文/台湾新北市の大法弟子
【明慧日本2022年12月26日】
慈悲なる偉大な師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
今年は、新唐人武術大会と声楽コンクールの推進活動に参加する中で、どうすれば伝統文化を用いて衆生を救う目的を達成することができるかを学ぶとともに、ネガティブな考えや不平を回避し、ポジティブに正念で心性を高めました。この法会の機会をお借りして、私の修煉体験を師父にご報告し、同修の皆さんと共有したいと思います。
一、偽りの病業を打ち破り、衆生を救うために踏み出す
今年の5月初旬、一人で北部の武術者を訪問する仕事を引き受けました。前回の大会では、訪問するための事前予約を担当し、その後専門的な知識を持つ同修と一緒に訪問しました。しかし今年は、その同修が病業に陥ったため、助けてくれる人がいない状況下で、専門知識もあまりない私は、一人で武術界の先輩たちを訪ねて、大会に参加する生徒を推薦してもらうしかなかったのです。
初日はうまくいったのですが、翌朝目が覚めると、脱力感があり体調が悪いと感じました。私はすぐに、「やるべきことをやる! 今は煉功の時間になったので、煉功する」という確固とした一念を発しました。「今、静功をやったら、きっと寝てしまうから、1時間の抱輪をしよう」と思い、(1時間の第二式はしばらく続けていた)私は頑張って起き上がり、煉功の音楽を流し、両手を上げました。煉功が終わると、すべてが元通りになりました。その日の午前、約束の時間通りに武術の先生のお宅に伺うことができました。
その日、武術の先生と初めて会いました。先生は左營トレーニングセンターの国家級のコーチとして、国の方向性に沿った競技体操を指導していますが、個人でも生徒を募集して伝統武術を指導しているそうです。先生はよく生徒を連れて中国本土での大会に参加しているので、最初の新唐人武術大会に生徒を送っただけで、それ以降10年以上もやり取りがなく、今回の訪問の予約を取るのに大変な苦労をしました。2時間の会談中、私はなるべく自分のメディアの専門知識を生かして時事ニュースと融合しながら、新唐人がいかに封鎖を突破して真実のニュースを伝えているかを話すと、真剣に聞いてくれました。大会の運営資金の出所を聞かれた時、広告やメーカーからのフィードバックの動画を流して見せました。真相についてたくさん話しましたが、武術についてはあまり言及しませんでした。
来年のアジア大会が中国で開催できるかどうかはまだわかりませんが、新唐人は新型コロナウィルスの影響を受けず、今年も武術大会を開催することにこだわっています、伝統武術が衰退している今、私たちと共に伝統武術を国際舞台で活躍させる使命感を持った武術者がもっと必要だと話しました。会談を終えて帰ろうとしたとき、先生は「新唐人のスタッフがここ数年、私に会いにきたことがありますが、あなたのようにはっきり説明してくれた人はいません。あなたはよく修煉できていますね」と言われたのです。私が帰った直後、午後、先生からの参加登録が届きました。その後、数人の武術者たちも、使命感や伝承に感銘を受けたため、武術大会の宣伝にポジティブな効果を得ました。一方で、声楽コンクールはあまりうまくいきませんでした。
二、責任を持ち、恐怖心を取り除く
声楽コンクールは1年間延期されています。昨年数カ月、推進のために駆け回ってきましたが、市場が開いておらず、ほとんどの声楽家は無関心で返信しなかったり、私達に連絡することを恐れたり、将来中国本土に影響を与えることを心配したりしました。それで、だんだん正念がなくなり、恐怖心も生じ、ひいては恨みの心まで生じて、台湾では参加者を募集するのが難しくなりました。米国は大会の開催都市で立地条件も有利なので、もっと仕事を引き受けるべきだと思います。しかし本当にいろんな心が生じ、その後、大会が延期になり、私はひとまず安心しました。
今年の初め、声楽コンクールが開催されることを知り、その責任は千鈞のように重く、どう背負えばいいのかわからないと思いました。数カ月が過ぎ、武術大会も終わり、残り2カ月となった時、世界大会に関する会議で、総協調人の発言に身が引き締まる思いがしたのです。 2005年当時、総協調人は大紀元の某地域の社長を務めていたのですが、一時期、新聞の盗難問題に直面し、苦戦を強いられました。警察に被害届を出したのですが、タダでもらったものと思われ、受理されなかったのです。その総協調人が内に向けて探すと、「これから、どんなに難しいことでも修煉者としての法理で向き合い、責任を持つように」と自分に言いました。その話を聞き、私は同修との距離を感じるようになりました。15年前に同修が乗り越えたことを、不器用な私は、2022年になっても言い訳ばかりで責任が取れず、うまく修煉できていないと感じました。
私は自分が何に執着しているのか、見極めようと決心しました。自分の恨みの心と真剣に向き合ったとき、本当に衝撃を受けました。
師父は「恨みの心ですが、つまり褒められたい心、良いことがあれば嬉しいという心が養われたのです。さもなければ、恨んでしまいます。皆さん、考えてみてください。これではいけません。このように修煉してはいけません。私はいつも言っていますが、修煉者は問題を逆の角度から見るべきです。遭った良くない出来事を良いこと、あなたを向上させる機会として捉えるべきです。この道をしっかり歩み、関門と修煉の機会がやってきたと考えるべきです。良いことがあれば、『喜んではいけない。良いことは私を向上させることができない。そして落ちやすいのだ』と考えるべきです。修煉なので、逆の角度で問題を見るべきです。困難や良くないことがやって来たら、一概に排除し、反発していれば、関を乗り越えることや向上を拒否することになります。そうではありませんか?」[1]と説いておられます。
私の修煉に対する理解は、修めれば修めるほど、魔難が少なくなるという期待を持っているため、魔難が来て、それを乗り越えられないと、恨んでしまうようになりました。その恨みの心を取り除いた後、上司の協力を得た上で、私はさまざまな推進活動を試してみました。
