【ロシア語明慧】「自分は他人より優れている」という執着心を取り除く
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 文/海外の大法弟子

 【明慧日本2022年10月11日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は24年間、法輪大法の修煉を続けており、とても幸運なことだと思っています。大法と師父はいつも私を支えてくださり、生活の中の困難を克服し、身の回りに起こる出来事に適切に対処する力を与えてくださいました。大法は、私が常に得ることのできる力と知恵の源です。

 体の浄化や天目を開くことから功能まで『轉法輪』に書かれていることの多くのことが、ここ数年の修煉の中で私の身に起こりました。師父はいつも私のそばにいて、私を助け、導いてくださいました。

 私は、法輪大法を紹介し、真相を伝え、衆生を救い済度するプロジェクトにできるだけ参加するようにしていますが、明慧は私の最初のプロジェクトでした。幸運なことに、私は明慧を立ち上げる段階から携わることができました。私はこのサイトで働きたいと強く思っていたので、編集長から文章の翻訳を依頼された時、私は快諾しました。

 明慧に加入して最初の半年間は、編集者から翻訳文章が送られてこなくなるのではないかと心配しました。翻訳の質を上げる必要があることが私は分かっていたので、文章を翻訳するごとに何度もチェックしていました。ウェブサイトに文章が掲載された後、文章を相互参照し、自分の翻訳の誤りを見つけました。

 少しずつですが、心性が向上し、翻訳の質も向上してきました。時間が経つにつれて、翻訳の速度が速くなり、1週間に4~5本のペースで翻訳できるようになりました。

 最近、プロジェクトの協調人から、ある重要な文章を指定日までに翻訳するように依頼され、すぐに「あなたはすでに毎日翻訳の仕事をし、他のいくつかのプロジェクトにも参加し、最近では・・・に同意していることを忘れてはいけない」という念が頭に浮かびました。しかし、この念が出てきた瞬間に、その念は自分ではないということが分かりました。明らかに、この重要な文章の翻訳は師父が「私たちのウェブサイトのためにもっと重要なことができるはずだ」と私にくださったチャンスでした。私は師父に「できません」と言えるわけがありませんでした。

 同じような状況に陥った時は、いつでも次元を向上させるチャンスであり、次元を向上させるためだということをはっきり覚えておくことが重要であると思いました。この時、自分のさまざまな執着心を取り除くよう努力し、新しい職務の遂行を妨げるような執着心を取り除き、自分勝手な考えや怠慢、人間の堕落した観念に基づく安逸を求める執着心が生じないように、自分自身を見つめ直すことが特に重要でした。

 ウェブサイトの文章を翻訳する際に心がけたは、自分の心を見ることでした。常人の観念、興奮、不平、憎悪などは、そのような思考が粘着性のある汚いエネルギーを残すので、文章を読む人に非常に有害でした。文章を翻訳する時、迫害されている同修や、苦難を乗り越えてついに執着心を見つけ出した同修への同情や、衆生を救い済度する師父の慈悲が書かれていても、感情に流されて泣かないように私は努力しました。私は自分に厳しく「涙を流すとは、あなたはどんな大法弟子なのでしょうか?!」と言い聞かせました。私たちが泣いていると、さまざまな邪悪な生命が手をこすりながら喜んでいるのを天目で何度か見たことがありました。

 執着心を取り除く

 「翻訳がうまくいかないからこのプロジェクトを辞めてくれ」と言われるのではないかと、明慧のプロジェクトが始まった当初心配したのはなぜだろうか、と考え始めました。16年経った現在(訳注:2022年9月)でも、より複雑な翻訳を要求される文章を前にすると、うまく翻訳できるかどうか不安になるのはなぜでしょうか?

 一見すると、私がこのプロジェクトに関わることを非常に重視し、仕事の質を心配しているからで、これは素晴らしいことだと考えることもできました。同時に、心配がある時には執着があり、その執着を見つけて取り除く時であることも私は知っていました。少し前に、私はついに自分の問題を発見し、真剣に解決に取り組み始めました。

 私は「よし、仮に私がミスをしたとしたら、編集者が私のミスを指摘し、さらに私を笑いものにしメインの協調人に伝えるかもしれない、などなど。ほら、そんなことは簡単だ。私を受け入れない話は聞きたくないし、批判されるのも嫌だからだ!」と認識しました。私は自分の傲慢な心がはっきりと見え「自分は他人よりも優れている」と思う心がはっきりと分かりました。私は自分を恥ずかしく思い、編集者にいつも翻訳を直してもらいたくないという考えも、まったく正しくなく、自分の傲慢な心を隠すためのある種の態度であったのだと気づきました! このようなさまざまな執着心がなければ、こんなに悩む必要はありませんでした!

