絡しました。すると同修は、「予言の部分をカットすると内容が変わり過ぎるので、制作した海外の同修に了承を得なければいけない、削除はできない」と言いました。私は、「間違えているのに、そのまま読むことはできません」と言い、どちらも譲らず、徐々に口調も強くなりました。

 私は次第に落ち着かなくなり、激しく動揺しました。お互いに、この番組の事を考えているのに、なぜこんなに、意見が合わないのでしょうか。

 その時、ふと我にかえり「そうか、これは修煉だ、どんな執着が動揺させるのかを内に向けて探してみよう」と思いました。

 静かに同修の話を聞くうちに、「私は自分の意見を認めてほしかっただけではないか」と気付きました。この同修は、ナレーションをし始めた頃から、うまく読めない私をずっと励ましてくれたのですが時々、『宿題を急かす母親』のように感じて、「精一杯、頑張っています!」と、心の中で反発していました。

 今回もまさにそうで、ただ、自分の意見を受け入れてほしい、認めてほしいだけでした。この心は、無私無我から、どれほどかけ離れているのでしょう。

 少し落ち着いてから、私は同修にもう一度、なぜこの箇所が読めないのかを伝えました。すると同修は「そういう意味だったのですね」と、すぐに理解してくれて、「ではここの文章をこのように変えたらどうですか?」と提案してくれました。

 同修と協力して作り上げたこの日の動画は、視聴回数も多く、たくさんの視聴者がコメントを残してくれました。

 今回の出来事は私の執着心を見つけるために、師父が按配して下さったのだと、改めて師父と同修に感謝いたしました。

 三、10年前に見た夢が現実になる

 修煉を始めた頃、何度か不思議な夢を見ましたが、その中で、自分への戒めとして、今でも鮮明に覚えている夢があります。

 2011年2月、神韻コールセンターに在籍し、自分なりに「修煉を頑張っている」と思っていた頃に見た夢です。

 私は自分の育った街が見渡せる場所に立っていて、何人かの同修も一緒にいました。私達のいる場所は透明な空気に包まれて、呼吸も普通に出来ましたが、街は一面オレンジの空気に包まれていました。その空気には猛毒が含まれていて、少しでも吸うと死んでしまいます。人々は家の中に閉じこもり、窓を固く閉めていましたが、空気を遮断することはできず、充満した猛毒を吸った人は、大人も子供も皆、死んでいました。

 壊滅状態の街を見ていると、オレンジの中に、ところどころ、私たちと同じ透明な空気に包まれた家やマンションの一室があり、その中にいる人達は生きているようでした。

 それは全て神韻のチケットを買った人の家でした。しかし、その数はあまりにも少ないのです。同修は、悲しそうな表情をしていましたが、それでも「自分達のやるべきことはやった」という顔で街を見下ろしていました。 

 私はもう一度街を見ました。すると、私の知っている人がオレンジの空気の中にいて、すでに亡くなっているのに気付きました。あの家もこの家も、私が伝えるはずだった人の家です。

 「また次に会ったときに話そう」と思っていた人たちが、真相を知らないまま、みんな死んでしまったのです。その時の恐怖と後悔は表現のしようがなく、いくら自分が助かっても苦しみしかなく、どれだけ謝っても、すでに死んでしまった衆生を助けることはできません。私はただ頭を抱えて、「ごめんなさい、ごめんなさい」と叫ぶしかありませんでした。

 泣きながら謝り続ける私を、師父が悲しそうにご覧になっているような気がした時に、目が覚めました。目が覚めたあと、夢でよかったと心から思い、このことがまだ終わっておらず、時間が残されていたことに本当に感謝しました。それから10年間、修煉の道で、落ち込む時も、褒められた時も、この夢が教訓のように思い出されました。

 そして、転んだら立ち上がる努力をし、褒められても有頂天にならず、ナレーターとして、着実に修煉するしかないと思っていました。

 2021年3月、夢で見た景色が、現実になってしまいました。中国の北京でひどい黄砂が発生して、街がオレンジ色に染まったのです。その様子を伝える映像は夢と同じで、私は本当に体が硬直しました。

 ただ、夢と違うのは、オレンジの空気を吸った人たちが、死んでおらず、神の奇跡もまだ現れていない、ということでした。10年前に見た夢と同じ、オレンジ色の空気の中で、人々が生きている映像を見て、私は、師父がまた時間を伸ばして下さったのではないかと思いました。

 それ以来、「もう一刻の猶予もない」と感じ、更に時間を大切にして、真相を伝えなければならないと思いました。今は毎日を精一杯、修煉しています。

 ナレーターは、師父が按配して下さった 私の修煉の道です。よくできた日も、できなかった日もありますが、全てのナレーションは、1日の修煉の集大成として、その日にできる最高の状態で録音しています。

 これからも、1日1日を大切にして、ひたすら修煉に励み、先史の誓約を果たせるよう、精進いたします。

 師父に感謝いたします。同修の皆様に感謝いたします。

 (2022年日本法会交流発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/8/450535.html)
 
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