中国法会|小さな花が肥沃な土地に根を張る(一)
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2022年11月19日】私は、自分のわずかなマイナス思考と感情が大法の実証に影響を与えることをよくわかっています。このような状態で作った資料が人々を救う役割を果たすことができるのでしょうか? 私のところは源であり、厳しく自分を律しなければなりません。

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1997年に法輪大法の修煉を始めて25年になります。師父の慈悲なるご加護の下で、そして同修たちの助けの下で、私の心性は一歩一歩向上し、常人の観念はますます少なくなりました。特に十数年の資料拠点を展開する中で、私は自分に存在する悪い物質をたくさん取り除くことができ、悟ったことも得た収穫も大きいのです。

 第19回中国本土大法弟子修煉体験交流会に際して、私の心得を書き出させていただきます。法に符合していないところがあれば、ご指摘をお願いします。

 一、恐れる心を捨て、小さな花が咲く

 私の家族は3人とも修煉しています。以前、私たちは主に同修が提供した真相資料を配布していました。当時、私たちの地域には大法の真実を伝える資料を作る拠点が少なく、迫害を逃れて避難して来た1人の同修が借家で資料を作っていました。多くの同修はみな彼1人に頼っていました。人手は少ないのに、需要は大きかったのです。同修が苦労して資料を私に届けてくれるたびに、私はとても大切にし、チラシでも、小冊子でも、CDでも、私は必ず真剣に見てから、丁寧に包装して配布しました。

 時々、小冊子の印刷がきれいにできていない箇所があるのを見つけ、それを回収しました。時間が長くなると、このような小冊子がたくさん貯まりました。「きっと同修が忙しくて、チェックする時間がなかったのだ」と思いました。そこで私は、自分で真相資料を作り、同修の負担を減らそうという思いが芽生えました。私は自分の考えを周りの同修に話したところ、多くの同修は賛成してくれ、特に資料を作る同修はとても支持してくれました。彼女の助けの下で、私は家にあったわずかな数千元を出し、彼女と同修である娘にプリンターと消耗品を買ってもらいました。2009年の年末に、我が家の資料拠点に、小さな花が咲きました。

 当時私は法の勉強が浅く、正念も強くありませんでした。邪悪な迫害で、資料拠点が破壊されたことをよく聞かされるため、恐れる心がしばしば出てきます。ある夜、夢の中で、法輪功迫害組織の「610弁公室」の人から電話があり、「明日の午後に見に行くから家で待っていて」と言われました。

 翌日、朝起きてから不安でしようがなく、同修の誰に会っても発正念をしてくれるよう頼みました。昼になっても心が落ち着きませんでした。私は夫に「資料の作成はやめるべきか? もしやっている最中に警察が来たらどうするか?」と相談しました。夫は修煉の時間がまだ短いため、私の話を聞いてやはり緊張していました。「しばらくプリンターを隠して置こう」と言って、移動し始めました。その瞬間、私は何かを失ったように感じ、夫を止めました。「今日は金曜日で、『明慧週刊』を配達する日です。同修たちは皆待っています」と言いました。しかし、不安はまだあったので、座って発正念をしました。午後4時近くなりましたが、印刷する気がなくなり、学法することにしました。

 私は新しく発表された師父の『大紀元会議での説法』を読みました。師父は「困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります。相は心から生じるという言葉にこの意味もあります。なぜなら、あなたはそのことを重く見ており、自分を見下したからです。それをたいしたことではないと思い、人を救うという大きなことなので、行なうべきことをして、心を落ち着かせ、気に障ること、気に入らないことにぶつかったり、聞いたりしても気にせずに、正々堂々と行なうべきことを行なえば良いのです。邪なものに妨害されず、それに動かされなければ、良くない要素は自分のところから生じることはなく、邪悪は微々たるものになり、皆さんは大きくなり、正念が強くなるのです。本当にいつもこの情況です」[1]と説かれました。

 私の心はすぐに晴れ、正念が生じてきました。すぐに資料を作り始めました。実は、自分を怖がらせていたに過ぎません。法だけが自分自身のすべての正しくない要素を解体できると分かりました。私はさっそく資料を作り始めました。

 もう一つの忘れられない出来事があります。数年前、私は非常にはっきりした夢を見ました。警官らが私の家に来て、私をドアの外に遮りました。ある警官は「彼女の小冊子に『天安門焼身自殺』の内容があるかどうかを見て、あるなら、捕まえてやる」と言いました。私は必死にドアを遮った結果、彼らは入ることができませんでした。

