中国法会|子供、警察、世の人々に対し善を修める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年12月9日】私は中国南西部のある都市に住む大法弟子です。高校時代に修煉し始めて二十数年経ち、今、18歳の息子の父親で45歳です。ここ数年の修煉の中で、私は問題を考える基点を変え、無私で利他的な善の心を修めることが執着を取り除き、大法に同化する鍵であることをますます体得しました。以下に、この方面での自分の修煉体験を慈悲深い師父にご報告し、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、子供に対し善を修める

 長年、私は自分の子供には多くの問題が存在し、彼の言動も大法弟子の子供らしくないと思っていました。

 息子は小さい頃、優しく無邪気で、頭もよかったのですが、少し頑固なところがありました。時間があるとき、私は彼と一緒に学法し、煉功もしました。その時、間違いを起こした彼に根気よく道理を説けば、納得してくれていました。しかし、中学に入り、今の社会の悪い風潮の影響もあって、彼の考え方や行動には良くないものがますます強く現れるようになりました。彼は独りよがりで他人を軽蔑し、携帯ゲームに夢中になり、攻撃的で無礼な発言を口にし、他人に物事を押し付けるなどして、学法にも徐々に気が乗らなくなりました。

 ここ数年、彼を教育する時、私は彼と激しく衝突することがよくありました。学法を強化し着実に修煉していくにつれて、人心が少なくなり、彼に現れる問題に直面する時、私は穏やかな気持ちを保ち、理性的に彼と交流することができるようになりました。私と彼の関係は和やかになりましたが、彼の悪い癖は大して変わらず、相変わらずマイペースのままでした。

 彼の試験の成績を修煉していない妻はずっと気にして、良ければ喜び、良くなければ失望し、怒っていました。この問題において、妻と息子の間でしばしば対立が起こっていました。妻は子供の努力が足りないと思っていて、家ではほとんど勉強せず、週末には必ず数時間携帯ゲームをしていて、どんなに忙しくても止めようとしませんでした。子供は自分のベストを尽くしたと思っていました。その度に私は仲裁に入り、大法から悟った法理を用いて彼らを諭しましたが、内心では妻の考えはある程度正しいと思っていました。実は、私自身も子供の成績が気になっていました。職場の上司の子供はうちの子と学校が違うだけで同期ですが、うちの息子より多少成績が良いのです。全市の統一試験が終わる度、上司に子供の成績を聞かれますが、ほぼ毎回彼の子供の方が良い結果でした。その都度、私は心の中で「うちの子の方が実は頭が良い。ただ遊びが多すぎるのだ。真面目に頑張ればこんな結果にはならないはずだ」と思っていました。

 2022年3月、高校3年生の2回目の模擬試験の結果が出ましたが、息子の成績が悪く、合計点が数十点も下がりました。妻は再び子供と激しく衝突しました。私は説得を試みましたが全く効果がなく、双方とも私の言うことを聞こうとしませんでした。今思えば、実は当時の私も子供の成績が気に入らず、人間の観念と執着を持ったまま、子供に思いやりをかけようとしても、子供は当然受け入れませんでした。激しい衝突の中で、彼は長年よく言ってきた言葉をもう一度口にしました。「私はあなたたちの所有物ではなく、一人の人間です」

 その後、私は「大法弟子として、なぜ頻繁にこのようなことに遭遇し、自分にはいったい何の問題があるのか」と反省し始めました。絶えず法を学び内に向けて探す過程で、私は自分の子供の成績に対する執着を見つけました。探し続けていくと、息子が上司の子供より優れているべきだと思う嫉妬心があることに気づきました。さらに探していくと、息子の言葉が正しいことが分かりました。自分の虚栄心と傲慢さを満足させるために、私は彼を独立した個体の生命ではなく道具とみなして利用していました。そのため、衝突が発生した時、私は修煉者が持つべき純粋な慈悲と寛容な度量を見せることができず、息子に対する真の善と思いやりが欠けていたのでした。

