【欧洲法会】内を探して魔難を突破し 大法の奇跡を見る
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文/ヨーロッパの大法弟子

 【明慧日本2022年11月4日】同修の皆さん、こんにちは。神韻の宣伝期間中に私が直面した最大の試練について交流させていただきたいと思います。

 2021年10月末に私は初めてパレルモに神韻の宣伝に訪れました。その時に母が全身に強烈な痛みを感じ始めました。これは過去にも起こったことがあり、神韻の宣伝期間中に母は身体に違和感を感じていました。

 初めて起こったのは2018年でした。母は家で意識がもうろうとし、検査の結果、髄膜腫が発覚し、緊急手術が必要でした。これは私が神韻の宣伝を中止し、手術後の母の世話をするしかないことを意味する長くて複雑な過程でした。それからの数カ月間かけて、自己を省みたところ、自分が母の健康に対して執着していたため、母の身体に重病の症状が出たことに気付きました。旧勢力はすべてを利用して私たちの心を揺さぶり、人を救うことを阻害すると認識しました。心が穏やかでなければ、私たちを束縛するあらゆる状況が頻繁に起こります。

 続いて2019年、やはり神韻宣伝の過程で、母は心臓病を患いましたが、今回私はすぐに警戒しました。私はまず母と一緒に救急処置室に行き、一晩中発正念をして、心配する全ての考えを取り除きました。早くも次の日に母は退院し、1カ月後に除細動(不整脈に対する治療の一つ)を行う予約を入れました。母の心臓の各データは正常値に戻り、私は神韻宣伝を続けました。

 この体験のおかげで、2021年10月に母が身体に違和感を感じても私は心配しなくなり、パレルモから帰ろうという考えが頭に浮かんだことはありませんでした。心から母を思い、よく電話を掛けました。

 パレルモに2カ月滞在し、クリスマスを過ごすために家に帰った時には、母は大量のコルチゾン治療のおかげでだいぶ落ち着いて、微かな痛みを感じていましたが、完全にセルフケアできる状態でした。当時の初診では第3回目ワクチン接種による心筋炎でした。

 しかし、母と兄との対話から、彼らは私の行為に非常に不満があることがわかりました。彼らから見れば私は利己的で身勝手で無関心であると、そう感じたのは私が困っている家族を「見捨てた」からでした。

 不思議なことに、自分は家族を見捨てるなど考えてもいなかったので、彼らにそのように思われて申し訳ないと初めて冷静に伝えることができました。逆に私がパレルモで行ったチャリティー活動の受益者には私の親族もいると伝えました。

 私は再び、神韻は邪悪な共産党がもたらした危険を人々に伝えることで、全人類が直面する悲劇を避けられることを説明しました。また、災難を逃れられるよう最初に伝えたいのは自分と最も親しい人たちであるとも伝えました。

 私が神韻公演のチケットを兄と彼の家族にプレゼントすると、彼らは喜んで受け入れました。

 それゆえ、私が今年1月中旬にパレルモに行ったとき、状況は非常に安定し、家族との雰囲気も和やかでしたが、4月中旬に帰ったとき、事態はまた急変し、母は再度身体中にひどい痛みを感じ、しかも以前よりも強い痛みでした。1週間のうちに3回も救急処置室に入り、検査では血液がんか骨がんの末期症状も現れました。

 私は家に帰って母の世話をしました。これは非常に重い負担であり、一方では神韻の宣伝はラストスパートに差し掛かっていました。

 家を離れる2日前、母はモルヒネを過剰摂取しました。私は母がベッドに倒れているのを発見しましたが、その様子は見るに堪えませんでした。父は何も気づいておらず、母がついに苦痛がなくなって安らかに寝ていると思っていたそうです。

 私はあわてて母を救急処置室に運び、次の日に家に連れ帰りました。車いすの上で衰弱して完全に自立できない母を見て、心配と同情を抑えるのは簡単なことではありませんでした。しかし、このような感情に邪魔されまいと決心しました。私に対する衆生の信頼を裏切ってはならず、これは母にとってもメリットがあると確信していました。

 母がベッドで横たわっているとき、私は彼女と交流し、次の日にはパレルモに行くけれど決して彼女からは離れないことを、なるべく彼女が理解できる方法で伝えました。私たちはすべてを手配し、女性のヘルパーが来て掃除してくれるので何かあったときは彼女に手伝ってもらうよう伝えました。母は敬虔なカトリックの信者だったので、神韻の宣伝は私にとって最も神聖なことであり、修道院に行って祈祷するのと同じくらい神聖で、私の祈りはすべての愛する人を含み、私の心は彼女とともにあることを伝えました。

 私は今までにないくらい優しく母と話しました。母は返事をしませんでした。私は彼女にキスをして離れました。

 翌日の午後一時頃、私は汽車でパレルモに行く予定でした。30分前部屋の上の階に住んでいた、私の友でもある借家人が泣きながら階段を下りてきました。彼女は妊娠4カ月目でつわりがあり、強烈な子宮収縮を伴っていました。彼女は子供を失うことを怖がり、どう対処したらいいか分かりませんでした。

