中国法会|小さな花が肥沃な土地に根を張る(二)
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 文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2022年11月21日】(前文に続く)

 二、 同修の需要を己の責任と見る 

 資料拠点が成立した初期から、私は安全の重要性に意識して、よほどのことでない限り、同修たちを家に招くことはありませんでした。そうすると、私が同修たちに資料を渡しに行く必要があります。最初の頃は真相資料が必要な同修は少なく、ほぼ近辺に住んでいるので、回り切ることができました。法を正す進展につれ、今まで出てきていなかった同修が大法の修煉に戻る人もいれば、他の資料拠点が迫害され、資料をもらえなくなった同修もいるため、協調人は私に多めに資料を印刷するよう頼むしかありませんでした。

 最初の頃は私の心性が高くないため、いつも仕事が多いと文句を言い、忙しさにイライラしました。急げば急ぐほど機械もうまくいかず、エラーが出るなど修理にも時間を費やしました。その時、私は内に向けて探し「これは絶対自分のどこかに問題がある。法を学び、心性を高め、心の問題を解決しなければならない」と思いました。

 師父の法は私を目覚めさせました。内に向けて探したら、何かが発生する度に、私の第一の念はほぼ人の念でした。「協調人が私に依頼したのはただの偶然なのか? 私が真相資料を作らなければ、同修たちは何をもって人を救うのか? 面倒がる心と、苦難を嫌がる心を捨て、すべて同修の需要から考えるべきではないか?」と思うようになりました。考えが変わると、機械の調子も良くなり、出来上がった資料の質もますます良くなり、種類も豊富になりました。努力を積み重ねて、同修たちの需要をほぼ満たすことができました。

 2007年のある日、私は夢の中で、同修だった以前の同僚が硬直な姿でベッドに横たわり、すぐにも息が絶えるかのように見えました。これは師父の知らせで、彼女が危ない状態であることを示していると思いました。私は苦労して彼女を探し、ようやく会いました。私が夢で見たことを彼女に話すと、彼女はとても驚きました。ここ数年、ずっと家庭の関にとらわれ、学法グループにも行けず、『明慧週刊』も見ることができていませんでした。「これからは私が必要な資料を提供します」と約束しました。

 当時、彼女がまだ働いていたので、私は彼女が仕事帰りの夜に、毎週駅で彼女と待ち合わせて資料を渡しました。私は携帯電話を持たないため、夏も冬も関わらずこの形で連絡を取っていました。時には、冬場の駅で30分以上待ち続けても彼女が来ないため、仕方なく電車で帰り、また次週に行きました。翌週に合うと、彼女が笑いながら「ごめん、先週仕事が終わってそのまま帰ってしまって、会うことも忘れてしまった!」と言ったこともよくありました。それでも私は一切文句を言わず、常に大法をもって彼女と交流しました。その後、彼女は電話で大法の真実を伝えるプロジェクトに参加しました。携帯電話と電話カードに問題がある度、私と娘が助けて解決しました。このようにして、1人の同修も修煉の道で遅れないように手伝いました。それから7、8年後、彼女は娘の育児を手伝いに遠くへ行きました。それ以来会っていません。

 この十数年間、小さな資料拠点と共に修煉の道を歩んできました。師父の法と同修の信頼、助けのもとで、私は順調に資料拠点を続けることができました。私は、ダウンロードや印刷、三退名簿のアップロード、それに同修の交流文章の録音、真相の手紙の印刷、手紙の送り先を書くなど、どんなことにも真剣に取り組みました。

 私の地域で交流文章を録音する同修は、毎週20人ほどいます。主に『明慧週刊』と法会の交流文章、修煉物語、『憶師恩』、青年弟子の交流文章、「九死に一生」物語、『100の中国家庭の話』などのダウンロードや録音です。同修が持ってきたメモリーに、師父の説法や煉功音楽が入っていた場合、私は消さないように注意を払います。また、メモリーを忘れた同修にも、空いているカードや新しいカードを用意して対応しています。

 中共ウイルス(コロナ)でロックダウンになると、いろいろ方法を考えて同修たちと時間を約束し、資料とメモリーカードを同修たちに届けました。ロックダウンでバスが止まり、私は自転車で行くしかありませんが、それでも時間を守って届けました。同修の需要は私の責任です。

 ある時、私は同修と夜の7時に資料を届ける約束をしました。その日はみぞれでした。道が滑りやすいので、私は道の片側に沿って慎重に自転車に乗っていました。前に止まっていた大型トラックの運転手が突然ドアを開けました。私は自転車と一緒に遠くまで押し倒され、泥まみれになりました。運転手が慌てて降りてきて「大丈夫ですか?」と尋ねました。私は「大丈夫です」と答え、地面から立ち上がり、自転車を押してその場を去りました。約束の時間に間に合わせるため、運転手に真相を伝えることができず、とても残念でした。不思議なことに、私の体はどこも痛いところがありませんでした。これは、師父が弟子のために受け止めてくださったと分かります。師父に感謝します!

