文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年11月28日】
尊敬なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
第19回中国本土大法弟子の修煉心得交流会に際して、私は自宅で資料拠点を立ち上げ、明慧ネットの通信員となった体験を同修の皆さんと交流させていただきます。
一、資料拠点を立ち上げる中で、大法の力を感じる
私は大法とは何かを伝えるために、人々に資料を配布したいと思っていました。しかし、普段から同修たちとあまり接することがないため、自宅で資料拠点を立ち上げて自分で資料を作ろうと考えました。大学ではパソコンを習ったことがあり、基本操作はできても、プリンターに触れたことはほとんどありませんでした。
経済的に余裕がなかったため、連続供給機能のない安価なプリンターを買ってきました。インクカートリッジの中の少量のインクを見ても、どのようにカートリッジを交換するか分からず、ただ無駄にせず節約して印刷するしかありませんでした。
最初、私は主に真実を伝えるステッカーを印刷しました。まだ大きいサイズができないので、小さいステッカーを印刷しました。私は限られたステッカーを持って、より多くの人が見えるように、散歩する人の多いところに貼っておきました。しばらく経つと、ステッカーが誰かに剥がされているのを見つけたので、貼り直しました。しかし、また剥がされたのを見て、とても落胆しました。
私は夜ご飯を食べて、前に貼ったステッカーがまだあるかどうかを確認しに行きました。ある場所に貼ってあるステッカーの一部が破れていますが、残りの部分の文字ははっきり見えます。1人の通行人がそれを真剣に見ていました。その内容は「天安門焼身自殺」の真実でした。その時私は、これは師父が私に、衆生が真実を渇望していると教えてくださったと思いました。私は「くじけないで、真相を伝え続けるべきだ」と自分に言い聞かせました。
プリンターのインクが切れそうになった時、技術者の同修と協調人は、改良され連続供給のできるプリンターを1台持って来て、私に提供してくれました。この性能の良いプリンターは、小冊子やステッカーだけでなく、真実を伝えるCDの表紙も印刷できます。「本当に良かった!」と、私はとても嬉しくなりました。このプリンターは、その後長い間、私に添ってたくさんの真相資料を作りました。当時、私は毎日資料を印刷した後、自分で配布していました。私は自分でCDを焼くことができないので、同修が焼いたCDを大量に持って来て、表紙を印刷しました。
私には資料を配布する専用の小さなバッグがあり、真実を伝える小冊子や『共産党についての九つの論評』のCDなどが入っています。私は毎日のように午前中にバッグを持って出かけ、毎度場所を変えて配りました。大きな団地は何回かに分けて行き、配布したビルをメモしておき、できるだけ重複しないようにして、資料を大切にしました。
私は発正念をとても重視し、行く途中も配る途中も発正念を止めることはありませんでした。セキュリティー性の高い高級マンションもたくさんあり、入口のドアが閉まっていて、外から開かないため、中に入って資料を配ることができません。「このビルの中には多くの人がいて、救わなければならない。どうすればいいのか?」と焦ります。そんな時、私はいつも心の中で師父に助けをお願いします。すると不思議なことに、入口のドアから人が出てきて、私はいつもタイミング良く中に入ることができました。時々、バッグの中の資料がこのビルで配るのにちょうど間に合うことがあります。また、私が来るのを待っているかのように、入口のドアに錠が掛かっておらず押せば開くことがよくあります。弟子の私のために、人を救う道を開いてくださった師父に感謝します。
法を正す勢いが進むにつれて、私も全体の環境に溶け込んでいきました。私は同修たちに少しずつ資料を提供し始めました。人を救う力を高めるために、私たちは資料の作成において、高い基準と高い品質を目指しました。師父が知恵を与えてくださったおかげで、私たちは制作の全過程を絶えず改善することができました。
私は師から与えられたこれらの機械を大切にしています。私に執着がある時、師父はこれらの機械を利用して私を悟らせてくださいます。例えば、プリントヘッドが詰まったり、色がおかしくなったり、プリントの仕上がりが悪かったりすると、自分が集中して資料を作っていない、正しくないことを考えていた執着心があるなどすぐに分かります。
