この最後の執着に固執してはいけない
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年12月4日】最近、同修と交流したところ、正法の終了や圓満を求める心を持つ同修が少なくないことに気づきました。特に、師父の経文『目覚めよ』が発表されてからは、多くの同修が、迫害が一日も早く終わり、一日も早く圓満成就することを望んでいます。私は、円満成就への執着は、すべての修煉者が取り除くべき最後の大きな執着であり、この最後の執着を捨ててこそ、超脱することができ、本当の自由自在に手に入れることができると思っています。この問題について、皆さんと交流させていただきます。

 考えてみれば、何年も前から同修との間で「この迫害はいつ終わるのか? どうしてまだ終わらないんだ?」と言う人がいます。二十数年の間、師父が圓満成就の問題を話されるたびに、同修の心の中は動揺し始め、知らず知らずのうちに法を正すことへの終了と自身の圓満を求める心が芽生えています。 20年以上経っても終わりは見えませんが、彼らは依然として求め続けています。

 修煉の道をどこまで進むのか、何年かかるのかは、我々修煉者が考えることではなく、師父が決められることであり、私たちが執着する必要はないと思っています。この問題に執着している同修は少なくありません。「迫害が終わらなければ、自分は修煉をやめる」と極端なことを言う人もおり、興奮する人もいるようです。

 振り返ってみると、この強烈な求める心のため、私たちが何度も何度も待ち望んだ結果、それは度重なる失望と落胆しかありません。私たちには、終了と圓満成就を求める心があるため、いつも常人の情勢や外界の変化に注目し、心が動揺しやすいのです。長い間の情勢変化により、大法弟子の中で人心が揺らぎ、それに伴い大きな損失と痛ましい教訓をもたらしました。

 私も以前は、このように法を正すことの終結と修煉の圓満成就を求める強い心があり、長年自分を苦しめていました。2012年以前のことですが、私はいわゆる「2012年大災難」という預言にとても執着しており、夫に「もし、2012年に法を正すことが終わらなかったら、私たちは互いにどんな条件を出されても、無条件で相手の要求を受け入れよう」と賭けたことがありました。
 当時、私はまだ学法が浅く、法理に対する理解も十分ではありませんでした。また、常人の預言などに惑わされ、人類が1999年を乗り切れるのは大法の力があるからで、2012年を乗り切るのはそう簡単ではないと思い、その年のうちに必ず終わると思っていました。
 しかし、2012年が過ぎても、法を正すことは終わりませんでした。とてもショックで、夫にも悪い影響を与えてしまいました。幸いにも師父のご加護があり、私はすぐに内に向けて探し、多くの人心を見つけ出し、自分を正しました。幸いなことに、夫は理不尽な要求をすることもなく、大法や師父に不敬なことを言ったこともありませんでした。そうでなければ、私はどれだけ大きな罪を犯すことになったのでしょうか。

 このことから、私はさらに精進するようになりました。修煉者として、この世のすべてに執着してはならず、良いことも悪いことも執着せず、最後に圓満成就して、師父と共に本当の故郷に帰るのです。法を正すことがどの段階に来ているかは、師父が私たちに教えてくださいますので、その過程で私たちは疑うことなく、師父に従って、全力で三つのことを行えばいいのです。

 考えてみると、法を正すこの20年余りの修煉の道で、私たちは何度も世間の事に執着したため転び、回り道をしてしまいました。例えば、迫害が起きた当初、私たちは首相に事態の収束を期待することに執着したこと、2008年のオリンピック開催に執着したこと、マヤの預言に執着したこと、中共の「十八大」が存在するかどうか、それから、現在の政府が江沢民を起訴して裁判をするかどうか、また、アメリカ大統領選に執着するなど、大法のために何かしてほしいと願えば願うほど、逆の結果となってしまいます。

 実は、私たちは師父のお話を聞こうともしませんでした。師父は私たちと常人の関係、つまり済度と済度されるという関係について説かれました。常人は私たちに救われるのを待っています。それなのに、逆に、私たちが常人に期待しているのではありませんか? 常人にそれができますか? できるはずがありません! 残念なことに、私たちはそうしています。

 アメリカ大統領選において、私には、常人の誰かが迫害を止めればと期待する心がなかったので、最後の結果に動揺されませんでした。2012年の教訓を受け入れ、二度と同じ間違いを犯しませんでした。私は今「この迫害を終わらせることができる常人は、どんなに権力を持っていても、能力があっても、良く見えても、悪く見えても、誰も終わらせる力はない」と思っています。

 法を正す中で、師父が手をひと振りすれば、すべての邪悪を即座に取り除くことができます。その勢いが来れば、すべての邪悪の現れは直ちに終わり、今日迫害を終わらせるとすれば、明日まで続くことを決して許さないのです。中共の崩壊は決められたことで、私たちが関心を持つか持たないかにかかわらず、必ず崩壊します。しかし、それは常人によって崩壊されることではなく、師父がすべてを把握なさっています。師父は大きな慈悲をお持ちになり、救われた衆生の数がまだ達していない、多くの大法弟子がまだ位置に達していないため、そうなさらなかったのです。私たちまだしっかり修めていない弟子たちのために、最後のチャンスを与えてくださり、師父に従い、法がこの世を正す時期にさらに修煉して向上し、最後には圓満成就して天国世界に戻されるのです。

 師父は次のように説かれました。「ご存知でしょうか? 心に圓満成就を考えている人は圓満成就することができません。まして圓満成就したいのに、まだ情と財に対する執着を放下することができない人です。何も求めず自ずと得るのです! 大法弟子が今日行っている全ては歴史が皆さんに賦与した責任であり、正々堂々と行うべきことを行い、全てはその中にあります。圓満成就をしたいと思っている限り、圓満成就することができません」[1] 

 私たちは心の中で圓満成就を思っている限り、本当に圓満成就できません。なぜなら、それは執着だからです。執着があると大法の基準に達してないことになり、圓満成就するわけがありません。修煉は極めて厳粛で、思いがけない幸運はありません。法に基づいて精進せず、日頃から執着心を取り除いてしっかり修めないと、最後までたどり着くことはできません。正法は最後になり、すでにこの世を正す時期に入りました。私たちにとって迷う時間はあまりありません。特に最後になるほど、長い間確実に修煉せず、いまだ修煉の概念すらなく、名利情と各種の欲望に悩まされており、強い自我を持ち、各種の人心を放下できない学習者に対して、邪悪な旧勢力は引きずり下ろして、淘汰しようとしているのです。

 師父は「まだしっかり行なっていない人は今まだ終わっていないので、それなら行なうべきことにしっかり取り組んでください!」[2]説かれました。

 師父の慈悲は、何度も私たちに再び自分を修める機会を与えてくださいました。私たちは師父の慈悲を大切にしなければなりません。法を正すことにおいて、残り時間がいくらあろうと、私たちはそれに執着せず、師父のお話を聞き、大法弟子としてすべきことをしっかり行えばいいのです。私たちは、師父が私たちのために与えてくださった修煉の機縁を決して無駄にしてはなりません。そして、私たちの世界にいるすべての人々の切実な期待に背いてはなりません。私たちには選択肢がありません。三つのことを確実に行い、正法の終了と圓満成就を求めるという大きな執着心を捨て、大法弟子の基準に達するように精進しましょう。

 個人的な認識に過ぎず、法に符合していないところはご指摘お願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会に参加する大法弟子の皆さん、こんにちは!』

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/24/452251.html)
 
関連文章