湖南省の廖松林さんは 10年間に3回迫害された末に死亡
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 【明慧日本2022年11月6日】湖南省郴州市の法輪功学習者・廖松林さんは、かつて3回、それぞれ懲役4年、3年、2年の不当な判決を宣告されたことがある。2021年7月13日、出所してから健康状態が悪く、2022年10月14日に死亡した。享年81歳。廖さんが亡くなった後も、郴州北湖コミュニティの関係者は、廖さんの遺骨がどこにあるのかを確かめるために、嫌がらせをした。

 廖さんの職場は廖さんが法輪功を学んでいるとの理由で、年金の支給を停止した。廖さんは起訴され、裁判が開かれ、職場は毎月803元(約16000円)を支給すると約束したが、廖さんが亡くなるまで、まったく貰えなかった。

 1941年10月16日生まれの廖さんは、郴州市軍人接待所の定年退職者である。1994年に法輪功を学び始めた廖さんは、患っていた精神神経症、前立腺炎、30年以上の胃病も完治した。廖さんは法輪功の教えである「真・善・忍」に従い、何度も無償で職場の水道や電気の設備を修理した。

 しかし、1999年7.20以降、廖さんは穏やかな日々を送れなくなった。2001年、廖さんは洗脳班に連行されて拘禁された。2002年8月に身柄を拘束されて、郴州市留置場に拘禁され、2003年9月6日、市北湖区裁判所に懲役3年の実刑判決を宣告されて、湖南常德津市刑務所に拘禁された。2008年、再び懲役4年の不当な判決を言い渡され、常德津市刑務所で迫害された。

 廖さんの息子・廖志軍さんは、1999年~2000年まで身柄を拘束されて2回拘禁され、罰金6000元(約12万円)を科された。その後、職場に1年間軟禁された。2001年3月5日、2年の労働教養処分を受け、湖南長沙新開舗労働教養所に拘禁された。2004年、郴州市で再び労働教養処分を科され、2008年に懲役3年6カ月の不当な判決を宣告された。2013年4月18日午後、会社に出勤の際、身柄を拘束され、懲役4年の実刑判決を言い渡された。2017年5月、再び連行され、懲役4年の判決を宣告され、さまざまな迫害を受けた。

 2018年7月19日の朝8時過ぎ、郴州市北湖区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関、以下、国保)の劉勁松をはじめ警官十数人は何の合法的な手続き、証明書もないまま、当時77歳だった廖松林さんを不当に連行した。その後、警官5人は廖松林さんの家に侵入し、法輪功の関連書籍、現金9000元以上(20万円以上)の私物を押収した。その後、廖松林さんは市留置場に拘禁され、その期間、高血圧、冠状動脈症、軽い脳梗塞、肺結核などと診断された。その結果、廖さんは198病院に移送されて拘禁された。

 7月22日、廖さんの妻・孟慶蓮さんは国保の劉勁松のところを訪ね、善意を持って法輪功学習者に優しく接することで良い報いがあることを伝えた。しかし、劉は孟さんに逮捕通知書を渡し、廖さんに対して法律実施を破壊したという罪に陥れた。8月29日、孟さんは北湖区公安局、検察庁などに『控訴状』を提出したが、相手にされなかった。

 9月6日、孟さんは廖さんの逮捕状が発付されたことを知らされた。その後、北湖区検察庁の控訴課に行き、合理の要求を求めたが、拒否された。9月13日、孟さんは再び検察庁を訪ね、廖さんの状況を聞いたが、案件はすでに裁判所に出したと言われた。しかし、それまで廖さん本人と家族には何も知らされなかった。

 2018年9月27日、郴州市北湖区裁判所は198病院の会議室で廖さんに対して裁判を開廷した。廖さんは自ら無罪弁護をしようとしたが、わずか二言で止められた。

 開廷の前、廖さんと家族は開廷についての情報を一切知らされなかった。孟さんは裁判所を訪ね、廖さんの状況を確認した時、初めて翌日に開廷されることを告げられた。

 開廷当日は、パトカー2台、車十数台、警官と私服警官40人以上、政法委員会(治安・司法などを統括する機関)、市の610弁公室北湖区国保などの関係者が出動し、傍聴に行った法輪功学習者の入場を断った。さらに、携帯電話で無理やり学習者の写真を撮った。最後、孟さんだけが傍聴できた。孟さんの話によると、廖さんは手枷と足枷をかけられていたという

 廖さんは再び懲役3年の不当な判決を宣告され、2018年12月20日に湖南省網嶺刑務所に拘禁され、当時、息子もこの刑務所に拘禁された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/29/451259.html)
 
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