人を救うどんなプロジェクトも簡単ではなく、その過程で心性の試練に直面することがよくあります。例えば、中共ウイルス(コロナ)が発生した年、私たちはネット封鎖を突破するための情報が記載された紙のカードを作りました。人手が必要だったので、ともに大法を修煉する両親が手伝ってくれました。裁断方法を教える時、私は「ペーパーカッターでは一定の枚数を超えると、一度に切れないし、端も粗くなる」と伝えました。しかし、両親はペーパーカッターが苦手で、どうしてもカッターや定規を使い、しかも一度に何枚も一緒に切るため、サイズがバラバラで、端も揃っていなかったので、結局、カードをポリプロピレン袋に入れられませんでした。
使えなくなったカードを見て、私に怨みや焦り、嫉妬の気持ち、偉そうに振る舞う態度などが現れてきて、両親を何度も責めました。
私は冷静になり落ち着いてから、心を静かにして学法をしました。師父の法に照らした時、自分の心の容量が小さすぎて、他人を受け入れることができていないと感じました。両親ともに資料を作るのは初めてで、やったことがないのに、どうして私は根気よく教えることができないのでしょうか? 大法の中で自分を正す必要があると気づきました。それから私は態度を変え、何度も丁寧に教えました。私が変わると、両親も教えた通り作業することができました。
同修たちが真実を伝えるために必要な資料があれば、私は何でもできるだけ協力して提供し、資料の種類を常に充実させています。慣れない機械を使用する中で、私が得た最大の体得は「師父は常に私のそばにおられる。私がするべきことは、人心と観念を捨て、師父を信じ、法を信じることだけだ」ということでした。
私たちは1台の機械を注文しました。この機械が人を救う資料の作成に大きな役割を果たせると知っています。しかし、コロナでロックダウンされ、それに年越しが迫っているため、多くの不確実な要素がありました。「今の状況で物流に影響はないのか? 機械は届くのか? 届いたとしても操作を覚えられるのか? また、学んでから、短期間で必要な資料を作れるのか? セキュリティーのことを考えると、誰かにアドバイスや助けを求めることもできない」といろいろ悩んでいました。
その時、私に唯一できることは師父を信じることです。師父は「修は己にありて、功は師にあり」[1]と説かれたのです。
自分が何でもできるということではなく、師父がすべてを按排してくださると信じています。私は師父に導かれた道を歩んで行きたいと思っています。私は絶えずマイナス思考を排斥し、無私無我の心で人を救う正念を固めました。師父のご加持の下で、機械は時間通りに納品され、計画の時間内に資料を完成して、同修の手元に届けました。
資料拠点を立ち上げる過程で、師父は弟子と衆生のためにどれほど尽くしてくださったのか、私には分かりません。しかし、師父は弟子に航路を導いてくださっていると分かっています。
二、明慧レポーターに最善を尽くし、自分を高める
私は真相資料を作成すると同時に、明慧ネットに連絡をする役割も担っています。レポーターを担う過程の中でも、師父は弟子を成長させて下さいました。
中共は長年にわたって大法を迫害しています。私の地元では大法弟子を迫害したために悪報に遭う事件がいくつか発生しました。最も注目された事件は、当時の610責任者が地元の大法弟子に迫害を画策していました。その会議中、この責任者はその場で急死しました。このことは地元の公安当局に大きな衝撃を与えました。
この事を知った私は、短い記事を書いて明慧ネットに投稿しました。投稿するのは初めてなので、まだ上手に書けませんでした。
学生時代に新聞の五つの要素を学んだことがあります。つまり、記事には「いつ、どこで、誰が、何の事で、何のために」をはっきり示さなければなりません。私が記事の内容を確認したところ、同修たちは積極的に協力してくれました。その中で、この610責任者が直接迫害を施した事件の情報を得ることができました。私は取材した資料を持ち帰り、整理してまとめた後、明慧ネットに送りました。その記事はその日に発表され、邪悪を大きく震え上がらせました。
その後、私は明慧編集部の同修が修正した自分の文章を何度も読み、今まで気づかなかった問題を見つけました。それは、自分には「党文化」が重すぎることでした。私の原稿にあった強い闘争的な語句を明慧編集部の同修に直され、掲載された文章には、慈悲と警告、それに震え上がらせる力が表れています。今回の投稿を通して、私は自分と同修の間の差や不足しているところが見え、ごまかしていい加減にする「党文化」や顕示心などを見つけました。師父は私に自分を向上させ、レポートを書く力を身につけ、文章を上達させる機会を与えてくださいました。
