滕玉国さん 東陵刑務所の迫害により死亡
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  【明慧日本2022年12月23日】(遼寧省=明慧記者)瀋陽市の法輪功学習者・滕玉国さん(以下、学習者)は不当に懲役5年の実刑判決を言い渡され、東陵刑務所の迫害により、12月2日に亡くなった。享年67歳。死亡時の滕さんの体にはチューブがたくさん挿されており、緊急措置を取っていたことをアピールするものだと思われる。死亡時には警官の監視下に置かれていたため、家族は近づくことができなかった。12月4日の火葬の全過程まで、配置された東陵刑務所の警官は、家族が滕さんの遺体に近づかないように制限した。

 刑務所は、滕さんが法輪功を放棄しないことを理由にして保釈を拒否した。滕さんの臨終前の様子に触れるたび、滕さんの妻は大泣きして声さえ出なくなり、毎日夜中の2~3時まで眠ることができず、頭の中には滕さんの臨終前の悲惨な様子ばかり浮かんでくるという。妻の話によると、臨終前の滕さんは骨と皮ばかりに痩せこけて、力が抜けた状態で骨格だけがベッドに横たわっているにもかかわらず、ずっと重たい足かせを付けられていた。家族がいくら懇願しても、警官は末期がんの瀕死の滕さんが常に監視されている病室から逃げ出すことを恐れて、足かせを外そうとはしなかったという。

 滕さんは法輪功を学んでから生まれ変わり、タバコと酒をやめ、人と争わなくなり、真・善・忍に従って物事に対処するようになった。しかし、非常に元気だった滕さんは、中国共産党の刑務所で2年間迫害された末、悲惨な死に至った! 現在に至るまで、多くの学習者が東陵刑務所で迫害され、死亡したことがわかった。

 暴力的に連行され、不当な判決を下される

 2020年10月13日午前、滕さんと妻が自宅の庭でカボチャの収穫をしている最中、警官の一団がやって来て、滕さんの顔を血が出るほど殴り、手錠と足かせを付けて連行した。滕さんの妻はショックと無力感の中で、顔から血が流れている滕さんがパトカーに押し込まれる始終を目にした。

 2021年2月19日(正月8日)、瀋陽市于洪区裁判所の関係者が滕さんの妻に電話をかけ「もうすぐ裁判が始まるが、弁護士を雇うのか? 弁護士を雇いたいなら、明日2月20日まで申し出なさい」と知らせた。滕さんの妻は「私は田舎の主婦で、読み書きができないので、親戚に手伝ってもらわなければならないのです」と答えた。

 裁判所の関係者は「明日電話が来なければ、弁護士を雇う権利を放棄するということだ。裁判所が弁護士を手配する」と言って電話を切った。

 結局、滕さんは不当に懲役5年の実刑判決を言い渡され、東陵刑務所に拘禁された。

 東陵刑務所は滕玉国さんの病状を隠蔽

 新型コロナの感染拡大防止を口実にして、刑務所はずっと家族との面会を禁止し、滕さんが健康で何の問題もないことを伝え続けた。実は、滕さんはすでに体調が非常に悪く、半年ほど前から失禁していた。滕さんは出所する受刑者に、自分の状況を家族に伝えてほしいとお願いしたため、家族はようやく滕さんの状況を知るようになった。

 情報を知った家族が刑務所に駆けつけた時、滕さんはすでに歩くことも身の回りのこともできず、骨と皮ばかりに痩せこけて、足を指で押すとすぐ凹みができ、失禁して毎日おむつをつけている状態だった。

 刑務所の責任者は、滕さんの腹部の腫瘍が腸を塞ぎ、肝臓にも転移しているため、数カ月も生きられないことを、家族に告げた。

 怒った家族は「なぜ病状を隠し、手術のタイミングを逃したのですか」と問い詰めた。

 医師は数カ月も生きられないと断言、刑務所は保釈を拒否

 今年11月の初旬、家族は重病のための服役中の一時出所を求めたが、刑務所の関係者は滕さんが法輪功を放棄しないことを理由に拒否し「医療費を全額負担しなければ、また刑務所に送り返す」と家族を脅した。

 第4病院(刑務所の指定病院)の医師は、滕さんの腹部を開いた後、手術不可能だと判断し、何もせずに縫合した。腫瘍が腸を塞ぎ、肝臓にも転移しているため、医師は、滕さんは数カ月も生きられないと言った。

 その時の滕さんは食事ができず、スープを少し口にした程度であった。また、座ることもできず、一日中おむつをしていて、排便もない状態だった。

 瀋陽第4病院の医療費はすべて家族が負担することになった。毎日の医療費は3000元で(約6万円)、家族は全財産の6000元を支払い、今後の医療費をどうやって支払うかについて悩んでいた。もし医療費が払えなければ、滕さんは再び刑務所に移送され、さらに拘禁されることになる。どうしようもできない家族は、苦痛と無力感に苛まれていた。

 迫害により死亡、家族が遺体に近づくことを禁止される

 12月2日午後、東陵刑務所側は「滕玉国が739病院で緊急措置を受けている」と家族に知らせた。滕さんの妻、子供、親戚が病院に到着すると、滕さんは集中治療室でたくさんの管が挿入されており、まだ呼吸があり目も開けているが、すでに話すことができなくなっていた。警官は家族を滕さんに近づけさせないように監視していた。滕さんの妻は再三懇願したので、しばらくの間、滕さんに近づくことを許された。

 滕さんの妻は、滕さんがまだ足かせをつけられているのを見て「臨終前に足かせを外さないと、命を投げ出してもとことんまで戦います」と怒った。警官は同意した。そして妻は滕さんの耳元で「江沢民は死んだ」と伝えると、滕さんは声をだせなかったが力を絞って頷いた。そのあとも、警官はずっと監視して、家族の接近を禁止した。

 12月2日の午後11時51分、滕さんは数人の警官に監視されながら息を引き取った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/12/15/453145.html)
 
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