 実は「質の高い翻訳をしたい」という願望の裏には、傲慢な心と面目を失うことを恐れる心が隠されていました!

 明慧ネットの仕事に携われたことは、とても幸せなことだということを私は知っていました。翻訳をしながら、修煉者たちの修煉物語が頭の中を巡り、修煉者たちの行動と自分の行動を比較することで、向上すべき点が常に見えてきました。

 真相資料を配布中に警察に捕まった2人の大法弟子についての文章を翻訳したことがありました。警察は、修煉者たちの名前と住所を聞き出そうと、尋問を始めました。1人目は何も言いませんでしたが、2人目はすぐに自分と同修のことをすべて話したので、2人目の修煉者は家に帰ることが許され、裏切られた同修は留置場に移送されました。留置場に移送された同修が別れの時に、裏切った同修に言った言葉は「手本として私の心にいつまでも残っています」であり、留置場に移送された同修は「心に負担を持たずに、引き続き修煉しに戻り、三つのことをしっかり行ってください。捕まえられたのは自分が悪いのです」と言いました。たとえ苦境に立たされても、人のせいにせず、ひたすら内に向けて探した、留置場に移送されたその同修に、私はまだまだ及ばないことを実感しました。

 現在(訳注:2022年9月)の段階では、恨む心や傲慢な心を刺激されても黙っていられるのですが、心はいつも穏やかではありませんでした。私はずっと内に向けて探すことを意識しました。自分にはまったく非がないのだから非難されるべきではありませんが、いつも、自分の中にある問題点を見つけてその問題点を取り除くために、意図的に状況を作り出しているかのようでした。私は師父から与えられた内に向けて探すという法の宝を使ったことがないので、自分の執着心を見極めることができないのかもしれませんでした。

 もちろん、問題点を取り除かなければならない状況によく陥るのですが、私は冷静に、何の感情も抱かず、笑顔さえも浮かべて試練を通過しました。試練を通過した状況を経て、私の心は穏やかな喜びに包まれました。

 私は師父の「トラブルに遭ったら、自分が間違ったかどうかに関わらず、このことに関して私に間違ったところがあるのか、本当に自分が間違ったのではないかと自らを考え、皆このように考え、最初の念は自らを考え、問題を考えているのです。このようにしない人は本当の大法修煉者ではありません。これは修煉上の最も有効な手段であり、大法弟子が修煉する際の特徴です。いかなることに遭っても、最初の念はまず自分を考え、これはすなわち『内に向けて探す』ということです。実は佛教も同じです。佛教は心を修めると言っているのではありませんか? 内に向けて見ると言っているのではありませんか?」[1]というお言葉を思い出すようにしています。

 明慧ネットの仕事を始めたある日、座禅していると天目にたくさんの人がいる空間がはっきりと見えました。その人たちは全員、ゆったりとしたローブを着ていました。その人たちの中には王冠を頭に乗せたり、坐りながら半円を描いている人もいました。部屋の中はすでに暮色でした。私は自分がその空間にいることはわかりましたが、自分の姿は見えませんでした。その空間にいる人たちは私が何かを与えるのを待っているのだと私は自分の全身の細胞で感じました。すると、片方の手に透き通ってきらきらと輝いている水の入った大きなグラスを持っている自分が見えました。そのグラスを一番近くにいた人に手渡しました。一番近くにいた人は丁寧に受け取り、一口飲んでまた隣の人に手渡しました。皆、丁寧にカップを手渡し、その空間にいる人たちが心待ちにしていることがよくわかりました。

 明慧ネットの透き通ってきらきらと輝いている文章は、私たちのこの世界の人々だけでなく、他の空間で救い済度される事を待っている衆生にも必要としいるのかもしれませんでした・・・。

 師父は「大法弟子は師が衆生を救うことを手伝うという責任を持って世に降りた神であり、下界の衆生を救い済度する責任があるのです」[2]と説かれました。

 上記の交流が、私自身の次元での理解です。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/30/450126.html)
 
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