ひとつ印象に残っていることがあります。地元のある同修が連行されました。迫害の詳細を報道するために、私は2日間の追跡報道に参加し、同修たち全体の力に感心しました。
同修が連行されたことを聞き、同修たちは互いに連絡し、近距離で公安局に向けて一斉に発正念をすることにしました。私は初めてこんなにも多くの同修が集まったのを見ました。地元の同修だけでなく、この事を知った他の地域の同修もわざわざ来てくれて、発正念に加わりました。その日、公安局周辺の路上や公園、住宅街など、あちこちで同修たちの姿があり、みな強い正念を持っていました。それと対照的に、迫害に関与した警官らは頭を垂れ、元気のない様子でした。
私は毎日得た最新情報を明慧ネットに随時に送り、迫害に関与した人や事件の詳細をタイムリーに発信しました。私は同修たちの正念に感動しました。結局、連行された同修は15日ぶりに無事に家に帰ることができ、同修を冤罪に陥れようとする公安当局の企みを破りました。
追跡報道の中で、もう一つ感動したことがあります。ある同修は、他の地域から来て応援してくれる同修たちが食事をしていたかどうか、お腹は空いていないかどうかと心配して、1袋のリンゴを持ってきて、私に渡すように言いました。同修たちは「私たちはご飯を食べて来ました」と言って、受け取りませんでした。また、暑いので、発正念をしている時に喉が渇いていないかと心配して、飲み物を持って来た同修もいました。私は飲料水を現場に持って行きましたが、皆は「ほかの同修に飲ませて」と言い、誰も飲みませんでした。
結局最後に、私がそのリンゴと飲料水を家に持ち帰りました。とても重かったのですが、その中には同修たちの善が含まれていました。
三、「求めずとも自ずから得る」[2] の法理を体得する
修煉する中で、師父は私に多くの知恵と才能を与えてくださいました。大法を実証する中、私は全力で責任を果たしています。修煉者として、大法を離れると何もできません。ですから、私は毎日の学法と法を暗唱することを重視しています。
ある時、地元の同修から評論文を書くようにと求められました。受け入れた後、頭の中に突然ある小説が浮かんできて、私はそのストーリーを使って文章の論点を引き出し、さらにその論点に基づいて論拠を書き出しました。知恵は大法によって開かれ、泉のように湧き出て、30分以内で文章を完成しました。明慧ネットに投稿した後、ほとんど修正なしに発表されました。これらの奇跡は、すべて師父の慈悲なるご加持でした。
真相資料の設計や図案、モード、プリント効果などにおいても、不思議なことがよくあります。毎日の印刷の中で、何度も何度も修正している中で、師父は常に私に知恵を与えてくださいます。機械が故障することもあります。技術的な問題において私はよく分かりませんが、自分でネット上の技術フォーラムで勉強し、解決方法を探します。確実ではない場合は、フォーラムの方法に従って操作してみます。往々にしてやっているうちに、機械が正常に戻りました。
四、結び
真相資料をもらって、私たちに感謝する同修もいます。私はいつも「私たちは後ろ盾に過ぎません。本当に第一線で人を救っているのはあなたたちです。皆さんが資料を配布しなかったら、いくら資料を制作しても意味がありません」と言います。また、同修に「よくできて、すごいですね!」と褒められると、私は「皆さんに見えたのは表面だけかもしれません。私だけが、自分がどういうことかを知っています」と言いました。これは私の本音です。内に向けて探す中で、自分にはまだ頑固な人心と良くない観念があることが分かっています。修煉の過程で、良く行っていない時もあれば、心性を守れなかった時もあります。たまに「自分はどうしてこんなに意気地がないのか?」と自分を責める時もあります。しかし、考えてみると「これは本当の自分ではなく、すべて観念である。よく行わなかったら、これからしっかり行うようにすれば良い! 関を乗り越えられなかったら、次回は乗り越えられるように努力する!」と前向きになりました。
常に師父と大法に従ってしっかり行うことができれば、師父が導かれた修煉の道を歩み続けることができると思います。法がこの世を正す時期が間もなく到来するこの限られている時間で、私はさらに自分を修め、人心を捨てて全体に協力したいと思っています。
師父に感謝します!
同修の皆さんに感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
(明慧ネット第19回中国本土大法弟子修煉心得交流会)