 ここまで考えて、私はトラブルの発生は私自身に起因し、私を向上させるためのものだと分かりました。独りよがりや傲慢、物事を人に押し付けるなどの息子の問題は、私にも存在します。そこで、私は息子の立場に立って彼の気持ちを考えてみました。彼は高校2年生の後半からベストを尽くして勉強し始めていました。週末には自発的に学校に行って自習し、授業の合間を利用して先生の事務室に行って質問し、そこの空いている机が彼の専用席になったほどでした。そして先生の助言で彼に参考書を買ってあげてから、彼は自ら時間を作り、基礎の補いや難問の練習をしていました。彼が努力し始めてから、成績も急速に上がってきました。ただしっかりした基礎がないため、成績は安定しないだけでした。今回の模試で良い成績を取れず、彼自身も悲しんでいるはずです。そう考えると、私は彼のことを悲しく思い、彼が母親の文句や叱責を聞いてあんなに悔しくヒステリックになったのも理解できました。

 また、彼が毎週末に家で何時間もゲームをしていたことについて、真に人心を放下して考えてみた時、私は答えが見えました。今の社会の現実はすでにこのようになっています。都市部の子供はみな携帯ゲームをしていて、クラスメート間の話題もほぼこれで、子供はそのような社会環境から抜け出して暮らすことができません。法理に沿って考えてみれば、人間にとって、もし大法の力がなければ、これらの常人社会の誘惑の要素から脱却することは容易ではありません。子供は小さい時に法を知り、師父も面倒をみて下さっているので、機縁が熟すれば、彼は自然に大法に戻ってきます。その前の彼と一緒にいる時間の中で、私が大法弟子の正しい修煉状態を見せることができれば、息子が将来改めて修煉し始めるための有利な条件を作ることになります。

 彼と私との縁が終わる日はいずれやって来ます。彼はやがて成長して独立し、自分の人生を歩むようになります。私はその中でただ父親の役を演じているだけで、彼の人生における苦痛や曲折、幸福のいずれもは彼自身の因縁によるもので、私に左右できるものではありません。ですから、子供と一緒にいる間に彼をいかに育て、良い品格が形成されるようにいかに自らの言行で教え導き、彼が将来修煉できる基礎を築きあげていくかが私の使命だと思いました。

 そこで、私は彼と胸襟を開いて交流してみようと考えました。自分の気持ちを整えたある日の夜、自習を終えた彼を家に迎えた時、私は自分が感じ取った彼の気持ちを話してみました。また、彼さえよければ、彼が独立して自分の人生を歩むまで、私は学業や生活、心理面も含めて、与えることができるすべての支援をして、彼には何の圧力も強制も与えず、ただ心から彼がよくなることを望んでいると言いました。私が話している間、息子は一言も口を挟みませんでした。私が言い終えた後、彼はしばらく沈黙し続けましたが、私は彼が心を打たれたと見て取りました。彼はその後「私はずっと私はあなたたちの所有物ではないと言ってきて、あなたにやっと理解してもらったようです。必ずやり逐げることを期待してください」と言いました。私は彼の言葉から、修煉者である私に対する認可、信頼と期待があることを感じ取りました。

 それ以来、息子のことに関して、私は常に彼の立場に立って考えるようになりました。同時に私は妻と交流し、息子の気持ちを伝えた上で、子供のことをもっと思いやって理解し、彼のストレスと焦りをできるだけ解消するように勧め、彼に良い家庭環境を与えられるように努めました。徐々に、家の中は和やかになり、私の上司の子供に対する気持ちも変わって、彼の娘を自分の子供のように思い、彼女が良い成績を収め希望校に合格することを望むようになりました。

 大学入試が終わった当日の夜、私は息子が幼子の姿に変わり、かわいくて生き生きしている夢を見ました。夢の中で、私は妻に「うちの子が帰ってきた。彼は実は一度も変わったことがなく、良い子のままだよ」と言いました。目が覚めた後、私は師父が私に正しく行ったと教えて下さっているのを知りました。この関において私は昇華し、息子に対して善を修めることができました。