 数年前、協調人は、私に少し遠い所の学法グループの同修たちにも資料を届けるように頼みました。そのグループの同修は皆老年の同修で、師父の新しい経文を手に入れるのが困難でした。私が行ってから間もなく、グループの同修たちは病業や各種の原因でだんだん来なくなり、最終的には1人しか残りませんでした。その同修にも病業状態が現れました。「このような時こそ、同修は助けが必要だ」と思い、毎週資料と録音カードを届け、修煉者の状態を保つように励ましました。彼女にとって、6階を上ったり下りたりするのは困難なことですが、毎日出かけて人を救っていました。彼女が引っ越しするまで、10年近く交流がありました。

 三、心の中に法があり、難局を乗り越える

 修煉者として、私たちは自分の道が師父によって新しく按排されたことを知っています。偶然のことはなく、修煉の道を正しく歩まなければなりません。道を外れると、旧勢力に隙に乗じられ、命が奪われることさえ起こりかねません。

 去年の10月の初め、夫は突然心臓が苦しくなりました。数カ月前から、体がだるいと言っていましたが、修煉者は病気がないと思い、私たちは気にしませんでした。今回、夫は心臓が苦しいと訴えたので、私たちは警戒しました。私は夫を私たちと一緒に住むようにして、随時娘と一緒に発正念をし、心性上の原因を探しました。このようにして、娘と数日も休まずに夫を助けようとしましたが、最後に、やはり夫は亡くなりました。その時、私は苦痛も悲しみもありませんでした。彼の人生が終わったわけではないことを知っているからです。彼はただ、やるべきことを終えて、先に行ったのです。

 夫は迫害が最も厳しかった2003年に大法の修煉に入りました。特に、家庭資料拠点を立ち上げてからは、安全のために工夫をして木箱を作り、プリンターと消耗品を入れ、滑車を付けて移動しやすくしました。家は小さくても散らかっている感じはありません。夫はいつも電気自動車に乗って消耗品を買ったり、機械を修理しに行ったりしていました。そのため、電気自動車を何台も買い替えました。特に数年前から、神韻公演のCDを作るため、CDケースを何箱も買ってきて、自分たちで使うだけでなく、他の同修にも提供しています。毎週、夫は電気自動車に乗って、最も重い資料をいくつかのグループに送りました。

 私は真相資料を作るまで、ずっと出かけて大法の真実を伝えていました。資料を作ってから、夫と何人かの同修は私の安全のために、外で言わないようにと勧めました。しかし、私は学法と印刷をしない限り、人々に直接真相を伝えることを諦めませんでした。そのため、家事はほとんど夫がやってくれました。夫の死は、私の今までの生活状態を変えることになり、私は家事をしなければなりません。

 重圧の中でも、私は師父の法を忘れていません。師父は「しかし修煉者としては、他の人にとってはとてつもなく大きいと思われることを、あなたはごくごく小さいことだと見なします。あなたの目標はとても永久なるものであり、遠大であり、あなたが宇宙と齢を等しくしようとしているからです」[2] と説かれました。

 師父がおられ、法があり、他に何か乗り越えられない難関がありますか? 夫がいなくなっても、私と娘は資料拠点を続けました。重い消耗品は同修の家族に頼んで2カ月ごとに購入してもらい、そのほかは自分たちが買ってきます。夫が生前に買った自転車はとても乗りやすく、私はその自転車で毎週できた資料を同修のところに届けます。私と娘は今まで通り、同修たちに資料を提供する他にも出かけて人々に真実を伝え、大法のことと家事を両立していて、何も変わっていません。

 よく同修から「あなたは少しも変わっているようには見えないね? 今までと同じだね」と言われます。私は、自分のわずかなマイナス思考と感情が大法の実証に影響を与えるということをよく分かっています。このような状態で作った資料が人々を救う役割を果たすことができるでしょうか? 私のところは源であり、厳しく自分を律しなければなりません。

 娘は父に対する情がとても重く、時々父の夢を見るそうです。だんだんと痩せ、心身ともに疲弊していく娘を見て、この執着を放下できる唯一の方法は学法だと思いました。私は娘と法の上で交流し「お父さんが亡くなった原因を探し出し、教訓を学び、これからの自分の修煉の道をしっかり歩むことが最も大事です」と言いました。

 私は娘と大量に法を暗唱し始めました。特に中共ウイルス(コロナ)でロックダウンの期間中、私たちは時間を大切にして法を暗唱しました。最初は段落毎に交替して暗唱していましたが、後からは2人同時に暗唱するようになりました。このようにして半年間続け、大きな収穫を得ることができました。特に娘は、心性が確実に向上しました。娘は「以前、私はどう修めるかが分かっていませんでした。今はトラブルなど何かあったら、まず師父がどう教えてくださったかを考えるようになり、自分を修めることが分かってきました」と言いました。最近では、娘も法会の投稿に参加しました。

 結び

 この十数年の修煉の道を振り返ると、師父のご加護のお陰で順調に歩んでくることができました。困難の中に大法の導きがあり、すべては師父のご按排の中にあります。私たちは表面だけでなく、100パーセント師を信じ、信じることができれば、修煉の道を一歩一歩しっかり歩むことができます。常人の一切の執着を最大限に捨ててこそ、史前の誓いを果たし、自分の本当の故郷に戻ることができます。

 修煉の道はまだ終わっていません。私の小さな花もまだこの世に咲いています。私はさらに精進し、私たちのこの小さな花と共に法がこの世を正す輝かしい時を迎えましょう!

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『法輪功』『第三章 心性を修煉する』

 (明慧ネット第19回中国本土大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/10/451495.html)
 
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