【明慧日本2022年11月13日】(中国=明慧記者)明慧ネットが報道した情報によると、今年10月、中国の遼寧、広東、山東、河南、四川、河北、黒龍江、湖北、寧夏の九つの地域で、28人の法輪功学習者(以下、学習者)が中国共産党(以下、中共)の裁判所に不当な判決を言い渡された。このうち、遼寧省は迫害が最もひどく、8人の学習者に不当な判決を下した。次いで広東省は6人の学習者に不当な判決を下し、60歳以上の年配の学習者8人が不当な判決を受けた。法輪功は、真・善・忍の理念に基づいて実践する気功で心身共に健康になり、世界中の多くの人々から愛されている。
10月、実刑判決を受けた学習者の刑期とその人数
刑期 | 実刑判決を受けた学習者の人数 |
1~2年 | 2 |
2~3年 | 2 |
3~4年 | 11 |
4~5年 | 4 |
5~6年 | 1 |
6~7年 | 2 |
7~8年 | 1 |
10年 | 1 |
執行猶予 | 1 |
刑期不詳 | 3 |
合計 | 28 |
10月、実刑判決を受けた学習者の地域別人数
区域 | 実刑判決を受けた学習者の人数 |
遼寧省 | 8 |
広東省 | 7 |
山東省 | 4 |
河南省 | 3 |
四川省 | 2 |
河北省 | 1 |
黒龍江省 | 1 |
湖北省 | 1 |
寧夏 | 1 |
合計 | 28 |
情報収集データは2022年10月1日から2022年10月31日までのものであるが、前月までの発表されていない不当判決のデータも含まれる。明慧ネットが報じた情報によると、今年1月から10月までに、少なくとも554人の学習者が中共により不当な判決を受けた。
1~10月、実刑判決を宣告された学習者の月別人数 |
一、10月、28人の学習者に不当な判決
迫害の実例
1、真・善・忍を守る瀋陽市の董怡然さんに懲役3年の判決
瀋陽市皇姑区に在住の学習者・董怡然さん(61)は、真・善・忍の信念を守り、法輪大法の素晴しさを人々に伝えたとして、2020年8月、瀋陽市于洪区裁判所から懲役3年の不当な判決を宣告され、現在、瀋陽第二刑務所に拘禁されている。刑務所は、家族との面会や小遣いと荷物の受け取りを禁止している。
董さんは瀋陽公安局刑事警察支隊技術課の技師であった。1994年3月、北京に出張した際に『法輪功』という書籍を購入し、その後、李洪志先生の法輪大法講習会に3回参加した。それ以来、董さんは正式に法輪功を学び始めた。
中共による法輪功への迫害が始まって以来、董さんは何度も迫害を受け、公職を解雇され、2回にわたって計4年6カ月の労働教養を強いられ、一度懲役3年の実刑判決を言い渡された。2004年1月20日の夕方、董さんは遼寧省司法幹部管理学院の社宅で法輪功の資料を配布していたところ、不当に連行され怒江派出所に拘束された。派出所で、董さんは両手と両足を手錠で椅子に固定された後、怒江派出所の所長・宋鉄軍は、足で董さんの胸を蹴ったり、董さんの襟元を引っ張りながら冷水を次から次へと、5、6回首筋に注いだ。当時、ちょうど真冬で、董さんのダウンジャケットから、下着、靴、靴下まで全身ずぶ濡れになった。暴力を振るわれた董さんは、顔の半分が青くなり、目がうっ血し、顔が腫れ上がった。宋鉄軍はさらに窓を開け、扇風機を持ってきて冷たい風を当てた。董さんは夕方から翌朝まで、濡れた服にくるまって長い闇夜に苦しんだ。
張士労働教養所で、董さんは鼻からチューブを挿入され、灌食された。所長は董さんが自分に迷惑をかけたと言って、チューブを抜いては挿入し、何回も董さんを苦しめた。
2010年、董さんは瀋陽市大東裁判所に懲役3年の実刑判決を宣告された。盤錦刑務所5大隊で、教育課長・胡暁東は何度も董さんを呼び出し、法輪功を放棄するように説得した。5月のある日、董さんは作業場から教育課に呼び出され、胡暁東に「転向」するよう要求されたが、董さんは拒否した。そして、また副隊長の執務室に連れて行かれた。副隊長は董さんに法輪功に対する態度を聞いた後、董さんを拷問室に連れて行った。彼らは董さんの両手と両足を手錠で壁の四つの鉄の輪に固定し、4本の電気棒で同時に電気ショックを与えた。それから、彼らは拳で董さんの肋骨を擦ったり、プラスチック定規で董さんの内股を叩いたりしたため、みるみるうちに董さんの太股が腫れてきた。 前日の夕方から翌朝まで、警官らが交代して董さんの肋骨、脇の下、首、胸部、大腿部に電気ショックを与え、電気棒の電気が切れるたびに充電して拷問を続けた。
2012年5月8日、董さんは遼寧省本渓市の渓湖刑務所に移送され、毎日14~15時間の服作りの労働を強制された。2013年2月26日、董さんは刑務所から釈放され、自宅に戻った。
2022年7月18日、米国ロサンゼルス在住の董さんの姉・董欣華さんは、ロサンゼルスの中国領事館前の集会で、「私の兄は迫害されて亡くなりました。他の身内も次々と洗脳班に連行され、脅迫と圧力の下で、苦痛の中、母は早く亡くなりました。弟の董怡然は7年6カ月の労働教養と刑務所生活に耐え、たくましい中年から白髪だらけの痩せた老人になってしまいました」と弟の董さんの釈放を求めた。
(続く)