 二、警官に対し善を修める

 年初のある日、私は夢の中で以下の光景を見ました。目の前に大きな両開きの戸があって、その後ろには戸が押されて開くことがないよう懸命に妨害している生命がいました。力を入れて戸から出た後、私は多くの大法弟子が高台の上に立ち、沈黙のまま前方を見ているのを見ました。その前方にある都市(夢の中で私はそれが自分の住む都市だと知っている)では、人の死体がビルのように高く積み上げられ、燃え盛る炎に焼かれる悲惨な光景が広がっていました。

 目が覚めた時、私はその悲惨な光景にショックを受け、悲しくなりました。そして、師父が私たち大法弟子に、大きな災難がやって来る前に多くの人を救わなければならず、そうでないと、救われない世人が悲惨な結末に直面することになると啓示されているのを知りました。そこで、私は見た夢を周囲の同修に話し、使命を忘れないように、そして命をかけて師父と交わした誓約をよりよく果たし、人を救うことに努めるように励まし合いました。普段の仕事や生活の中で、私はできるだけ機会を掴み、人々に大法が迫害されている実態を伝え衆生を救っています。

 息子は化学の基礎が弱く、自分で勉強するのはとても難しいため、3月のある週末、私は息子を連れて大学同期の家を訪ね、基礎を指導してもらうことにしました。同期が子供に授業をしていて、妻が同期の奥さんと話をしていたとき、突然、私の電話が鳴りました。着信を見てみると、コミュニティの担当警官のLからの電話でした。

 私は急いで別の部屋に移動し、電話に出ました。電話の中でLは、「私を覚えているか? 私は某某だ。随分会っていなかったので、お宅に行って話をしたい」と言いました。彼の話を聞いて、私は少し嫌気がさしました。ここ数年、彼に多くの真相を伝えてきたのに、それでも私に嫌がらせをするのかと思い、「今、家にいないので、会うことができない」と答えました。彼にいつ会えるのかと尋ねられて、私は「しばらくは仕事で忙しいので、時間を作ってまた連絡する」と言いました。彼は承諾して電話を切りました。その直後、私の頭にはLに対する嫌悪感や不満といったマイナスの考えが絶えず現れて、自身の恐れる心も混じり合って落ち着かず、不安な気持ちになりました。そのとき、私は「今すぐ発正念を行い、学法すべきだ」と思いましたが、置かれている状況も場所も適切ではありませんでした。家に帰って発正念をしようとしたところ、子供に用事の手伝いを頼まれたり、他の妨害も相次いで現れたりして、落ち着かない気分になりました。「なぜこうなるのか? 大法弟子は妨害に遭遇したら正念を発し、学法すべきではないか? なぜスムーズにいかないのか?」と考えながら、私は心を静めて自分の問題を探し始めたところ、ふとあることを思い出しました。

 流行が始まって以来、私はLとはあまり会っていませんでした。修煉者はみな知っていますが、この疫病の最終目的は大法に対し邪悪な行為を行った者、およびまだ救われていない世人を淘汰することです。この2年間、私は時々Lを思い出して、「彼にまだ心からの九文字を教えておらず、災難がやってきたら、彼はどうなるのか?」と、彼のことを心配していました。「そうだ。Lはこの形で助けを求めているのだ! これは嫌がらせどころか、師父が按排して下さった彼を救うチャンスだ!」と分かりました。しかし、私は彼を救う機縁を妨害だと思い、利己的な基点に立って自分の気持ちや安否を考えてしまい、自分の責任や使命、そして衆生の期待を忘れてしまいました。

 考えが正された瞬間、私は体や思想にある正しくないものがたちまち跡形もなく消え去り、心も光りと衆生への慈悲に満ちていると感じました。私は早速Lに電話をかけ、通常の仕事に支障がないように、翌日の12時半に私の家近くの交差点で会いたいと伝えました。Lは快く承諾してくれました。

 翌日、私はいつものように少し早めに約束の場所に着きました。ほどなくして、Lも若い警官を連れてやって来ました。Lはマスクをしていましたが、私は遠くから彼だと分かりました。私が手を振ると、彼もそれに応えて手を振ってくれました。簡単な挨拶を交わした後、私は雑談の形で彼らに真相を伝え始めました。私はまず、1980年代の素朴で人間味豊かな社会と、今日の腐敗堕落した社会との対比から、現代人の道徳水準の堕落に言及し、疫病や災厄がその結果だと話しました。また、私は大法は人々に真善忍に従って自らの道徳を正すように導いており、危険や難から逃れるように助けていること、そして今後大きな災難に遭わないために、「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」を覚えてほしいと伝えました。

