神韻プロジェクトに参加する過程で、執着を取り除く
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文/オーストラリアの大法弟子

 【明慧日本2022年11月9日】

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 中共ウイルスの影響で、神韻は4年も私の在住地で公演していませんでした。 今年は幸いにも神韻公演のための劇場を予約でき、5回の公演を上演できました。私は主に神韻のプロモーションや神韻の取材や報道をするプロジェクトに携わりましたが、その過程でさまざまな執着が見え、自分の小さな一念も重要だと悟りました。それをもって、師父に報告させていただき、同修の皆さんと交流させていただきたいと思います。

 一、嫉妬心を修め取り除く

 私の嫉妬心は比較的強く、周りの同修も何度も指摘してくれました。嫉妬心を捨てなければならないことは分かっていますが、問題に遭うと自分をコントロールできず、嫉妬心で心身共に極度に疲れてしまいました。

 私はかつて、地元の同年代の女性同修に大変な嫌悪感を抱いたことがあります。彼女は英語がとても上手で、ある会社の管理職です。他のプロジェクトでも一緒に仕事をしたことがありますが、彼女はしばしば私の意見に反対したため、だんだん、彼女に恨みを持つようになりました。彼女と一緒に何かをしたいと思わず、話をしたいとも思わず、会うと不愉快になっていました。

 2022年、神韻が地元で公演することになった時、私は現地の新唐人ニュースに携わっているため、オーストラリア大紀元の責任者から私に、今回の神韻の取材をしてほしいという連絡がありました。聞いた瞬間、とても嬉しかったのですが、同時に不安もありました。今まで神韻の取材は他都市の記者同修が取材して編集し、アップロードしてくれていたので、こんな重要な仕事を引き受けたのは初めてだからです。そして、オーストラリア大紀元の責任者からは、「取材に協力してくれる地元の同修を何人か探さないといけない」と言われました。

 現地で取材するには、英語力などへの要求が高くなるため、語力レベルが普通の同修はこの仕事には向いていないことが分かっています。一番適任なのは、私がとても嫉妬しているその女性同修だけです。つまり、今回の神韻の取材を、彼女と一緒にやらなければならなくなったのです。悩んだ末に 一方で、神韻の取材はとても厳粛なもので、自分自身の執着で何か問題を起こしていけないと思っていました。しかしその一方で、嫉妬心が絶えず私を妨害し、頭の中から悪い思想が浮かび上がり続けていたのです。

 ある時、神韻のプロジェクトに携わっている主要メンバーが集まり、もちろん、その女性同修も参加していました。彼女は、記者として観客をインタビューし、取材や報道に参加したいとの意向を示しました。また彼女は、神韻の听打(翻訳者注:「听打」の意味は不明)にも参加した経験があると言いました。その時、私の嫉妬心は自分の心臓の鼓動を感じるほど強かったのです。これまで、私は現地の新唐人記者としてやってきており、神韻の取材をするために、オーストラリアのメディア関係の同修は皆、厳しいテストを受けました。一方、彼女は記者としての経験がなく、テストも受けたことがありません。神韻の文字起こし能力と英語力だけで、私を追い出して自分が記者になろうとしていました。私は既にオーストラリア大紀元の責任者から、記者として指名されていたのです。

 その嫉妬心への執着により、会議中は長い間、会議の内容に集中できず、頭にはこのようなネガティブな考えと怒りでいっぱいになっていました。会議で彼女に、私が神韻の取材をする記者であると説明をしてくれた同修がいたのですが、その同修はもっと厳しい言葉でその女性同修を叱責すべきだと思ったのです。会議が終わった後でも、私は怒りが収まらず、他の同修にその女性同修の悪口を言ってしまいました。そしてまた、彼女と一緒に仕事をするのは無理だと思いました。

 数日後、大紀元の責任者から再び電話があり、「一つのチームを立ち上げ、チームメンバーにインタビューする人を探してもらいましょう」と言われたため、この問題は、どうしても回避できないと思いました。ですから、その時は、「その女性同修に聞いてみます、もし彼女がやりたくないと言ったら、一緒に仕事をしない言い訳ができる」と心の中で思っていました。

