文/中国の青年大法弟子
【明慧日本2022年10月29日】ある日の午前7時頃、自宅マンションの下の階で火事がありました。私と妻は強烈な黒い煙の中、5階から7階まで走って避難しました。廊下はすでに黒い煙で充満していましたが、幸いにも隣人がすぐにドアを開けてくれたので、私たちは部屋に入ってから段々と落ち着きました。
しばらくして、消防士が来て消火活動を開始し、私たちも消防士の指導に従ってビルを降りました。私の家は5階にあり、4階の天井が焼け落ちてしまいました。そのため、私たちの部屋の中は煙で真っ黒になり、エアコンの室外機も燃えました。安全上のため人は住めないので、私たちはマンションの管理者から暫くホテルに泊まるように手配されました。
後になって考えると、実に恐ろしいことです。旧勢力の邪悪な生命が私に害を与えようとしていましたが、慈悲なる師父が私を救ってくださったのだと思います。今回の危険な遭遇は私に考えさせました。修煉者の私が、なぜこのようなことに遭ったのでしょうか?
私がこの家に入居してから火事の日まで、ちょうど3カ月になります。この期間の自分の修煉を反省すると、あまりにも状態が悪く、師父の慈悲なる済度に誠に申し訳なく、悔しくてたまりませんでした。
一、家の改装や装飾への執着
私は去年結婚しました。古い団地の中古住宅を買い、外観はかなり古いのですが、去年業者に改装を依頼して室内を一新しました。新しくなった我が家がとても気に入って、心から喜びました。今年入居するまで、ネットショッピングを通じて、いろいろな装飾品や家具、置物などを買い揃えることで、たくさんの時間を費やしてしまい、修煉を怠り、自分の執着心を強めました。母は時々食事に来て「台所が広くて気持ちがいい」と褒めてくれます。それを聞く度に、嬉しくて満足感を覚え、家への愛着が湧いてきました。
しかし、修煉者として、どんな物事を好きになることも執着であり、好きも嫌いも情であり、修煉する中で取り除くべき人心です。
二、色欲心が捨てられず、修煉者の基準で律していない
妻は大法を修煉していませんが、大法を認めており、たまには私と一緒に学法することもあります。しかし、修煉に入ってきたわけでもないため、修煉者としての基準と要求を十分に理解していません。
妻はよくスマホでTikTokを見たり、テレビを見たりしていたので、私も時々一緒に見てしまいます。その後、あるバラエティ番組に夢中になり、定期的に見ていました。そのため、たくさんの時間を無駄にしてしまい、煉功を最後にして、毎日の就寝時間は0時頃になります。そして朝は起きられず、たまに起きたとしても30分しか煉功できず、残りを夜にすることにしていました。また、学法を重視していなかったため、次第に法から離れてしまい、高い次元の法が分からないため、自分を修めることができないという悪循環でした。
妻は子どもが欲しくて妊娠を急いでいました。私は急いではいませんが、協力することにしました。妻には変化が見られませんでしたが、私の色欲心が次第に強くなってきました。自分の言動がすでに大法から外れていることに気づきませんでした。
実際のところ、大法弟子のすべては按排されていて、師父はすでに私たちの修煉の道を用意してくださいました。修煉者として、どんな事にも執着してはいけません。色欲心に対して、私は最初の抵抗から最後の放埓(ほうらつ)まで、今考えると、とても恥ずかしく思います。
色欲心は旧勢力が最も重視しているもので、これを手柄にして私に害を与えようとしているのかもしれません。
師父は「常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えることに向かっていくための至難の関なのです。真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です」[1] と説かれました。
結婚して1年余り、私は常人に合わせ色欲心を放任し、修煉者の基準で自分を律することができず、修煉の厳粛さを認識していませんでした。
三、情を取り除くべき
新しい家に3カ月間住んでいた時、私は常人の家庭生活に執着するようになりました。買い物をしたり、料理をしたり、インターネットでいろいろな調理方法を習ったりして、時間を無駄にしました。妻は時々学法と煉功をするので根基の良い人だと思い、その分、愛情もさらに深くなり、私は家庭や妻への情がますます強くなりました。
大法弟子はみんな人を救うことに忙しいのに、私はまだ家庭生活を満喫しています。今回の火事で、初めて水火(訳注:洪水や火事)の災いは非情であることが分かりました。自分の情が重いために魔難を招いたことに気づきました。
私の母も法輪大法を修煉しており、大法の紹介や迫害についての真実を人々に伝えています。私は今まで積極的に母に協力し、比較的しっかり修煉してきました。ここ数年私は家を購入し、改装を行い、結婚もできて、すべて順調でした。これらの福は師父から授けられたものです。しかし結婚した後、私は精進せず、人を救うことも積極的に行わず、色欲心が膨張したため、邪悪に隙に乗じられ、一瞬にしてこのすべてが燃やされ、命まで奪われそうになりました。ここに至って、私は修煉の厳粛さと世の中の無常さを感じました。一人の修煉者にとって、歩んだ道が正しくなければ、命に関わることになります。
これからは人一倍努力して修煉し、人を救うことこそ、師父のご恩に報いることができ、自分がこの世に来た時の約束を果たすことができ、師父に従い、圓満成就して真の故郷に帰ることができます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」