文/東北地方の大法弟子 同修が整理
【明慧日本2022年12月22日】(前文に続く)
妹を救う
もうひとつ話したいことは、妹(同修)の救出についてです。妹は真相シールを貼っているところを警察に見られ、連行されました。知らせを聞いた時、私は2日前に出産したばかりの甥の妻の入院看病をしていたり、自宅を改築中だったり、さらに2歳の孫を連れていたり、家の中も外もいろいろなことが起きていました。どうすればいいのでしょうか? どうすれば家族を説得して、妹の住む街に行き、妹を救うことができるのでしょうか? 人を救うための基点は何でしょうか? この基点の関係がきちんと確立されておらず、心が安定していないと、肉親間の感情に流されやすく、邪悪に隙をつかれるので、救助に参加した同修、迫害された同修ともに魔難が増してしまいます。
私は何度も「彼女は妹ではなく、同修である」と自分に言い聞かせました。結果ではなく、救助する過程に焦点を当て、この件に関係する人々に真相を伝え救い済度し、真相を伝えることに主眼を置きました。私たちはただ法の基準に従って行い、妹を救助する過程で絶え間なく自分を正すことで、良い結果が自然に出てくることになるのです。
翌日、私は妹の家族がいる街に到着しました。私は慌てて妹の地元の同修に会いに行くことはしませんでしたが、二番目の姉の家(妹と同じ市内に住んでいる)で法を学び、正念を発した後、夕方に同修の家に行き、妹をどう救助するのかについて話し合いました。3日目、妹の地元の同修は公安局まで行き近距離から発正念をし、私と2番目の姉(同修)は公安分局に行って妹の解放を要求しました。今まで同修を救助するプロジェクトに関わっていなかった2番目の姉は落ち着かず、途中で話をしたいと言ってきたので、私は2番目の姉に「話をせず、より多く正念を発しましょう! 私が真相を伝えた時、もしうまくいかなかったら私の不足を補い、そうすれば念は必ず正されます」と言いました。
私たちは案件を担当しているAに会い、妹がすでに留置場に送られたことがわかりました。Aは私たちに「彼女にとってあなたは何者ですか?」と聞きました。私は「私は彼女の姉です」と言いました。Aは「大丈夫です、数日で釈放されます」と言いました。私たちは、Aの言葉を真に受けてはいませんでした。数日後、私たちは再びAに会いに行き「もう数日経つのに、なぜ釈放されないのですか?」と言いました。そこで、私はAに「妹はどんな法律を破ったのでしょうか?」と尋ね始めました。Aは私に「あなたも修煉しているのですか?」とさりげなく聞きました。私はAの質問には直接答えず「法輪功修煉者が法輪功を修煉することをそんなに恐れているのですか? 法輪功修煉者が多ければ多いほどいいのではありませんか?」と言いました。Aはそれ以上私に話をさせず「もう一度言ってみろ、録音してるから捕まえるぞ」と脅しました。私は「いいえ、私の法律違反で逮捕するのならいいですが、法律に違反していないのに罪をでっち上げて勝手に逮捕することができるのですか?」と言いました。Aは「もうそれ以上言わないでくれ、もうパソコンがおかしくなってしまった」と言いました。私は「パソコンがおかしくならずに済みますか? 話しながら同時にパソコンを見て、一つの心で二つの役割を果たすことができるのですか?」と言いました。Aは激怒して「あなたたちはBのところに行け! 案件はすでにBに移管された」と言いました。そしてBの電話番号を私たちに教えました。
妹を留置場に拘禁し案件を担当している警官Bに私たちは会いました。Bは妹の服を私たちに渡しました。妹の服を見た時、私は涙をこらえながら「泣くな、彼女は同修なのだから」と自分に言いました。2番目の姉がすでに涙を流しているのを見て、私は2番目の姉の腕をなで「泣かないで、感情に左右されてはいけません」と囁きました。2番目の姉も感情をコントロールしました。私たちがさらに妹についていくつか質問したところ、案件担当者のBは、Bとの手続きは終わったので次は警官Cのところへ行くように、ということを言いました。公安局から出てきた私と2番目の姉は、うわべの現象に動じず、師と法を信じるようにと励ましあいました。私たちは家に帰り、正念を発し、法を学び、煉功をしました。
私たちは妹の解放を要求し続けました。私たちは案件を担当する3人目の警官Cに会いました。Cは逮捕状を取り出し、私にサインを求め、私は「サインはできません、私は人を迎えに来たのです」と言いました。Cはイライラしながら「あなたたちは遊びに来たのか? サインしないなら、あなたたちにつきあってる時間はない」と言いました。そして汚い言葉をたくさん言い、私たちを追い出しました。