 それで、その女性同修にメールをして聞いてみたら、「取材の対応は無理だ、警備の仕事に対応しなければならない、以前も神韻の公演でうまく警備の仕事をしたので、警備の仕事もとても重要だ」と言いました。それを聞いて、また嫉妬し始め、「あなたは何をやってもうまい、あなたがいないと地球が回らない才能があるね 」と思い、胸焼けになったと感じました。

 その時の自分の状態が悪いと分かっていましたが、正念が足りず、この嫉妬心を取り除くことができませんでした。同修と交流して、落ち着いて学法しようと勧められました。

 『轉法輪』で「嫉妬」についての師父の教えを学ぶことにより、私がその女性同修に嫉妬するのは、彼女の方が私より能力が高いと思い、そのことが嫌だったのだと気づきました。ですから、その女性同修が私の前で才能を見せたとき、私は彼女に嫉妬してしまったのです。

 同修と交流した時、「師父が段取りしてくださったこの機会を利用して、本当に嫉妬心を捨てなければならない」と真剣に言われました。

 数日後、大紀元の責任者から再び、「チームを立ち上げ、インタビューする人を見つけてほしい」という話があった時、実はその女性同修が神韻の取材チームに来るのを渋っていたのは、私の嫉妬に押されているからだとわかっていました。同修は皆彼女の才能を知っていて、取材チームに加入してくれないかと尋ねた時の私の心が純粋でないことを知っていたのでないでしょうか。その女性同修も感じ取っていたのでしょう。そして、今さらながら、この女性同修の悪口を言っているのは私だけで、彼女は私に何の悪さもしていないのです。

 それに気づいたので、今回は必ずその女性同修を取材チームに加入してもらうように説得しようと決心しました。嫉妬なんかいりません。同修と一緒になって衆生を救いたいのです。

 その後、シドニーで神韻公演が行われた際に、メディアチームのメンバーがどのように協力しているかを学びに行きました。そこで、隙のない協力をすることの重要性を強く意識するようになりました。

 そして、またその女性同修にメールしました。今度は自分の心が純粋になり、彼女への嫉妬にとらわれることなく、自分の執着を取り除いて、大法に基づいてこの問題を考えるようになったのです。

 思った通り、今回はその女性同修は快諾してくれましたし、一緒にチーム立ち上げの準備から積極的に参加すると同時に、たくさんのアドバイスもいただきました。

 その女性同修は普段、わりと孤高の人ですが、今回の神韻の取材では、彼女はその執着心を突破し、率先して観客に声をかけ、時には断られても、諦めずに笑顔で他の観客を探し続けていました。取材に応じてくれる観客を見つけると、カメラの前に案内し、子供のように嬉しそうに微笑んでいました。インタビューの内容が報道された後、その女性同修は私に心から感謝し、素晴らしい記事を書いたと言ってくれました。これらの言動を見たとき、私はとても感動し、その女性同修がとても素敵な人だと感じました。

 もちろん、取材の過程では、他の同修の協力があったからこそ、私たちの地元での取材がとてもうまくいきました。ニュース記事は全部で4本、そのうち2本はソロで作りました。私たちの報道数は、地元の都市の規模よりもはるかに大きい都市と同じ数だったのです。これは師父の励ましでもあり、師父は同修が一つになったとき、どれほどの力があるかを教えてくださったのだと思います。

 師父は、「皆さんは共通の願いのためにこのプロジェクトに参加しましたが、それぞれ自分の意見にこだわり、それぞれ自分の意思に従って行なっているのであれば、どのように協調を取るのでしょうか? この五本の指は全部伸ばしたいのなら、こぶしになれず、打つことができず、(笑)力がないのです。ですから、協調をとるべきです」[1]と言われました。

 その女性同修が自分を放下し、取材チームで全面的に協力してくれたからこそ、私たちのインタビューが成功したと感じました。その点に一番感動し、これによって、その女性同修に対する嫉妬心を完全に取り除いたのです。

 師父は、「この嫉妬心はくれぐれも取り除いていください。嫉妬心はなかなか恐ろしいのです。嫉妬心はあなたの全ての修煉を緩めてしまい、あなたを台無しにしてしまうのです。嫉妬心があってはいけません」[2]と説かれています。

 その女性同修への嫉妬心を取り除かせるために、この機会を段取りしてくださった師父に感謝いたします。それ以降、その女性同修と会って、何を言われても、何を反対されても、前ほど怒らなくなったのです。その女性同修はいつも可愛らしい人だと感じるようになりました。私は自分に、「同修は最も大切だ。私たちは大法のために集まっており、良くない執着心を修めて取り除き、衆生を救い済度するために集まっているので、争う意味があるだろうか」と言いました。