 翌日、娘に昨夜の夢を言うと、娘もある夢を見たと言いました。「夢の中で、資料を作成するパソコンの前に、4台の監視カメラがお母さんに向けられていて、お母さんはどうにもならない状態でした」と不安そうに言いました。この二つの夢は、私たちが何らかの危険に晒されていることを暗示しているに違いありません。

 今回私は以前のように慌てず、まず自分が何か間違っているところはないか、まだ何かの人心はないかを探しましたが、見つかりませんでした。私と娘は発正念をすることにしました。他の空間の邪悪な要素を取り除き、私たちの資料拠点を守るように、一日中発正念を続けました。恐れる要素がなくなり、空間場もきれいになりました。しかしその後、本当の試練がやってきました。

 ある日の午前、歩行者天国を歩いていたら、ちょうど一人の男性が私に道を尋ねたので教えました。その時、私はその人に大法の真実を伝えようと思いました。私は「三退をしましたか?」と聞きました。三退とは、中共の党、団、隊の組織から脱退することです。すると、男性はすぐに態度が豹変し、私に向かって「お前は法輪功だ。警察に通報するぞ!」と怒鳴りました。私は「そのようなことはやめた方がいいです。あなたのためです」と言いました。男性は電動自転車に乗って去り、私も歩いて離れましたが、振り返ると、その人はパトカーの警官に私の方向を指しながら何かを話していました。

 すぐにパトカーがやって来て、6、7人の警官は私を囲みました。強行に私のバッグを調べたところ、1冊の小冊子しかありませんでした。少し丈夫で若い警官がそれを隣の人に渡しました。彼は私を見ていたので、私も彼を直視しました。それほど悪い人ではないように感じました。その時、たくさんの人が集まってきました。その警官は部下に「1冊だけで、たいした問題ではない。行こう!」と言った後、彼らは去って行き、集まってきた人たちも去りました。

 私はその場に立って、頭が真っ白になり、恐れも憎しみもなく、ただ警官らに真実を伝えなかったことが少し残念でした。帰り道、ふと、この場面が起こる前に、慈悲なる師父が夢を通して私に示してくださったお陰で、私たちは正念を強め、他空間の邪悪な要素を取り除いたため、魔難は小さくなったことに気づきました。突然現れた危機の前で、私の心は動じませんでした。この状態が法に符合しているため、師父は魔難を消してくださいました。師父への感謝は言葉で表現できません。

 真相資料の作成を始めてから、私は師父の各地での説法を系統的に学びました。そして、2006年からは法を暗唱し続けてきました。しっかり学法することは自分を修める前提であり、心の中に法があってこそ、妨害に直面した時に正念が生じ、修煉の道をしっかり歩むことができるのです。

 2015年、法輪功迫害の元凶である江沢民を訴える時、江沢民グループが十数億人を騙して犯した凶悪な犯罪を訴えなければならないと思いました。私は迷うことなく、夫に自分の決意を伝えました。夫は資料拠点の安全を考えて「告訴には実名と本当の住所を書かなければならない。嫌がらせを恐れないか?」と心配しました。私は全く動じずに「これは江沢民を告訴することと何の関係がありますか?」と言いました。その時、私は多くの人心、生死という考えすら捨てました。

 告訴状を送ってから、地域の役場関係者や警官らが何度も来ましたが、夫は家に入らせませんでした。ある日、私はグループ学法を終え帰宅すると、ちょうど、夫が警察官を見送るところでした。私は笑顔で「お入りください。何かご用でもありますか?」と言いながら、彼らを空いた部屋に入らせました。1人の警官は「どうして江沢民を告訴しましたか?」と詰問しました。私は「政府から『案件があれば必ず立案し、告訴状があれば必ず受理する』と言っているではありませんか? 江沢民は数々の罪を犯しました。特に法輪功を弾圧し、良い人を迫害したため、今の社会はここまで乱れてしまいました。もっと早く告訴されるべきです」と述べました。

 警官らはさらに告訴状のことや私の住所と勤め先の情報を確認した後、私にサインを求めました。私は「サインすれば、あなたたちが良い人を迫害する証拠となりますので、あなたたちには良くないです。ですからサインしません!」と拒否しました。警官は「では、何を書いたらいいでしょうか? 『サイン拒否』と書きますか?」と聞くと、「そうです、それでいいです」と答えました。それから、かれらは二度と我が家に来たことはありません。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/10/451495.html)
 
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