 会話は穏やかさな雰囲気の中で行われました。コミュニケーションを取りながら、私は自分が彼らを友達、ひいては兄弟として思っているのだと実感しました。その気持ちをLに伝えると、Lは私を見て、「私もあなたを友達だと思っている」と真剣に言いました。

 約20分ほど話して、伝えるべき真相はすべて伝え、そろそろ仕事に戻る時間になりました。別れる際、私は彼らの肩を叩いて、手を振って別れを告げました。その時、私は本当に気楽で愉快な気分になりました。大きな災難がやって来る前に、私はついに警官Lに心からの九文字を伝えることができ、彼の命が救われる見込みが立ち、彼のために懸かっていた私の心もやっと下ろすことができました。

 三、世人に対し善を修める

 2〜3カ月前、上の階の隣人が新しく内装を始めました。今回は徹底した改装のため、元の古い内装材を撤去するとき、大きな音や振動が伴いました。ある日、家で学法していると、主寝室の金属製の雨戸から突然大きな音がしました。妻が様子を見に行ってみると、上の階から絶えず物が落ちてきて、雨戸に当たった後、1階の老夫婦の裏庭に落ちていました。

 その直後、妻は上の改装されている家を見に行きました。しばらくしてから妻は降りてきて、「内装業者が何の保護措置も取らずに寝室の窓を取り払っているから、コンクリートやボルトなどの破片が落ちている。階下の老人に当たったらどうするの、本当に無責任だ」と文句を言いました。また、妻は物が落ちないようにしっかり保護してほしい、そうでなければ不動産管理業者にクレームをつけて仕事を止めさせると、リフォーム会社の現場監督と交渉したと言いました。妻の訴えを聞いて、私も彼らのやり方が度が過ぎていると思い、今の常人は自分の都合ばかり考えていて、本当によくないと思いました。

 その後、用事を済ませて帰宅したとき、階段の石材が打ち抜かれていて、下のコンクリートの部分が露出しとても醜くなっていることに気がつきました。見ると、新しい傷でした。「きっと上の階のあの内装会社だ。彼らがこんな雑な工事をしているから、きっと彼らがしでかしたことだ」と思いました。家に帰って学法を続けようとすると、今度は廊下から衝撃音とともに階段を重々しく降りる足音が聞こえました。「きっと階上の内装業者が、取り外した古い窓を階下に運んでいるのだ。どうしてこんなに不注意なのか? あちこちにぶつけて、また廊下の何かを壊すのではないか?」と思っていたところ、急に「あれ? 常人に対して文句ばかり言っているのではないか? これが修煉者の状態なのか? 自分の優しい心はどこに行ったのか?」と、自分の良くない心情が気になりました。

 私は心を静め、彼らの立場から問題を考えてみました。「今は結構暑い時期で、取り外した窓は重くて小さくもなく、エレベーターがない状況で5階から1階まで運んでいくのは、実に大変な作業だ。どこかにぶつけてしまうのも避けられないことかもしれない」と思うと、私は胸がしめつけられて、彼らに対する哀れみと同情で一杯になりました。

 その時、私は自分の正念で彼らの運搬を助け、彼らの負担を軽減したいと考えました。その念を発した直後、彼らが物を運ぶときの足音が軽くなり、物が廊下にぶつかる音もなくなったように聞こえました。私は心から利他的な念の良さと殊勝さを感じ、これこそが大法修煉者のあるべき姿だと思いました。

 数日後のある朝、仕事に出かけた時、建材を運んでいる上の階の内装工に出会い、私は2人に真相を伝えました。1人は三退し、もう1人は三退しませんでした。今後、彼は他の大法弟子から再び真相を聞き、三退できることを願いました。