 しかし、私はまだやるべきことがあったので、夫が代わりに彼女を穏やかに慰めました。夫は彼女の産婦人科医に電話しました。すると医者は翌日の朝、近くの病院で検査すればよいと答えました。私は彼女と数分しか一緒にいられなかったので、心配せずにゆっくり休んで翌日に検査してもらうように伝えました。私は彼女に暖かいものを飲ませ、今は行かなければならないから後で電話すると言いました。

 夫は私に付き添って汽車のところまで来ましたが、再び腹を立てました。私が今のように困っている人を無視するのは良い人ではないと指摘しました。彼の話は私の心を打ちました。私はパレルモに戻りましたが、ずっと何が正しいことなのかと考えていました。私の頭の中で一つの声が響きました。「私たちは人を救っていると言っている。しかし、彼らは明らかに困っていて、さらに生命の危険すらあるのに、私は周りの人を救うために何もやっていない。これは間違っている」

 私は頑張って内に向かって深いところまで探し、夫の話に心が動じたものの中には、名利や自分に対する他人の見方を気にするという極めて大きな執着があることに気付きました。

 その時、師父がおっしゃった言葉を思い出しました。「一人の人間として、宇宙の真・善・忍の特性に順応できる人だけが本当に良い人で、この特性に背そむく人が、本当に悪い人です。職場で、あるいは社会で評判が悪くても本当に悪い人とは限らず、逆に評判が良くても、必ずしも本当に良い人とは限りません。一人の修煉者として、あなたがこの特性に同化すれば、得道した者となるのです。理はこんなにも簡単です」[1]

 「肉親や親友が苦痛に見舞われた時、心が動じるかどうか、そういう時にいかに対処するのかなど、まさにこういうところが難しいのです。煉功者となることはこんなにも難しいものです! ある人はわたしに『先生、常人の中で良い人になればそれで十分でしょう。いったい誰が修煉して本当に成就できるのですか?』と言いました。これを聞いてわたしは本当に悲しくなりました! 彼には何も言いませんでした。どんな心性もありうるので、彼なりに悟れるだけ悟れば、それでもよしとしなければなりません。悟る者が得るのです」[1]

 私はやっと分かりました。今まで発生したすべてのことは私にとって一つの試練に過ぎません。それは旧勢力がそこに、私の心が動じるかどうか、私を打ち倒せるかどうかを見るためでした。私は再び感じましたが、法を正す時期の大法弟子として、私たちがやっていることは最も神聖なことで、蒼窮の更新を含めたすべてのすべてがその中に含まれています。師父が縁のある人を私たちに近づくように段取りされないはずがあるでしょうか? 私の理解では、信じるということは師父の段取りされた道に従って歩むことを意味し、私たちが執着を放棄してこそ旧勢力を怖がらないことができます。

 真剣に考えると、今年私が救うべき人は自分の周りの人、夫と弟の家族でした。私は彼らに神韻のチケットをプレゼントしましたが、私に最も多くのトラブルをもたらしたのは彼らで、私がもっとも心配したのは彼らの無知な評価でした。

 これらのことを深く理解してから、私は心の中の執着を放下して、神韻の宣伝を続けました。そして毎日家族の人に電話をかけて彼らの生活を気にかけました。

 数週間後、兄は電話で母が癌を患っていると言いました。医者がかなり大きな黒の腫瘍を見つけたと言いました。家族が腫瘍の専門医と相談したら、まずは生検をして、後でより多くの検査をすべきだと言われたそうです。

 私は少しも信じませんでした。この虚像は私にとって何の意味もありませんでした。私はもう全てを放下したからです。母が癌を患う可能性があったでしょうか? 私は兄弟にしばらく待ってから結論を出すべきだと伝えました。私は母にも同じ話をしました。検査の数週前に私は母に自信を持つようにと伝え、事実は表に現れたものとは異なる可能性があるので、癌だと過度に心配すべきではなく、もしかしたらそれほどひどくないかもしれないと言い聞かせました。

 その後、母は検査で次々と陰性の判定が出て、最終的にその黒い腫瘍はただの深刻な炎症あるいは3回目のワクチン接種による副作用の可能性があると判定されました。それからの数週間で母は体重が増え、鎮痛剤は飲んでいるものの自分で生活ができるようになりました。

 これらの全ては私にとっては確かに大法によって作られた奇跡に違いありません。さらに不思議なのは、母がもう私を非難しないばかりか以前にはなかった優しさで私を扱うことで、夫と弟も同様でした。

 私がこの体験を皆と共有するのは、これが同修の助けになると思っているからです。修煉過程では、特に神韻を宣伝する過程では常に似たような状況に遭遇しました。もし法に則っていないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。ご清聴ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (2022年9月ヨーロッパ法会 発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/20/449772.html)
 
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