【明慧日本2022年10月16日】(内モンゴル=明慧記者)内モンゴル自治区包頭市青山区の法輪功学習者・江海瀅さんは、中国共産党(以下、中共)による様々な迫害を受け、2021年7月10日に死亡した。55歳だった。もともと幸せな家庭だったが、中共の迫害により崩壊した。江さんの半身不随の夫は弟夫婦の世話になっており、小学校6年生の娘は祖母の家に預けている。
以下は、江さんが生前に受けた迫害と、家族が経験した苦難の一部を紹介したものである。中共が情報を封鎖しているため、迫害に関するもっと多くの情報は、確認でき次第報道する。
一、駅で不当に連行、2年間拘禁され、4回裁判を受ける
2014年9月1日、江さんは実家に帰るため包頭駅で列車を待っていたところ、改札口で青山区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)、610弁公室の責任者・陳恵君に不当に連行された。
陳恵君は、地元の検察庁が何度も案件を差し戻したにもかかわらず、江さんの解放を拒否し、青山区検察庁に逮捕を促す手紙を2回書いた。2014年10月初旬、江さんに対する逮捕状が発付された。
2016年7月21日の朝、開廷通知を受け取った江さんの弁護士は、はるばる包頭市に来て、裁判官の孫錦民に電話をかけたが、応じてもらえなかった。午前中、江さんに対する4回目の裁判が行われ、10分足らずで終わった。
二、家族が受けた苦難の日々
江さんが不当に拘禁された2年間、江さんの家族は数え切れないほどの苦難を経験した。
警官は4歳の娘の前で江さんを連行したため、幼い心に悪夢を残すことになった。江さんを救出する間、子供は駅に行くことや警官に会うことを恐れ、自閉症の症状まで現れ、他人とのコミュニケーションを嫌がっていた。
江さんの夫は、仕事以外は妻の救出のために走り回っていた。毎朝、夫が家を出るとき、4歳の娘に水一杯と空腹を満たすビスケットを用意し、「家でいい子にしてね」と言って出かけたという。
江さんの父親は脳血栓を患って後遺症が残っていた。江さんの母親は孫の面倒を見るために、夫を連れてわざわざ包頭市まで来てくれたが、恐怖や娘のことを心配するあまり、精神が恍惚とした状態に陥り、転んで足を骨折した。
その時、江さんの夫は妻を救出しながら、家族を支えるために仕事をしなければならず、さらに義父と義母や、幼い娘の世話をしなければならない状況に追い込まれた。数日間で、江さんの夫の髪は真っ白になった。
三、帰宅後の江海瀅さんは嫌がらせを受け続け、夫はプレッシャーで半身不随に
2年あまり不当に拘禁された江さんは、2016年12月1日に帰宅した。それ以来、地元の政法委(治安・司法などを統括する機関)、国保、派出所、住民委員会などの関係者は、自宅に来たり電話をかけたりして、繰り返し嫌がらせを働いた。
当初、江さんの夫は妻を救出するために大金を使い果たし、莫大な借金を重ねていたため、意気消沈して、「自分が見る空はいつも灰色になっている」と言い、子供が寂しくならないように猫を飼わせた。家の中から外まで猫の糞が至るところにあった。
江さんは解放された後も、警官らによる絶え間ない嫌がらせを受け続けていたため、状況はあまり改善されなかった。2019年6月23日の夜、江さんの夫は突然倒れ、半身不随となり、もともと苦難の生活にさらに災難が重なった。
四、嫌がらせを受けた海瀅さんに幻覚症状が現れる
2019年後半、地元の国保、610弁公室、各法曹部門、および街道弁事処の関係者らは、交代して江さんに対して嫌がらせを働き、ときには10人以上がやって来た。その中には、数年前に江さんを罪に陥れた陳恵君もいた。
当時、江さんは懸命に夫の身体を回復させようとしていて、自分の体の耐え難い痛みを気にする暇もなかった。プレッシャーの中で、江さんは警官が来ていなのに、よく警官がドアをノックしている幻覚を感じていた。
その後、江さんの病状が悪化し、親戚の家で早く体調を整えようと思い、家を離れざるを得なかった。家を出る前に、幼い娘を見て、江さんは思わず涙を流した。
その後、江さんは実家に戻り、80歳近くの母親は、父親と江さんの介護をしなければならなくなった。
五、江さんは死亡、家族は崩壊
心身ともに追い詰められた江さんは、中共の迫害で重病となり、幼い娘と半身不随の夫、高齢の両親を残して、2021年7月10日にこの世を去った。