 別の日に、私は仕事中の昼休みに真相を伝えに出かけると、歩道にあるコンクリートのベンチに中年女性が横になっていて、数歩離れた歩道の地面にはビニールシートが敷かれていて、その上に物が散らばっているのを見ました。私が近づくと、その女性も近くまで来ました。彼女の服装から、私は彼女が田舎から来ていると判断しました。「これは何ですか?」と私が聞くと、彼女は強い地方の訛りで「霊芝です。50キロほど離れた郊外から持ってきました。何日経っても全く売れず、1円の収入もありません」と答えました。

 彼女の期待に満ちた顔を見て、私は値段を尋ねました。彼女は「全部買ってくれるなら、 少し値引きして、200元でいいです」と言いました。それほど安くもなく、煉功者がこれらを食べる必要もないと思いましたが、彼女の状況を考慮して、私は半分を買って、この機会に真相を伝えようと考え、「半分下さい」と言いました。嬉しくなった彼女が霊芝を袋詰めしている間、私は彼女に真相を伝えました。今の世の人々は人心が悪くなり、冷たくなったと私が言うと、彼女は激昂して「そうです、そうです。なぜこうなったのですか?」と言いました。私は「今、天災地変が多いのは、人心が悪くなって、神様が悪人を滅ぼそうとされているからです」と言い、彼女に共産党の関連組織に入っているかと尋ね、三退を勧めました。彼女は快く脱退を承諾し、何度もお礼を言ってくれました。お金を払って帰る前に、私は彼女に心からの九文字を唱えれば災難から逃れることができると伝えました。

 彼女と別れた後、私は他の人に真相を伝え続けましたが、誰一人聞き入れようとしませんでした。「問題はどこにあるのか?」と自問する中で、私は先ほど霊芝を買ったときのことを思い出して、原因が分かったような気がしました。「彼女が真相を受け入れたのなら、なぜ真相を完全に伝えなかったのだろうか? 相手の受け入れ能力を考慮しない、ルーティン化した真相伝えのやり方は、他人に責任を負わないことでもある。しかし、どう補填しようか? 残りの霊芝も買おう。これが私の利益を重んじる心に対する試練でもある」と考えが変わると、たくさん買った霊芝をどう処理すべきかも分かりました。私はしばらく訪れていなかった兄と同居中の母に渡せると思いました。

 そこで、私は折り返してその女性を探しに行きました。彼女はまだそこにいました。残りの霊芝を全部下さいと言うと、彼女はとても喜んで、私がいい人だと何度も言いました。それで、私は「天安門焼身自殺」はデマで、大法は人々に良い人になることを教え、病気治療においても顕著な効果があることを詳しく彼女に説明しました。彼女はすんなりと受け入れて、法輪功を習っているのはみなよい人だと話してくれました。真相をはっきり伝えた後、私はもう一度彼女に心からの九文字を覚えるように伝え、手を振って彼女に別れを告げました。

 問題を考える基点が少しずつ変わり、他人のために考えるようになってから、真相を伝える効果もますますよくなりました。私は次第に相手の考えを感じ取ることができ、相応の知恵も生まれて、相手の引っかかっている部分をほぐすことができるようになりました。三退を拒否していた人が三退し、真相をすんなり受け入れる人もますます増えました。

 あるタクシー運転手に真相を伝え三退を勧めた後、私の下車時に彼はこう言いました。「今日はここ数カ月で一番嬉しい日です。さっきあなたが言ったことを聞いて、とても気持ちがいいです。今度また私の車に乗ったら、運賃は要りません」

 ここまで書いて、自分の修煉の道を振り返り、感慨深く思いました。一人の生命として、今生において大法の中で修煉することができるのはどんなに幸運なことでしょう! 利己的な考え方を改め、真心から他人のために考え、真に宇宙の真・善・忍の特性に同化する時、師父が未来の生命に与えられている無私、大らかさ、知恵と余裕を感じることができ、周囲の環境も師父に正され、師父が仰った「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」 [1] 状態が現れるのです。

 最後に、すべての大法弟子が残されたわずかな修煉の時間の中で全力で精進し、大法に同化し、より多くの衆生を救い、師父の洪恩に背かず、衆生の期待に応えられることを願います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第19回中国本土大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/7/451377.html)
 
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