直接の訪問がうまくいかなかったので、常人との連携で声楽家へのアプローチを試してみました。7月から、新唐人の各地の事務所では、声楽家協会の理事長の推薦をうけて、優秀な声楽家を招き、有給で歌ってもらいたいと、お茶会を開くようになりました。上司が手伝ってくれ、もう一度声楽家協会の理事長のところへ、真相を伝えに行くと、理事長は快諾してくれました。8月末のお茶会では、歌いに来てくれた声楽家がとても素晴らしく、スポンサーも見つかりました。そして、翌日に、上司と一緒にその声楽家を訪問すると約束までできて自信満々でした。しかし翌日、突然上司から欠席するという連絡が入り、正念がなくなりそうになりましたが、元気を出して冷静に考えました。「仕方ない、今度こそ徹底的に他人に依頼する心を取り除く時だ。自分でこの責任を背負わなければならない、師父と大法があり、師父を信じ大法を信じれば、必ず自分の使命を成し遂げることができる」と自分に言い聞かせました。私のその一念が法の要求に符合していたので、最終的にその声楽家は不思議なことにコンクールに参加することになり、参加するために学校を休むことや代理の先生を探す問題もすべてうまくいったのです。師父の心遣いと按排に感謝いたします。
三、自分自身をしっかり修め、衆生を救い済度する
推進の過程では、自分の修煉状態がそのまま申し込み状況に反映されました。ある日、同修と交流するとき、推進活動に携わる人の人数を気にしていたことに気づきました。気にした原因は、多くの人が入ってくると、仕事の内容が増えてくるので、分担ですることを望んでいたからです。この原因も言い訳であり、やはり責任転嫁をしようとしていたことに気づきました。同修と上記の話を交流して1時間後、推進活動に携わるスタッフから朗報がきて、台湾から渡米して博士号を取得しようとする声楽家が、スポンサーから旅費が出ないかと尋ねてきました、すぐにその声楽家と連絡を取ると、協賛金の交渉ができたため、「翌日には申し込みの登録を完了させる」と嬉しそうに言ってくれました。しかし、なかなかうまくいかず、電話やメッセージの返事も来ないままで連絡が取れませんでした。その後、その声楽家から「教授と曲の検討をしている」という伝言が来ただけで、また連絡取れなくなり、私はとても不安でした。
申し込み締め切り前の週末に、グループ学法をしに行こうと思いました。自分を法に同化させたかったのです。同修たちの無私の交流のおかげで、私の心は落ち着くようになりました。翌日、同修が師父の法の1ページを送ってくれました。
師父は、「皆さんはあることに気をつけるべきです。つまり、皆さんは法を実証しているのであって、自分自身を証明しているのではないということです。大法弟子の責任は法を実証することです。法を実証することも修煉です。修煉の中で他でもなく自我に対する執着を取り除くことであり、意識的にまたは無意識的に自分自身を証明することをかえって助長してしまうようなことをしてはいけません。法を実証することと修煉は自我を取り除く過程でもあります。これをやり遂げることができれば、本当の意味で自分自身を証明したことになります。常人のことを最終的に皆さんは放下しなければならず、常人の全ての執着を放下してはじめて常人から脱皮することができるからです」と仰っています。
この法を見て、これは師父が私を悟らせるためのものだとわかりましたが、薄いレースに隔てられているような、考えることや内に向けて探すことを阻む力があるように感じました。当時は「何人申し込んだのだろう。○○は申し込んだのか?」と、とても気になりました。これは正しい状態ではないと思い、心の中で師父に、「私は着実に修め、常人の心で大法の事をやりません。自分の誤ちを見つけます」と言いました。
締め切り日の午後、会社の外を散歩していたら、参加予定の大学生から電話がかかってきて、「公費学生だから学校を休んで参加することを学校側は認めないのです」と言いました。当時私は、積極的にコミュニケーションをとり、大会に参加する意義や価値を訴え、話せば話すほど正念が強くなっていきました。すると、その大学生が学校側ともう一度相談してみると言いました。その時、私は急に心が穏やかになり、渡米しようとする声楽家が参加するかどうかについて、何も考えず心配することもなくなりました。きっと、師父が按排してくださるので、来てくれると感じました。
夕方に、最後の努力をしようと思い、声楽家に電話をかけました。相手が出ず、伝言で返事をしてくれましたが、あまりよい口調ではなかったのです。私はとても冷静に謝まり、何か至らない点はないかと尋ねながら返事をしました。すると、相手の態度が一気に良くなり、再度私に説明して「必ず申し込む」と言ってくれました。師父のおかげで、もう一度難関を乗り切ることができました! 師父に感謝いたします。
米国へ向かう飛行機の中で、私は初めて、これらの声楽家たちが師父と交わした誓いを果たすため、コンクールに参加する形を利用していることに気づいたのです。しかし、自分が名利への執着、面子への執着などを取り除かず、基点を正しく置いておらず、多くの声楽家が誓いを果たすための機会を逸してしまったのです。この声楽コンクールへの参加は、大きな挑戦と挫折を味わいましたが、比較的早く向上できて、収穫も多いと感じました。それと同時に、「修は己にありて、功は師にあり」[3]という師父の教えを、より深く理解することができました。
以上は大会を推進する過程での修煉体験です。不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
師父に感謝いたします!
同修の皆さん、ありがとうございます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『二〇一八年ワシントンD.C.での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(2022年台湾法輪大法修煉体験談交流会の発言原稿)