明慧を大切にすることは精進の修煉環境を大切にすること
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年12月27日】私は、私の地元に『明慧週刊』という週刊誌を長い間あまり読まない同修がいることに気付きました。その修煉者の多くは真相を伝え、人を救うことをあまりしません。中には高齢でインターネットに接続できず、電子書籍を見られない人もいます。しかし、今、同修の多くが提供する『明慧週刊』は主に電子版です。

 最近、1999年「7.20」以前から大法を修煉している古い同修が、「週刊誌を読むかどうかは重要ではなく、大事なのは法をよく学ぶことだ」と言っているのを聞きました。 もちろん、同修は法を学ぶことを重要視しているのは間違いません。でも『明慧週刊』を読むことが重要でないと言うのは、法に則っていないのではと思い、深く考えさせられました。 なぜなら、私は20年以来、大法修煉の中で、『明慧週刊』から離れると、いつも精進できず、常人の心が重くなると感じていたからです。そのため『明慧週刊』をよく読み、『明慧ネット』によくアクセスすると、たくさん啓発を受けて、私は三つのことをますますよくできるようになるのです。

 以前、私は週刊誌をあまり読まない同修と交流したことがあります。彼らが読まない理由は以下の通りです。一つ目の理由として、インターネットにアクセスできません。そのため週刊誌を読むには同修に頼む必要があるので、面倒だし、ネットは安全ではないと思っています。二つ目の理由は、戸外に出て真相を伝えるのが怖いため、週刊誌の真相を伝える交流文章を読むことすらプレッシャーに感じる人物もいます。三つ目は、高齢で目が悪くなり、電子版を読むのが読みにくいという理由です。その上、印刷版がなかなか見つかりません。そのため週刊誌を読まず、法の勉強に時間を使った方がいいと考える人もいます。

 明慧ネットにあまりアクセスせず、週刊誌もあまり読まない同修たちは毎日法を学んでも、毎日正念を発しても、法理に対する理解は長い間ずっと人間のレベルにとどまります。悟性が低く、内に向かって探そうとしません。家庭のトラブルや悪党の嫌がらせに遭うと、心が折れ、また、いつも常人の心を放下できないことに悩みます。ある人はよく同修のところに行って、常人に対する不満を発散します。総じて、これらの人たちは修煉の仕方を知らない、法を学んでも得ていないという印象が強くあります。その中のある学習者は具合が悪くなったら、家族に病院に行くのを勧められたり、子供に脅かされたりすると、すぐ病院に行きます。夫とのトラブルが大きくなったら、内に向かって探さないので、当然心性も向上せず、離婚ですべてを解決しようとする人もいます。

 一方、精進して実修し、真相を伝え、人を救うことを重視する同修は、いつも明慧ネットにアクセスしています。また『明慧週刊』をよく読み、中には毎期欠かさずに『明慧週刊』を読みます。

 師尊は明慧ネットを全面的に認め、高い評価を与えています。『明慧週刊』の表紙には、師尊の直筆のサインがあります。『明慧週刊』を読まないというのは、同修を信じていないのでしょうか、それとも師を信じていないのでしょうか? 邪党が大法を迫害して以来、中国大陸の大法学習者は座談会を通じてお互いに修煉体験を交流する機会を失いました。修煉できる同修は、せいぜい数人が一緒に法を学び、交流する程度で、それも限界があります。『明慧週刊』だけが大法修煉者に多くの質の高い修煉の心得を提供してくれます。明慧ネットはどのように三つのことをうまくするかという点で、大陸の同修に広大な交流プラットフォームを提供しています。これは本当に貴重なことです。国内、海外の多くの三つのことをよくできている同修は、自分の時間を惜しまず、自分の修煉と経験を書いています。明慧ネットが同修に教えてくれることは、実際にはしっかり三つのことに行えていない同修にすばらしい経験を伝えてくれます。特に大陸の同修が明慧ネットに自分の修煉の心得を発表することができたのは、邪悪な迫害の圧力に耐え、旧勢力を根本的に否定した一大壮挙があります。またすべての同修が大切に扱い尊重する価値があります!

 歴史的に見ると、修道者は修行で何らかの知見を得た場合、それを1人の弟子にしか伝えていません。これは公に言うことではありません。明慧ネットに自分の実修の過程を公開することは、大法弟子の広い度量があってこそできるのです。大陸の同修の中には、「法」に沿っていない考えに支配されている人もいるでしょう。そのため『明慧週刊』をあまり読まないとしたら、自分で自分の修煉環境の周りに小さな輪を描き、世界中の大法弟子から隔離し、法を正すプロセスから自分を遠ざけるのではないでしょうか。例えば自分では三つのことがうまくできず、他の人ができた理由がわからない、またうまくできた方法も知りたくないです。それは見ざる聞かざるという態度を取るのでしょう。『明慧週刊』に発表した同修は万難を突破し、邪党の迫害を公に暴露しました。もしあなたがこの重要な情報を見ていない、あるいはまだ把握していないなら、どのようにして同修が正念で迫害を解体することを協力しますか? 大陸で恐怖にさらされながら、どのように同修と共に一丸となり迫害に抵抗しますか? もし、あなたが迫害に遭った時、他の人はどうやってあなたを助けますか? 迫害に抵抗する中で、師父の言葉に耳を傾けず、師父のことを自分のこととしないのは、旧勢力の罠にはまったのではないでしょうか? それは「常人のわがまま」と言っても過言ではないでしょう。

