怨恨心、嫉妬心がもたらした厄介なこと
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2022年11月20日】私は、幸運にも1999年7月20日以前に法を得た大法弟子ですが、つまずいたりして今日まで歩んできました。常に師父に見守られていなければ、ここまで歩むことができないことを実感しています。ここでは数日前に経験した病業の関について話したいと思います。

 先日、朝食後、友人(常人)が用事の途中に立ち寄りました。友人は私に会うと驚いた顔で「あなたの口はどうしたの?」と聞きました。当時、私の口の右側が何かによって引っ張られているように感じていましたが、自分では見えないので、「何でもないですよ」と答えました。数分間おしゃべりをした後、友人は「友達が待っているので、もう行かなくては」と言ったので、友人を見送りに出ると、私の口がすごく斜めになっているのを見たその友人の友達が、「口はどうしたの? 血圧が高いのでありませんか? 早く病院へ行った方がいいですよ」と心配そうに言いました。私は、「大丈夫です、すぐ治りますから」と言いました。

 友人が帰った後、夫が電話を取り、私を病院に連れて行くと言いながら、娘に電話をかけようとしました。私は「電話しなくていいです、私が悪くなるようにしたいの? 私には師父がおられ大法があるから、すぐに治ります!」と強く言いました。

 部屋に戻って鏡を見ると、口が右に曲がっていて、唇が短く感じられ、歯まで出ていることに驚きました。その時、自分の状態が良くないことに気づき、これは執着心によるものだと思いました。

 私は座って内に向けて探し、かなりの人心を見つけることができました。自分は小さい頃から内向的で、口数が少ないのですが、他人に言われたくないのです。大法を学んでから、自分を変えたいと思うようになりましたが、自分の骨の随まで形成された観念になかなか気づくことができず、取り除くことができませんでした。夫は気性が荒く、自分の思い通りにならないと大声で罵り、不愉快なことも何でも口にしてしまいます。夫に対して私はどうすることもできないと思いました。この仕方がない背後には、長年に積み重ねた多くの恨みや、強い闘争心と人に言われたくないなどの人心があったことに気づきませんでした。私は敬虔な気持ちで師父にお願いしました。「師父、自分は間違いました。何年も修煉しているのに、まだ多くの執着心があります。これからは、自分を正し、法の基準で自分の一つの考え、一つの念を量り、これらの良くない考えを取り除かなければなりません。師父、私は師父が按排して下さった道を歩みます。旧勢力の按排は一切認めません!」

 そして、私は師父の説法「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます」[1] を暗記し、発正念をして、すべての邪悪な妨害を取り除くように、師父にご加持をお願いしました。

 夕方、鏡を見ると、閉じた状態では口がすでに斜めではなくなりましたが、話すとまだ口角が上がっている状態でした。まだ見つかっていない執着心があるのだと思い、それから心を静めて探し続けました。半日ほど探したところで、私の悟性が悪いのを見られた師父は、「嫉妬心」を私の頭に浮かべさせて下さいました。なるほど、嫉妬心でした。

 そこである事を思い出しました。数カ月前、隣人が街で娘の子守をしていました。その人は同僚Aさんの息子と同じマンションでした。以前、Aさんと一緒に働いていたとき、Aさんは上司によく他人の悪口を言っていたので、私はAさんに対して悪い印象を持っていました。ある日、息子の家に行ったAさんは、隣人と世間話をしていたのですが、Aさんは自分の家族が店を経営して大儲けしていること、2人の息子に家を買ったこと、嫁が出産するときにお手伝いを雇ったことなどを自慢げに話していたそうです。隣人からその話を聞いた時、私は何も言わなかったのですが、心の中では少し違和感がありました。その後、その話をまた電話で別の同僚としゃべりしました。そのことは過ぎましたが、速やかに内に向けて探しませんでした。今日、師父からの啓発を受け、その違和感が嫉妬心だと分かりました。

 そこで『轉法輪』の嫉妬心の一節を読みました。師父は 「他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります」[2]と説かれました。「心のバランスがとれなくなります」というところを読んだとき、目に止まり、心の中では振動がありました。「あっ! 師父は私のことを言っておられるのだ!」と自分の心は悲しく、恥ずかしくなりました。毎日、法を勉強していますが、法を用いて自分と照り合わせておらず、着実に修煉していませんでした。また、口を修めることもできていなくて、常人と無駄話をしてしまいました。その時、常人と変わりないのではありませんか? これが真修の弟子といえるのでしょうか? だから、厄介なことを招いてしまいました。

 これらの執着心を見つけた私は、この教訓を汲み取り、今後は自分に厳しく要求し、しっかりと自分を修め、真の大法弟子になることを決意しました 翌朝、鏡を見てみると、口の曲がりはなくなり、すべてが元通りになりました! 師父に感謝いたします! 師父の慈悲なる救い済度に感謝いたします!

 この体験を書いたのは、大法の超常さを実証するため、そして、今後の修煉において、物事がうまくいかないときは必ず内に向けて探し、法に則って自分の一つの考え一つの念を量るよう自分に言い聞かせるためです。三つのことをしっかりと行い、歴史的使命を果たして、圓満して師父と一緒に帰ります!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/2/451354.html)
 
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