 二、差別心を修めて取り除く

 当初、神韻の宣伝ポイントは、身なりの良い通行人にだけチラシを渡し、これらの人たちにだけ神韻を紹介したいと思ったのです。

 同修から私の問題点を指摘されても、屁理屈をいってはぐらかしていました。この状態が間違っているのはよく知っています、しかも神韻を普及させる最初の数年間から、この差別心が既に現れてきています。今年も、この差別心がまた出てきて私を妨害しており、神韻プロモーションの質にも影響を及ぼしました。

 神韻プロモーションの現場で、ある同修と協力し一緒に仕事をしたことがあります。その同修は、あまりお金を持っていなさそうな人も含め、誰に対しても細かく話をしていることに気づきました。私はその同修に、「これらの人たちは、チケットを買う余裕がないようなので、これらの人に説明する時間があるなら、もっとチケットを売ったほうがいい 」と言ったのです。その同修は厳粛に、「師父は、人を救うときに差別心を持ってはいけない、と諭された」と言ってくれました。

 その後、私は普段着の人にも神韻を紹介するようになり、チケットを売ることだけが目的だと思わなくなったのです。また、明慧ネットでは、神韻のチラシを受け取った衆生や、神韻の紹介を聞いた衆生でも福報をもらえる、というような交流が多く掲載されています。それは師父の洪大なる慈悲であり、チケットを買える人だけを救うのではないと思っています。

 ある時、1人の50代の男性がごく一般的な服装で、悲しげな顔をして、生活がうまくいっていないように見えました。私は少し迷いましたが、「神韻の紹介を少しでも聞いてくれればいい」と思いながら、チラシを渡しました。そこで、私はその男性に話し始めルト、彼は、「仕事もなく、金もなく、チケットは買えない」と言いました。私は、「大丈夫ですよ。このチラシを持ち帰って読んで、友人や家族に紹介してもいいし、ここでプロモーションビデオを見て頂いてもいいですよ。神韻公演はきれいで、天国からのショーです」と言いました。

 すると、その男性がテレビの前に来て、プロモーションビデオを長時間に見ていました。見てもらっている時に、他の人に神韻を紹介しに行ったりしていましたので、その男性のことを特に気にしていませんでした。他の人に神韻を紹介し終えて振り返ると、その男性がまだプロモーションビデオを見ています。「お好きですか?」とその男性に聞くと、「好きです、美しい、こんな美しいショーは見たことがない。チケットはいくらですか?」と聞いてくれました。

 まさかチケットの値段を聞かれるとは思っていなかったので、びっくりしました。そこで、その男性に、「少し高いですよ、神韻は世界一流のショーですから、安くはありません」と言ったのですが、「チケットの値段を聞いているのだ!」 と、その男性が不満な顔になりました。私はすぐに一番安いチケットの値段を告げましたが、「その値段の席はどの辺にあるのか」と聞かれました。

 私は、座席表で一番安い席を案内しましたが、その男性は、一番前の良い席を指しながら、「この辺の席のチケットはいくらですか?」と聞いてきたのです。そして、いくらなのかを伝えたのちに、その男性は、「この真ん中の席のチケットをください」と言いました。私はその男性を見つめ、自分の耳を疑うほど不思議に思いながら、「かしこまりました、この席の予約を承ります。きっと後悔なさいませんよ。このショーは天国からきたものですから……」と私が言っている途中に、その男性は、「知ってるよ、このショーは天国から来たのです」と言ったのです。チケット購入後、その男性がチケット売り場から去って行ったのですが、そのよろけた足どりの背中を見て、本当に感動すると同時に、どうして今まで自分がこんなふうに衆生を差別したのか。この差別心のせいで、今までどれだけの衆生を救うことに妨害したのか、と思いました。

 結語

 自分の執着を取り除き、衆生を救える神聖な神韻プロジェクトに参加する機会を与えてくださった師父に感謝いたします。師父、ありがとうございます。そして、私を助けてくれた同修の皆さんにも感謝します。

 以上は私自身の次元での交流です。法に背いた不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「新唐人テレビ討論会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十四』「大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法」

 (2022年オーストラリア法会 発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/21/450986.html)