 『明慧週刊』では、常人社会における大法の修煉のあり方について書かれています。常人社会の動態を議論、交流が行われています。 例えば、米国の選挙、ワクチン接種、頻発する自然災害や異象(不思議現象)などがあります。 もし、早めにインターネットで見たり、普段から週刊誌を読んだりしていれば、こうした社会の激変に直面しても、修煉者としての正しい認識を持つことができます。また、学習者に対して公な資金集めや講演、セルフメディアなど、大法修煉中の顕著な現象についての交流や注意喚起も行われています。 週刊誌を定期的に読むことができれば、この方面では法に照らし合わせることができ、法を学ばないことで道を誤ったり迷ったりすることがなくなります。さらに、生活、仕事における自分の考えや意図、行動をコントロールし、心を修め良い人間という話や資格取得のために努力する修煉者になるという話があります。また、色欲心など、一般的に取り除き難い執着心を修める方法についての話もあります。

 明慧編集部はどのように真相を伝えるかについて、大法学習者の交流文章に基づき、明慧ネットで特別に総まとめした編集資料を提供しました。

 今年9月21日から10月13日まで『明慧週刊』に掲載された4回の特集号「ヨーロッパ法会交流文章の抜粋」からは、海外の大法修煉者が師父の衆生済度を手伝うために献身的に活動している様子を知ることができました。また、彼らは法の要求に照らして、仕事や生活の中でどのようにしっかり心性を修煉するか、詳しく説明してくれています。 言葉は素朴で、文章は簡単明瞭で、邪党の文化がありません。それを読むと深い感動を覚え、自らの修煉に励むことができます。 海外の同修たちの修煉と比較すると、自分の考えや一念の内に向かって探す修煉はいかにずさんであったかと気付かされました。 私は、遭遇したもの、目にしたものを常人の心で分析することに慣れています。心が動じたら、まず修煉者として最初にすることは、自分のどこが悪いのかと自分自身の内側に目を向けることではないかと気付きました。

 限られた修煉時間の中で、『明慧週刊』は、実に、悟性を高めるための時間を大幅に短縮してくれます。 悟りを得られず、三つのことがうまくできなかったときには、同修の体験談を読むと、自分の足りないところが瞬時にわかることがあります。

 いつも明慧ネットを見たり、定期的に『明慧週刊』を読んだりすることで、常に三つのことの中で自分の不足を見つけ、師が教えてくれた法理をよく理解できるようになります。法を正すための要求をタイムリーに認識することができます。したがって、特に中国大陸の大法学習者は、いつも明慧ネットを見て、あるいは『明慧週刊』を読み、また、心を使って法を学び、明晰な頭脳を持つことができ、自分が修煉大道で正念正行を続けることができます。

 ここでは、『明慧週刊』1081号から1085号にかけての輝かしい名言の数々を紹介しますので、同修とお互いに励まし合いましょう。

 - 修煉に近道はない。しかし、その道中には多くのチャンスと落とし穴がある。

 - 修煉者は自重しなければならず、妨害されないし、他人を邪魔しない。

 -新しい一日を始めるたびに、試練に出会ったとき、私は決断する前に立ち止まって考え、これが法の基準に合っているかどうかを見直す。

 -何ができるかは、その人の修行状態によって決められる。 修煉がよくできれば、師はすべてを与えてくれる。自分が人心の観念を持って、得ようと思ったら得られるものではない。

 -修煉には何の理由もなく、地道に修煉することである。ただひたすら師父の言うとおりにする、地道な修煉である。

 -師父に従い、正しい道を歩んでいる限り、恐れる必要はない。

 -闘争心、競争心、嫉妬心を心の奥底にしまっておくということは、これらの心をより深刻に受け止め、大切なエネルギーでこれらの悪魔的なものを養っているということなのだ。

 -他の消去すべき人心があるか、自分の行動や言葉が法に合っているかどうか、心を込めて法を学んでいるか、正念を発している時、集中しているか、他人を救うために時間を大切しているのか。

 限られた正法修煉の間に、明慧ネットという師父が弟子のために示されたこの国際的なコミュニケーションのプラットフォームを大切にしたいと思います。できる人は、できる限り年配の同修が読めるように『明慧週刊』を印刷します。また周りの同修が『明慧週刊』を見ることができるように工夫しましょう。

  私達は明慧をもっとよく読んで、多く参加し、三つのことをより効率的に行い、悔いのない心で法を用いて人間世界を正す勢いの到来を迎えましょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/26/452362.html)
 
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