刑務所で残酷な迫害を受けた唐常俊さん 解放後66日で死亡
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 【明慧日本2022年12月27日】武漢市の法輪功学習者・唐常俊さん(女性)は、刑務所で3年6カ月拘禁された。今年10月12日、漢口刑務所から出た唐さんは、刑務所の迫害により、両足に障害を負って歩けず、言葉をはっきり喋れず、極度に痩せた状態だった。それにもかかわらず、帰宅した唐さんは、居民委員会の人から2回も嫌がらせをされた。そして、解放されて66日目の12月17日、唐さんはこの世を去った。享年74歳。

 法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党によって迫害されている。

 唐さんは武漢市武昌水陸小区に在住で、2019年4月12日午後、漢口地区へ孫に会いに行った。同日午後、家に帰る途中の地下鉄に乗っていたとき、唐さんは人に法輪大法の素晴らしさを話した。そのため、武漢市地下鉄公安局の警官に尾行され連行された。夜10時頃、警官は唐さんを紫陽路派出所に送ったが、派出所側が唐さんを受け入れなかった。派出所は唐さんの家から、わずか50歩しかない近い場所にあった。駆け付けた家族は、地下鉄公安局の警官に唐さんの解放を強く求めた。しかし、唐さんは解放されず、パトカーに引っ張られて乗せられた。

 その後、唐さんの身柄は国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)に渡された。国保の警官は、唐さんの家に行き、家宅捜索をしようとしたが、家族に強く抵抗され、できなかった。翌日、国保と派出所の警官はともに朝早く、捜索令状を持って唐さんの家に行き、家宅捜索をし、パソコンやプリンターなどの私財を押収した。

 刑事拘留された唐さんは武漢市第一留置場に拘禁された。その後、公安局安康病院に入れられた唐さんは家族との面会を許されなかった。2019年5月14日、武漢市漢陽区検察庁は唐さんに逮捕状を発付した。同年11月6日、唐さんは検察官が捏造した証拠で罪を被せられ、武漢市漢陽区裁判所へ起訴された。

 2020年9月10日午後2時、漢陽区裁判所は武漢市中級裁判所の場所を借り、オンラインで唐さんの裁判を行った。唐さんの家族は傍聴を許されなかった。法廷で唐さんは自己弁護をし、「法輪功を学ぶのは罪ではありません」などと話した。弁護士2人も法律に基づき、唐さんの無罪を主張し、唐さんの解放を要求した。

 しかし、裁判官は法律を無視し、11月9日、唐さんに懲役3年6カ月と罰金2000元の判決を下した。判決を不服とした唐さんは、中級裁判所に控訴した。その後、弁護士と家族は安康病院へ行き、唐さんに会おうとしたが、唐さんはすでに漢口刑務所に送り込まれたという。

 それから、弁護士と家族は刑務所に行き、唐さんとの面会を求めたが、許可されなかった。その後、家族は何度も刑務所に行ったが、一度も面会できなかった。

 中共の江沢民グループが1999年7.20から、法輪功迫害を引き起こしてから、法輪功を学び続けていた唐さんは連行、拘禁、拷問などの迫害を受けた。

 1999年7月23日朝、武昌区紫陽路派出所の警官は、紫陽湖公園の煉功点で集団煉功に参加していた唐さんを連行した。

 2000年10月3日夜、紫陽路派出所の警官は唐さんの家に押し入り、唐さんを武昌区紅霞洗脳班に連行した。洗脳班の部屋の壁に、法輪功と法輪功創始者を誹謗中傷する言葉が書かれていた。唐さんは拘禁されている学習者と一緒に、これらのものを消したが、十数時間立たされた。その後、唐さんは漢口額頭湾第一女子留置場に送られ、3000元を強制的に取られた。

 2003年2月20日午前8時過ぎ、紫陽路派出所の所長は警官数人を率いて、唐さんの家の付近で待ち伏せ、唐さんを武昌区楊園洗脳班に連行した。洗脳班で唐さんは手錠かけられ鉄のベッドに繋がれ、両足を縛られ、強制的に灌食された。「転向」しなかった唐さんは留置場に移送され、1カ月間拘禁して、また洗脳班に戻され、さらに2カ月ほど拘禁された。

 2011年5月19日午前、唐さんは再度洗脳班に連行された。

 法輪功を学んでいた唐さんは迫害され死亡した。唐さんに迫害を加えた者はその悪報を受けないはずはないだろう。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/12/25/453536.html)
 
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