私は2番目の姉とどうすべきかを相談し、妹が現在どういう状況にあるのかもわかりませんでした。私たちは弁護士を探し始めたのですが、真相を知っている弁護士を見つけるのに大変な苦労をしました。弁護士が妹に会った時、私は意念で妹の元神と「師と法を信じ、あきらめず、悪の巣から必ず抜け出せます」と交信することに集中しました。弁護士が獄中の妹に「師父は迫害を按排していません。ここは修煉者の居場所ではありません。外にいる同修や親族があなたを助け、海外の同修は警察に電話して迫害を制止しています」という私のメッセージを伝えました。突然の迫害で意識が朦朧とし、次第に意志が沈かけていた妹は、弁護士のメッセージの意味を理解し、正念で私のメッセージを受け止めました。
私たちは家に帰り、法を学び続け、正念を発しました。いつしか、15日間が過ぎ、再び公安分局に妹の解放を要求しに行きました。今度は入り口の警官が入れてくれなかったので、私たちは正念を発しました。すると、1階から最初の案件担当者であるAが出てくるのが見えたので、私はAの名前を呼んで挨拶し、自分が誰なのかを説明しました。Aはきょとんとし、私に向かって「あなたが私の名前と電話番号を海外に送ってしまい、それ以来海外からの電話で毎日疲弊しているんだ」と口汚くののしりました。私は何も言わず、Aの目を見つめ、Aの背後でAを操る邪悪を根絶しました。Aは罵りながら、突然振り返って2階に駆け上がり、私がAを追いかけると、入り口の警官が、職務怠慢の責任を追及されるのを恐れて私を追いかけてきました。私は2階に駆け上がりましたが、このままでは入り口を担当している警官に迷惑がかかると思い、正面入り口に戻りました。入り口を担当している警官は私たちに「上司からは『あなたたちを入れてはいけない』と言われており、もしあなたたちが入ろうとしたら私はクビになる」と注意しました。
私は2番目の姉と2人で、その公安局の局長の電話番号を聞き出そうと相談しました。2番目の姉は、入り口担当の警官を説得し、納得してもらうまで多くの言葉を費やし、警官はやっと同意し、電話番号を書いた小さな紙を私たちの手にこっそり渡し、善良な警官に、私は感激のまなざしでお礼を言いました。
外に出てから、局長に電話をかけ、私は直接「こんにちは、局長、私は、○○の姉です。数日前にあなたたちが妹を連行したので、引き取りたいのですが・・・」と言いました。私が言い終わらないうちに、電話の向こうで局長がげたげたと笑って「連行とはどういうことですか?」と言いました。私は「彼女は法を犯してないのに、あなたたちが捕まえたのは、連行ではないのですか? 彼女の家には70代の老人で介護が必要な人がおり、夫の具合も悪く介護が必要で、子供は大学入学を控えていて母親の世話が必要なので、私が迎えに来たのです。受験は子どもの人生で最初の大きなイベントであり、子どもの一生の出来事です!」と言いました。
私の言葉は情理にかなっており、私の言葉を聞いて、局長はしばらく黙り込んでから「姜局長(副局長)に電話して、事情を詳しく話してもらうといいです」と言いました。私は「姜局長の電話番号を知りません」と言いました。局長はすぐに番号を教えてくれました。私は姜局長の番号に電話をかけ「私は○○の姉ですが、局長から○○の件に関して姜局長に報告してもらうように言われました」と言いました。姜局長は「今忙しいんだ!」と言って電話を切りました。
妹を救助に来てからすでに10日以上経っており、家族がどうしているかわからなかったので、まず家に帰ることにし、午後は長距離バスで帰路につきました。街に着くと、姉(訳注:2番目の姉)から「妹さんを迎えに来るようにとに留置場から連絡がありました!」と電話がかかってきました。この時、私はもう涙をこらえることができず、涙が溢れ出てきました。それは、妹が留置場から帰ってきたからではなく、慈悲深い師父への「師父! 弟子は師父に御苦労をおかけしてしまいました。私たちの心が法にある限り、私たちが行動を起こす限り、師父はすべてを行ってくださいます!」という感謝の気持ちからでした。
私たちに人を救う心があり、一丸となって行動し、協力しているのをご覧になり、師父は、公安局に勤める親戚から同修がたまたま電話帳をもらうようにしてくださり、それはまさに、私たちが探しても探しても見つからなかったものでした。この電話帳を使用した海外の同修からの電話は、中共の抑止力となっており、公安分局の全員が少なくとも1回は海外からの真相を放送する電話を受けました。
師父に感謝申し上げます!
合掌。
(完)